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2007年1月23日 (火)

日本三大嫉妬婦人 その三

日本三大嫉妬婦人として、最後に村上天皇の皇后安子を取り上げよう。彼女は藤原師輔の娘で、縁者は、そうそうたる人物で占められ、例えば、兄弟は、伊尹(これただ)、兼道、兼家などであり、甥には、道隆、道兼、道長などである。

村上天皇は、本来なら天皇になる可能性は低かった。なぜなら、醍醐天皇の14番目の皇子だったからである。それが、上の皇子の次々の死により、あれよあれよという間に天皇になられた。歴史的には、時々そういうことがある。あの吉宗もそうだろう。人間の運命はわからない。それが幸せかどうかは、別の問題だが。

もちろん、天皇になっても、実権は藤原一族が握っていた。いわゆる閨閥である。安子を皇后にした他に、藤原家から、女御や更衣を迎えている。その他から迎えているのを加えれば、皇后のほかに、女御四名、更衣三名と云われる。もちろん記録外の女性もいただろう。

この中で、美人の誉れ高い女御藤原芳子がおられた。天皇は、ぞっこんで寵愛していたが、安子皇后は当然の如く嫉妬の炎を燃やした。実際、かの女御がどれくらい美人なのか直接確認しに行っているほどなのだ。しかし、その美しさに絶望する。そして取った行動が、土器をこわして、壁の穴から女御の方に投げているのだ。

このことは、『大鏡』に詳しい。中学生時代、恐ろしい女性がいるもんだと妙に感心したものだ。学校の古文には関心がないのに、書店でたまたま見つけた『大鏡』になぜか惹かれて購入し読んだことを思い出す。しかし、手元にはもうないので、記憶は定かでなかったので、ネットで確認したら、大体合っていた。学校の勉強はせずに、当時は脱線だらけ。

さて、このことを知った天皇は、皇后の兄弟の差し金と理解し、殿上差し止めをしたが、逆に皇后を怒らせ、勅勘取り消しを天皇に迫っている。結局、この問題はうやむやに終わってしまった。藤原家に全てを握られ、天皇としては何もできない状態だったのがわかる。現代でも、いますよね、こんな夫婦。いや、多くはそうか(笑)。

村上天皇は、摂関政治を抑え、文化の向上や倹約に勤められたと云うが、摂関政治を抑えることは実際、難しかったのではないか。その後、安子皇后の生んだ皇子が、次々と天皇になり、藤原氏黄金の時代を迎えている。

でも、国家としては、歪んだ体制になっていた。そして、藤原体制は崩壊していく。安子皇后の嫉妬は、間接的に藤原全盛期を作り出すが、それは崩壊の萌芽でもあったようだ。しかし、歴史は女性が相当関与しているとも言える。現代の女性は、どんな歴史を残すのだろう。やはり嫉妬によって残るのかな。男は付き合いきれないなあ。

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