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2007年2月28日 (水)

須磨の安徳宮について

安徳帝を祀った安徳宮(あんとくぐう)が、須磨の一の谷にある。源平の戦いで、安徳帝は、源氏に追われた平家一門に奉じられ、西走の途中、一の谷に内裏を置かれたと云われている。

その後、安徳帝は、下関の壇ノ浦にて、祖母二位の尼(平清盛の妻で、建礼門院の母)に抱かれ、8歳で海中に身を投じられた。二位の尼は、安徳帝に、「海の下にも都があります」という言葉と共に海に鎮まれたのだ。

海の下の都とは、龍宮のことらしい。龍宮を主宰するのは龍神であり、このことから、安徳帝の守護神とされている。御祭神は真理胡弁財天で龍神である。御神徳は、福徳開運、難病平癒、子授安産、請願成就、芸能上達らしい。

また、なぜか、そばに「皇女 和宮像」がある。有栖川熾仁(たるひと)親王との婚約を無理やり破棄させられて、江戸幕府に降嫁された、あの和宮様である。公武合体論の犠牲者と言われる。ただ、有吉佐和子は、『和宮様御留』で、降嫁されたのは偽者としている。それはともかく、次の歌を残されていると云う。

          惜しまじな 国と民との 為ならば

                 身は武蔵野の 露と消ゆとも

重い物を背負わされた女性の哀しさが感じられる歌だ。その後、有栖川熾仁親王指揮の下、官軍が江戸幕府に総攻撃をかけようとしたが、和宮様は嘆願し、江戸の町を戦火から救ったという。複雑な縁である。もちろん、彼女だけでは江戸は救えなかったと思うが、働きかけの一つとして、なされた可能性はある。

それから、ずっと後、この周辺に、大正時代に活躍した鈴木商店の大番頭、金子直吉の屋敷跡があったらしい。関連企業の社宅があるそうだが、当時の屋敷の面影は跡形もない。まさに、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す」を感じさせる。ただ彼の残した関連企業が生き残っているのが救いだが。

場所は、山陽電鉄須磨浦公園下車。須磨浦公園内を、「みどりの塔」を目指して、東に歩くと、その手前に、南北の細い道路があるので、その勾配の強い坂を上がっていくと、しばらくすると突き当たるので、それを右に曲がると、すぐわかる。流風も、ふうふう言いながら上った。ちょっときついかも。

もう少し、楽をしたいのなら、「みどりの塔」を通り過ぎたところに、歩道があるので、それをつづら折の道を北にしばらく上がってくと、安徳宮らしきものが見える。但し、階段ではないので、滑らないようにする必要がある。距離は、こちらの方があるが、勾配はゆるいだろう。

なお、あのモルガンお雪が灯篭一対を奉納している。彼女は、この地が異人山と言われていた頃、何回目かの里帰りで、この東に1年ほど住んでいたらしい。信仰心の篤いモルガンお雪は安徳宮の社前に灯篭を奉納したことになっている。明治天皇のご病気快癒を願ってのことかもしれない。多分、周囲から母親を通じて奉納を依頼されたのだろう。1基に、加藤コト、モルガンユキと並べて刻み(向かって左側)、もう1基には、明治四十四年九月十日と刻まれている。

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2007年2月27日 (火)

モルガンお雪の時代 (下)

お雪がモルガンと結婚した明治37年(1904年)といえば、日本にとって大切な年だった。日露戦争が始まった(明治37年2月10日)のだ。お雪とモルガンは、まさに、その直前に結婚したことになる(明治37年1月20日)。

ところで、日本が帝政ロシアと戦うには、基本的な国力の差に加えて、財政難で、実際は、とても戦える状況ではなかった。そのため日本は、資金調達のため、国債を大量発行し、引き受け先を探すため、日銀副総裁の高橋是清を欧米に派遣する。しかし、米国は、とても日本には勝ち目がないとして、全く相手にしてくれなかった。

そこで、彼は英国に行き、国債引受を要請する。英国は、日英同盟の関係上、やむをえず、必要額1000万ポンドの内、やっとのことで銀行団が500万ポンド引き受けてくれる。だが、それではまったく足りなかった。

彼は、宿泊先で、対応策を考えたが、方策は見つからなかった。その後、しばらくして天佑が訪れた。英国留学時代の学友の紹介で銀行家の晩餐会に招かれたのだ。その時、ある人物と隣り合わせになる。招かれた時点で、誰かが、そのように配慮したのだろう(*注1)。隣に座った人物は米国の銀行家で、日本について、なぜか多くの質問を発する。高橋是清は、誠実に丁寧に答えた。

高橋是清は、言いようのない不安の中で、眠りについた。そうすると、翌日、昨日会った銀行家が高橋を訪ねて来て、残りの500万ポンドを引き受けようと言う。聞くと、周囲の反対はあったという。高橋は狐につままれた気分だった。

実際引き受けたのは、米国の大財閥でニューヨークの銀行家、クーン銀行のヤコブ・ヘンリー・シフ(クーン・ロエブ商会)いう人物である。彼は名前からわかるようにユダヤ人である。もちろんユダヤのモルガン財閥とも関連があるだろう。彼らは当時から世界にネットワークを張っている。高橋のイギリス留学時代の学友がつないでくれたことに感謝した。

実際は、彼が受けて、周囲の反対にもめげず、ニューヨークの銀行家達を説得し、国債を引き受けさせたのだ。当然、ユダヤの連絡網で、モルガンにも依頼があったはずである。お雪との結婚が直接影響していないかもしれないが、微妙な時に結婚していることになる。

後日、高橋是清が、なぜ引き受けてくれたのかをヤコブ・ヘンリー・シフに尋ねた。彼が引き受けに熱心だったのは、背景は、帝政ロシアによるユダヤ人迫害が影響しているのだった。

しかし、彼らが、国債を引き受けてくれても、日本がロシアに勝つ見込みは薄かった。だが、彼は多分いろいろ策を授けたに違いない。帝政ロシア内には、ユダヤ人の連絡網があり、そこから情報が伝えられていたはずだ。日本は、それを確実に活かしたと思う。

彼らの考え方は、中国的に言えば、敵の敵は味方ということだ。理由は、どうであれ、日本にとっては、必要な戦費調達だった。明治天皇は、後、彼に勲章を授与されているが、それは当たり前だろう。国家存亡の危機にあったのだから。

この感謝の気持ちは昭和天皇も強く持たれていたという。結果的に、ヤコブ・ヘンリー・シフは莫大な利益を上げただろうが、単にお金だけで動いていないところに、彼独特の人生観が見える(注2)。

このように日本とユダヤ人は、微妙に絡んでいる歴史がある。お互い助け合った歴史もある。そして日本人は、欧米ほど彼らを差別しなかった。否、そういうことはしない。普通の外人として接していた。言い換えれば、特別視しない。

それにユダヤ人の常識は日本人の常識と似ているところがある。それが、彼らには快いかもしれない。もちろん日本人とユダヤ人は似ているところもあれば、全然違う発想もするだろう。しかし、そういう歴史の積み重ねも踏まえて、世界を見るのも大切と思う。

*注1

セッティングしたのは、英国の銀行家でユダヤ人のシャンドだ。ちなみに、彼は日本銀行設立の影の立役者と言われる。

注2

だが、日露戦争を終結させたのも、実質、ユダヤ人と言える。それは、止めさせるタイミングを計っていた。なぜなら、ユダヤの資金回収を希望したからだ。結果的に、米国の大統領の仲介で、休戦させる。彼らが、絶妙なバランス感覚で、金にシビアなことは確かだ。日本人は、彼らに学ぶことは多いはずだ。

*追記

ちなみに、モルガンお雪は、夫のモルガンの死後、莫大な財産を相続しながらも、その後の生活は質素だったという。彼女は夫から何を学んだのだろうか。また再婚すると、モルガンの親戚に財産を没収されるため、財産の大半を恋人と噂される、ある男爵の研究費に寄付したという話もある(未確認)。

帰国後は、京都(北区紫野門前町)に住み、戦後の1963年5月18日に急性肺炎で、亡くなっている。81歳だった。お墓は京都の東福寺にあるそうだ。なお2年後の1965年5月にフランスから、お墓に白バラが贈られてきたそうである。

*追記

拙ブログ 「須磨の安徳宮について」においても、モルガンお雪について、若干触れた。

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2007年2月26日 (月)

モルガンお雪の時代 (上)

大体、恋というものは、熱しやすく冷めやすい。一時にパッーと燃え上がっても、長くは続かないのが一般的であろう。一方的に長く愛すると、最近では、ストーカーと言われることも、いいように捉えれば、熱愛というのかもしれない。この辺の区別はなかなか難しい。次のケースは、果たして、どうだったのだろうか。

モルガンお雪は、明治34年(1901年)頃、米国の大富豪の御曹司ジョージ・デニソン・モルガンに熱愛されるが、彼女には、深く言い交わした恋人で、将来を嘱望された京都帝国大学学生、川上俊作がおり、強く拒絶する。

お雪は、結婚する前、祇園の尾野亭の「雪香」という芸妓で、旧姓加藤ユキという女性だった。特に売れっ子というわけではなかったが、色白で面長だったという。ただ胡弓の名手だったらしい。

時代は、ちょうど、尾崎紅葉が『金色夜叉』を書いた時期と重なる。彼が、お雪を題材にしたとは言わないが、状況は少し似ている。また舞台や宝塚の題材になっているようだ。

それはさておき、その後、いろんな事情が複雑に絡まることになる。つまり話の進展と共に、お雪の親たちの欲が絡んだこと(*注1)や、川上俊作の親が、芸妓との結婚に反対で、彼が別の女性と結婚してしまったことが、彼女の人生を変えていく。

ところで、お雪は、外国人と結婚するのは嫌だったので、モルガンに結婚するには、落籍料として、法外なお金を提示してあった。つまり、それはお雪はわざと断るつもりで、莫大な落籍料を提示したのだ。

その金額は、当時のお金で4万円だったという。4万円というのは、現在のお金に直せば、1億円程度言われている (考え方により、4億円と言う人もいる。流風は、1億円程度と思う。しかし、当時は、現在の日本の経済状況とも金銭感覚とも異なる。だから、現在の価値への換算金額以上に、当時の金額としては桁外れであったことは間違いない)。

ところが、そのモルガンは、それを了承したから、大変なことになってしまった。まさかのことになってしまったのだ。それでお雪も引くに引けなくなってしまった。当時の一般の日本人の想像を超えて、モルガンの金力がいかに大きかったがわかる。

川上俊作に、そのことについて、相談したが、冷たい答えが返って来たので、おかしいとは思っていた。さらに、彼女に意外な情報が伝わる。新聞発表で、彼が彼女を裏切り、ある令嬢と結婚してしまったことを知る。

結局、やむを得ず、モルガンが再来日時、やっと了承して、明治37年(1904年)1月20日に、横浜で豪華な結婚式を挙げる。そして不安ながらも、異国で暮らす覚悟をする。しかし、世間は大騒ぎと共に羨望・嫉妬の嵐。彼女が金目当てで、結婚したと思ったのだ。そのため辛い目をされたようだ。見初められて、3年の歳月が流れていた。

その後、彼女は夫と渡米するが、人種差別が現在よりひどく、半年ほどして、渡仏する。現地の社交界では、何かと評判をとるが、夫のモルガンは1915年(大正4年)に亡くなり、莫大な遺産を相続する。しかし、誰も守ってくれる人はおらず、それに世間は冷たい。そのため信仰に目覚め、洗礼をして、教会などに寄付などをしたらしい。生活は質素だったらしい。

もちろん、日本に帰りたい希望はあった。だが日本には帰りたいが、金目当てで結婚したと言われて出国した経緯があり、なかなか思い切りがつかず、帰国に至らなかった。

しかし、第二次世界大戦が勃発し、ついに1938年(昭和13年4月24日)に帰国する。何回か、里帰りしたものの、今回は正式な帰国であった。すでに出国から30数年の時を経て、58歳になっていた。

*注1

米国でプレイボーイだったジョージ・デニソン・モルガンも、お雪の前では純情だったと云われる。彼は、彼女の強い拒絶にあって、一旦米国に帰国するが、それを嘘の手紙を出して、日本に呼び寄せたのは、欲に目のくらんだ彼女の兄、滝次郎である。

次回に続く。

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2007年2月25日 (日)

政治家と政治コスト

政治家のお金が、相変わらず問題になっているようなので、流風も少し考えてみた。これに関する周辺事情を取り取りとめもなく、箇条書きしてみる。

① 別に政治家に同情するわけではないが、まっとうな政治家にすれば~この「まっとうな」という定義も難しいが~、つくづく割りの合わない仕事だと思う。

もちろん、政治家になるのは、リスクの方が大きく、勇気がなければ政治家には、なろうとしないだろう。基本的に目立つことは好きだろうが、ビジネスとして考えれば、本来決して割りのいいものではないだろう。政治をビジネスと比べるのは本意ではないが。

② そして基本的に、政治家は自由業だ。

よって政治家の地位というのは不安定なものだ。選挙民という支持者を失えば、明日から路頭に迷う。政治家は官僚と違って身分保障がない。そのように考えれば、官僚と比べた場合、その報酬は高くないということになる。

③ 議員の最高報酬も官僚の俸給によって決定される。この報酬の決め方も変な感じがする。

決められた範囲内で仕事をするのと、全く新しい価値を創造するのとでは、報酬は大きく異なって当然ではないか。企業で言えば、外回りと内勤の報酬は異なるだろう。それと同じだ。普通、不安定な職業には、成果によって、高給を約束するものである。これは修正する必要があるのではないか。

④ しかし、マスコミはその区別ができず政治家を叩きすぎと思う。むしろ身分が保証されており、現在は官僚が過剰に保護されている。また彼ら同士守りあっている。公務員である官僚の不正は徹底的にマスコミも叩く必要がある。

そうすることによって、官僚の不正はチェックされる。全て情報を公開し、不正できない仕組みを考える必要がある。現在のマスコミチェックは、政治家と官僚のコストバランスからすると、ずれていると感じる。そういう点では、マスコミは露出する政治家に厳しすぎるかもしれない。

⑤ 但し、政治家の不正に対しては、より厳しく処分が望まれる。違反して逮捕されれば、無条件に議員辞職が望ましい。

政治ルールや政治倫理は厳しく守られるべきだ。そのことは第三者機関からチェックされる仕組みが必要だ。だが、三権分立が機能していないように感じる。そこに日本の政治の危さがある。現在、三権分立が馴れ合いになって、非常に甘いことが国民の不信感を煽っている。この辺をどう考えるか。

⑥ 別の問題点としては、議員の評価制度も不透明だ。評価と報酬は政治といえども、リンクさせる必要はあると思う。専門家と国民による評価委員会は必要だ。

現状の問題点は、議員の報酬体系が議員の経験や実績が無視されることだろう。政治経験のプロセスを考えた人材育成がされているのだろうか。よく考えれば、実力主義なのだろうが、それは自己流のような感じがする。

政治家のキャリアを積み重ねる仕組み(キャリア・デベロップメント)があってもいいと思う。また政治家のタイプによって、チーム評価と個人的資質による評価を点数制によって国民に明示すべきだろう。

⑦ 以上に関しては、やや政治家擁護的になっているが、やはり問題は政治資金問題だろう。基本的に政治資金の出入りが不透明なのが、問題だとされている。

以前でもブログに記したように、政治は灰色部分を扱う。そして現在は、政治に何を期待し、何が問題なのかが不明なように感じられる。それゆえに不透明さは付きまとう。

ただ完全に透明にしたら、政治がうまくいくというのは幻想だろう。全て透明にし、政治を拘束して、政治的成果が何も得られなくても国家として望ましいのか。その辺をどう考えるか。

⑦ 但し、国全体に寄与しない、政治資金の私物化に厳しい制限を設けることは必要だ。また政治献金と議員報酬の区別を明確にした会計制度は必要だ。政治献金の使用制限は設けるべきだろう。

もちろん透明度は、時代によって違うだろう。その辺をどうす判断するか。何か基準はあるのか。そのためには、政治活動の範囲を明確に規定する必要がある。そうしないと政治コストはかかるばかりだ。

ただし、きちんとした議員会計制度が確立すれば、議員報酬を何に使おうが、それは問題はない。問題は議員報酬がきちんと議員の報酬になっているかどうかだ。政党が横取りしているとすれば、それは問題だ。そして議員報酬についても、どのような使われ方をしているのかを自ら公表することが望ましいが、強制はしない。

⑧ また政党の運営能力や考え方で異なるが、議員それぞれの政治コストは割高のようだ。

汚職の問題が絡むので、むやみに献金は受け取れない。ところが、国民との交流には費用が発生する。選挙のことを考えると、一般国民へのアピールも含めて、選挙民との人間関係の構築には欠かせないからだ。しかし自分の方から負担しないと、問題が起こる。この辺は、費用の上限を定めるべきではないか。

⑨ 別の視点では、現在、小選挙区制度の問題かもしれないが、やはり現在の国会議員は多すぎるのだろう。そのことが、一人当たりの政治コストを賄えないようにしているのではないか。

そして党としてのシンクタンク機能が弱く、議員個別に政策提言スタッフを揃えなければならないことが、意見の集約に手間取り、結果的に政治コストを上げてしまっている。何が言いたいのかと言えば、政治成果を上げるための政治コストが高すぎるということだ。

⑩ 国民による政治家への、直接・間接の、たかり行為については、厳しく罰則規定を設けるべきだろう。

選挙民ということで、議員の足元を見る行為は禁止させなければ、政治コストは避けられないからだ。そういう意味では、国民の政治意識の高揚が求められる。

以上のことから言えることは、結局、政治家が、明日のことを心配して、政治活動以外の活動に時間を割くようになるのは、ある意味、国民にとっては不幸であるということである。できれば、政治コストに上限を設け、政治資金はある一定限度で心配がないようにし、議員の将来の生活も心配しなくて、政治活動に専念できることが望ましい。

そうすれば、じっくり政治課題に取り組むことが可能だ。できれば、どの党に所属するということではなくて、全国的に有為な人物を個人献金で支える仕組みが必要かもしれない。今後の流れとしては、個人献金を充実させて、企業献金は禁止すべきだろう。個人献金で政治家を育成していく必要を感じる。

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2007年2月24日 (土)

謡曲『殺生石』 (下)

『殺生石』のあらすじは次の通りである。例によって、一応、流風のコメント付き。

①当時、泉渓寺住職だった玄翁和尚が、都へ上る途中、下野国(栃木県)那須野ノ原に来た時、ある石の上で、鳥の落ちることを見つけ、不審に思って、近づいてみようとする。

現象面から、真実を把握しようとすることは大切だが、、、。この辺の温泉には、まだ行ったことがない。今でもガスが出ているらしい。

②すると、一人の里にしては妖艶な女が現れ、殺生石という人を害する怖ろしい石だから近寄るなと注意する。

妖艶な女は九尾の狐であるという設定。実際、玄翁和尚は、人々から言い伝えとして、色々忠告を受けていたのだろう。原因不明を、九尾の狐にしてしまう当時の地元の人たちの気持ちもわからぬでもない。

③その謂れを尋ねると、女は、次のように語る。昔、鳥羽院に仕えていた才色兼備の玉藻ノ前は、帝もお気に入りであった。しかし、実は帝を悩ます化生の者で、帝を悩ますために近づいたのだった。

玉藻ノ前については、以前ブログで触れたので、ここでは記さない。

④しかし、阿部泰成に、その正体を見破られ隠れ逃げたが、三浦介・上総の介に、この野で殺され、その執心が石になったことを語り、自分がその石の魂だと明かし、夜になれば、懺悔のため姿を現すと言い残し、石の中に消える。

人の魂は石に籠るという。お墓もそういう意味があると思う。だから「魂抜き」しないお墓を粗末に扱ってはいけない。お墓を倒す馬鹿がいたが、天罰が下るだろう。考え方によっては、地球上は無縁仏で覆われている。多くの土や石を邪険に扱ってはいけない。

④玄翁和尚は、能力から玉藻ノ前について話を聞き、殺生石に向かって、花を手向け、焼香し、仏事をなして引導を渡し、供養する。悪魔を追い払う魔呪品(実は、この秘法は師の僧から盗み聞きしたと伝えられる。そのため、後日、破門されている)というお経を唱えながら、大きな金槌で打ち砕くと、石が割れ、中から野干が現れる。

仏教的視点と思う。説法して、魂を抜いたということだろう。科学的な裏づけは当時は理解していないだろうから、こういう解決法しか見つからない。ただ石を細かく砕いたので、ガス穴を一時的に塞いだかもしれない。

⑤そして、国を滅ぼそうと、玉藻ノ前となり、帝に近づいたが、調伏され、この野で狩り出されて射殺され、その後は、石となり人を殺してきたことを語り、有難い供養を受けたので、悪事はもうしないと消え失せる。

よくあるパターンで終了。やり方がどうであれ、気持ちの悪いことが収まれば、万事オーケー。

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2007年2月23日 (金)

謡曲『殺生石』 (上)

確か、昨年だったか、一昨年だったか、温泉で亜硫酸ガス、硫化水素ガス、ヒ素などの有毒ガスが発生し、それに巻き込まれて人が亡くなっていた。時々、温泉に行こうとは思うが、そういうのを聞くと、秘湯というところはリスクが大きいかなと躊躇してしまう。

しかし、これは、昔からあったようで、ある場所を鳥などが飛んで来て、急に死んだり、動物がばたっと倒れてそのままになったりして、天から災いが降ってきたと昔の人々は考え、これを「九尾の狐」の仕業と思ったようである。

このことに題材を取り、能にも、『殺生石』として描かれている。玉藻ノ前を九尾の狐と見破った陰陽師の阿部泰成と、大きな金槌を玄翁と言うが、その語源である玄翁和尚とが登場する。

玄翁和尚については、殺生石の害を打ち砕くため、ある和尚の下で修業していたが、和尚は殺生石の害を打ち砕くため、秘法を玄翁和尚の兄弟子に授けるが、その秘法の経文「魔呪品」を盗み聞きして、密かに旅立ち、お経を唱えながら、殺生石を叩き割ったという。それを聞いた和尚は、怒り心頭。玄翁和尚を破門にする。

盗み聞きは確かに悪いことだけど、危険を顧みず、時を措かず実行した玄翁和尚は偉いと思う。世の中、知識はあっても、実行しない例は、多々見られる。和尚は、兄弟子の手前、破門にしたかもしれないが、その実行力は評価していたと思う。玄翁和尚に民を救済するという問題意識があったのだから。

『殺生石』の舞台は、那須湯本温泉の源泉「鹿の湯」の西方にあると言う。流風は、まだ行ったことがない。将来、落ち着いたら、怖いもの知らずで、行ってみようかなとも思う。今でもガスが噴出しているそうだが。

あらすじは、次回、謡曲『殺生石』(下)にて示す。

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2007年2月22日 (木)

『金色夜叉』とそのモデル (下)

ところで、この尾崎紅葉の名作『金色夜叉』は、1897年1月1日から1902年5月11日まで、読売新聞に掲載されたそうだ。近年、この小説のモデルが、アメリカの小説にヒントを得ていると研究者によって明らかになっているらしい。

流風は、その内容について確認していないので、何とも言えないが、果たしてそうなのだろうか。海外に、その小説のモデルはあるのだろうか。ただ、このような男女関係は、世界のいろんな所で起こっているものと推定される。

モデルを海外に求めるのは、少し解せない。当時、海外の文化の輸入も考えられるが、あまりにも、ありふれた題材ではないか。だから、尾崎紅葉が、海外の小説を参考にしたとは、あまり考えられにくいことだ。

むしろ、彼の友人に同様なことがあって、彼が、友人の彼女を蹴飛ばした、というのが真相に近いだろう。小説の題材というのは、身近な経験が力を持つ。他の書籍の真似では、なかなか魅力的な作品にはなりにくい。

そうは言うものの、流風としては、何とか、この小説を読破して、内容をチェックしてみたい誘惑がある。しかし、モデルが何なのかを突き詰めるには、時間も必要だろう。せいぜい、このブログで、今回うだうだ記すだけに終わりそうだ。

それでも、今までは借りるばかりだったので、覚悟を決めて、文庫版を購入してみた。だが、読破できるのは、いつになるかわからない。それにしても、一体、彼は、何をモデルとしたのか、誰か明らかにしてもらえないかな。そうでないと夜も眠れない(ウソだよ)。

* 追記  

ついでに、ブログの論旨とは関係ないが、熱海の海岸で、貫一が言う台詞(原文どおり、旧仮名遣い)を記しておく。よく舞台で演じられていたが、やっと全台詞を理解した。どこか未練たらしいな。でも若い時は、そうだったかなと苦笑い。

昔は宴会芸でも使われたようだ。名前を入れ替えるだけでも、楽しそうだ。ただ、現在の阪神間の者にとっては、一月十七日とは、意味深で辛いものがあるけれど。

  吁(ああ)、宮(みい)さん かうして二人が一処に居るのも今夜限りだ。

  お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜限り、

  僕がお前に物を言ふのも今夜限りだよ。

  一月十七日、宮さん、善く覚えてお置き。

  来年の今月今夜は、貫一は何処(どこ)でこの月を見るのだか!

  再来年の今月今夜・・・・・十年後の今月今夜・・・・・

  一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、

  死んでも僕は忘れんよ!

  可いか、宮さん、一月の十七日だ。

  来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、

  月が・・・・・月が・・・・・月が・・・・・曇ったらば、

  宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、

  今夜のやうに泣いてゐると思ってくれ。

*2016年2月21日追記

報道によると、近代文学研究者で秀明大学長の川島幸希さんが、東京都内の古書店で、「金色夜叉」の直筆原稿6枚を貼り合わせた巻物1巻が見つかり購入したという。

巻物は、長さ3メートル50センチ、幅27センチ。俳句会で紅葉が参加者の句を添削、採点した紙も鏑木清方の絵と共に別の巻物1巻に仕立てられ、一緒に見つかったらしい。

なお、清方の絵は、主人公・貫一が自分を裏切った宮を足蹴にする有名な場面や、宮が火鉢で暖を取る場面などを描かれている。「昭和二十五年七月清方装画」と箱に書かれている。

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2007年2月21日 (水)

『金色夜叉』とそのモデル (上)

流風が何度か読書に挑戦して挫折している本がある。それは尾崎紅葉の名作『金色夜叉』である。一応、この時期の作品にしては、基本は口語体なのだが、文語体も混じっており、どうも読みにくい。

それでも大体のあらすじは知っている。一高(現在の東大)の学生の間貫一と許婚(いいなずけ)のお宮が主人公である。お宮は結婚を前にして、お金に目がくらんだ親に富豪の富山唯継のところに嫁がされる。そこから、貫一の誤解が始まり、話は進展していく。

以前は、漫才や演芸でよく取り上げられていた。特に、熱海の海岸で許しを請うお宮に対して貫一が言う台詞とお宮を貫一が蹴り飛ばす場面が有名だ。現在は、この小説を読まない人が多いから、笑いは取れないかもしれない。

「熱海の海岸散歩する  貫一・お宮の二人連れ 共に歩むも今日限り 共に語るも今日限り」という歌(*注記参照)は、子供の頃から耳に馴染んでいたので、知っている。長い小説も、このように要点だけをまとめて歌にされると、わかりやすく、馴染みやすい。ただ、人によっては、読書意欲を削がれるけれど。

* 注記        

   『新金色夜叉』 宮島郁芳・作詞作曲

 熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ

 共に歩むも今日限り 共に語るも今日限り

 僕が学校終わるまで 何故に宮さん待たなんだ

 夫に不足ができたのか さもなきゃお金が欲しいのか

 夫に不足はないけれど あなたを洋行さすがため

 父母の教えに従って 富山一家に嫁(かしず)かん

 如何に宮さん貫一は これでも一個の男子なり

 理想の妻を金に替え 洋行するよな僕じゃない

 宮さん必ず来年の 今月今夜のこの月は

 僕の涙で曇らして 見せるよ男子の意気地から

 ダイヤモンドに目がくれて 乗ってはならぬ玉の輿

 人は身持ちが第一よ お金はこの世のまわり物

 恋に破れし貫一は すがるお宮を突き放し

 無念の涙はらはらと 残る渚に月淋し

次回に続く。

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2007年2月20日 (火)

身土不二ということ

「身土不二(しんどふじ)」という言葉がある。「身土不二」はもともと仏教の経典から出ている言葉で、その読み方も違って、「しんどふに」らしい。そのことは詳しく記さないが、その後、明治時代に、身体と土は一緒のものだという考え方に発展したようだ。

長生きをしたかったら、近くの丘を見渡し、見える範囲内(3里から4里の範囲内。すなわち、12kmから16kmの範囲内)のもので、衣食住を賄いなさいということである。現在の日本の言葉に無理やり当てはめれば、意味合いは異なるが、「地産地消」ということかもしれない。

要するに、食べ物であれば~例えば、水、穀物、野菜、果実、肉、魚などを指す~、地元の旬のものを食べなさいということである。極端に言えば、その地、その季節で取れないものは、無理して食べることも無いということを意味している。季節外れの食べ物や遠い地で生産された食べ物は避けた方が望ましいということです。

人間の身体は、自然の一部なので、住んでいる風土に適応した食品を口にすることが求められる。このことは、出張先の食べ物で胃腸の調子が悪くなるとことが典型的に示している。違った地域に行くと、よく水が合わないということを言うが、その言葉が人間の身体をうまく表現している。

ところが、都会に行けば行くほど、そういう生活は不可能になってしまう。都会は、本来仕事をするには有利だが、人間が住むところではないということになる。現実に身土不二という生活は難しいかもしれないが、長生きしたかったら、思い切って都会を離れるのも一つの手かもしれない。

ただ、いきなり田舎住まいは勧めない。ベストは、大都市→地方都市→地方市町村→田舎という段階を踏まないと、とても馴染めないだろう。まず地方と交流を深め、コミュニケーションできる先を探すことが必要かもしれない。定年退職者には、その点、多くのチャンスがありそうだ。現役である人も、将来を睨んで、田舎住まい(地方の市町村住まい含む。最悪、地方都市)のために手を打っておくのもいいかもしれない。

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2007年2月19日 (月)

本物の日本酒の時代?

ビール業界が不振らしい。そこで、M&Aの登場となる。流風は、そこまで悪化しているとは知らなかった。そういうと、最近は、ほとんどビールを飲まない。いや、飲まないようにしている。

というのは、ビールは冷やして飲まないとうまくないが、冷たいものは、年齢と共に、あまり宜しくない。若い頃は、ビールだけでなく、飲み物というものは、コーヒーにしろ、ジュースにしろ、お茶にしろ、夏場は、よく冷えたものを飲んでいたが、最近は、胃腸が弱ったため、温かいものオンリーにしている。

そこで、最近、酒類は、大抵が、昔は、ほとんど飲まなかった日本酒になった。歌じゃないが、温めのカンをして、ちびちびやっている。量は飲まないので、質重視。できるだけ本来の日本酒、純米酒を購入している。これだと、不思議と悪酔いしない。

だから三増酒(*注記参照)であるパック酒は決して買わない。これは混ぜ物の多い安物のワインと同様だ。あれは安いけど、日本酒でないような気がするからである。だから料理酒にも使わない。料理にも、いいお酒を使う方のとは微妙に味が違う。

清酒業界も大変と聞くが、業界は、中途半端な商品を作らず、本物の日本酒を造るべきだろう。本物の酒を少しだけ嗜めば、酒が百薬の長であることには変わりない。本物の酒造文化を残せばいい。本来の日本酒の味が浸透すれば、徐々に市場は拡大するだろう。

そして業界は、日本酒が本当の日本酒に変わっていることを、酒をあまり嗜まない人々にも、もっとアピールすべきだろう。その辺にビジネスチャンス拡大のヒントが隠されていると思う。

*注記 三増酒

要するに水で薄めたお酒。戦後、ずっと日本人は、戦時中の米不足の時代に開発された、この偽物のお酒を日本酒と思わされてきた。

最近、やっと純米酒が出回るようになった。しかし、昔の安い酒に馴らされた人々は、本来の日本酒、純米酒に違和感を持つようである。

戦中の哀しい酒文化の名残である。だが、若い人やあまり酒を飲まない人にとっては問題はない。今後は、本当の日本酒の味を知った人が徐々に増え続けると思われる。

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2007年2月17日 (土)

少子化のもう一つの側面

問題発言した、かの大臣は、少子化は女性に原因があるとしていたようだが、それだけではない。重要なことは、男の精子に問題があることが大きく報道されない。

精子の量が減っていることは、医学界からも指摘されて、一般に知られていることだが、精子の変形、欠損も非常に多いそうだ。原因はいろいろ指摘されている。

まず、現代は過度のストレスに問題がある。戦前と比べれば、情報量は増えたが、それに比例するようにストレスは増えている。特に男はストレスが女性に比べてたまりやすい。こういうことが、精子に何らかの影響をもたらしている可能性はある。

ストレスを減らすには、過度の希望を持たないことだろう。戦後、デモストレーション効果で、隣と比較する心理で、マーケティングは展開してきたが、それが人々の心を蝕んでいるかもしれない。現在の日本のストレス過剰時代に対応するには、まず情報入手を削減することが求められるかもしれない。

次に、その大きな原因は、戦後の食生活の洋風化と言われている。それは、未だデータが不十分で根拠は明確ではないが、学者によっては、農薬、各種添加物、プラスチック包装物などの影響があるとされる。

もちろん、業界からすれば、明確な裏づけがないとしている。しかし、戦前と戦後の食生活の比較はする必要がある。そして戦後発生した病気のデータ化はそう難しそうではない。戦前にあって、戦後に無くなった物、そして戦前に無く、戦後にある物の比較をして、調べていけば、自ずから、何かが見えてくるものがあるのではないか。

何らかの影響が精子に及ぼしているはずだ。その他にも、花粉症、アトピー、O-157、鳥インフルエンザ、癌の多発など、全て食事とその周辺に関係するものばかりだ。もちろん、外部の生活環境の悪化も考える必要があるが、食事の影響は大きいと考えられる。

思えば、明治生まれの人々は皆、粗食だった。現在のような飽食の時代ではなかったし、医療水準も高くはなかった。それでもたくさん産まれて長生きしている。もちろん、多く産んで多くが戦争や病気で亡くなっていることも事実なので、単純な発想は危険だが、長生きしている人は、子供時代から粗食で、よく働いて体を動かしている。野菜中心で、肉などは滅多に口にしなかったと言う。そうしたことが、健全な精子を育んでいるのではないか。

それに比べれば、現代は、食の欧米化で、肉食の増加が、精子に何らかの弊害をもたらしていることは推定できる。加工食品の多くの利用も何らかの影響を及ぼしているだろう。私達は、これをどのように考えるかで、食生活は変わってくる。

以上から、結局言えることは、適切な競争は社会の進歩をもたらすかもしれないが、過剰な競争は、人々にあまりよい影響を与えないということだろう。しかし、その「適切な競争」というものが曲者かもしれない。時代に流されないように自己を確立して、どこでバランスを取るが、今後の各個人の課題かもしれない。

そして、戦後の洋風の食事を見直して、日本の米・豆・野菜中心の伝統的食事の見直しが必要だろう。そのためには、まず味覚を取り戻すということを基本にすればいいと思う。ハンバーガーやカレーばかり食べていると、味覚障害を起こすことは、既に指摘されている。子供時代から、味覚を養う意味で、日本食を推進することが望ましい。そうすることが健全な精子の復活につながるのではないか。

そういう意味では、各個人が、これらをどう考えるかによっても、人口の増減はありうるかもしれない。人々が子孫の繁栄を願うとすれば、これからの日本人の生き方の見直しと日本食の再評価が求められるのではないか。

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2007年2月16日 (金)

天の恵みへの感謝 (下)

(石川理紀之助 『常訓抄』 前回からの続き。コメントは流風)

一、万事堪忍すべし。

自然を相手にすれば、なかなか人間の思惑通りには行かない。あまり結果を急がないことだ。自分の思っていることが、相手(天地人)に真に伝わるには、時間がかかる。理解の仕方は、様々だ。そして、無条件に受け入れてもらうには、自己の涵養以外にない。それにも時間がかかる。

一、難儀なることは自分になし、易きことは人にゆずるべし。

農業をやるという共同体においては、誰にでもできる成果は他人に譲り、困難な仕事はすすんで引き受ける。人の成果を横取りしても、長い目で見れば、うまくいかない。お人好しと言われようが、誰にでもできる成果は与え続ければいい。困難で嫌なことを引き受ければ、能力はアップする。そして思考が深くなる分、人間性も磨かれる。

一、予産を立てて家産を持つべし。

常に災害に備えて、備蓄が求められる。そのためには、収入以上の生活をしない。それは個人も企業も同じであろう。収入の8割で家計を回し、2割は貯蓄し、将来に備える。ただ、将来の目標が明確でないと、貯蓄は無駄になる。

一、遊芸を好むべからず。

芸事や骨董品収集などは、身を滅ぼす。往々にして、仕事を忘れてしまい、時間とお金の無駄遣いにつながる。土地を耕すという本分を忘れてしまったら、必ず天罰が下る。大体、経営者の場合でも、三代目から芸事や骨董品収集などに手を出す傾向あり。基本的には手を出さない方がいい。所詮、捨て金に過ぎない。

一、無尽を立つべからず。加入すべからず。

金銭の貸し借りは、碌なことがない。人間関係の破綻は、ここから生じる。貸さない、借りない。

一、利益ありとて家業の外事すべからず。

本業以外には手を出さない。ちょっと儲かりそうな話があると、すぐ乗りたくなる心をじっとこらえて、本業に精を出す。その方が成果が出やすい。

一、人の保証となるべからず。

決して保証人にはならない。これは親戚・兄弟であろうと同様。過去に判を押して、人生を破滅した人は数知れず。

一、大酒のむべからず。煙草のむべからず。

酒の飲みすぎは過ちを犯す。煙草は吸わない。気分転換するには別の方法を考える。

一、賭博は勿論、すべての賭け事すべからず。

博打に限らず、投資の類や宝くじなどにも、お金を使わない。法律に触れるものはもちろん、合法的なものにさえ手をださない。

一、公租は勿論、他の納むべきものは、窮するほど速かにすべし。

税金は、どんなことをしてでも、まず納める。それは日頃の心構えで決まる。国民は国家に守られていること認識すべきだ。他国の三流国民の真似をする必要はない。ただし、公務員の無駄遣いは監視すること。あまりにも組織効率の悪い仕事が多すぎる。

以上のことは、別に農業者でなくても、活かすべき教訓だろう。常に最悪を考えておけば、余裕をもって仕事や生活ができる。若い時は、教訓話を嫌がるが、結局、一番効率がよい。それには、若い人は、まず、この教訓の元になる原因・結果を事例から探り学び、自ら納得することが大事かもしれない。

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2007年2月15日 (木)

天の恵みへの感謝 (中)

(前回からの続き)

そこで、石川理紀之助が、べし・べからず集として、農業精神『常訓抄』を残しているので、記しておく。例によって、流風のコメントも付記しておく。

一、天地の御恩を忘るべからず。

自然物は天候に左右されるのは、今でも変わらない。天の恵みというのは、今でも言える。

一、みだりに生物を殺すべからず。

食べるのに必要以上に、生物(動植物)を殺すことは、感謝の心が足りないからである。食べ物を残すことも、当然、恵みに対する冒涜だ。自分の食べられる量を知ることは大切だ。

一、家内、村内殊に睦じうすべし。

農業は、お互い助け合わないと、うまくいかない。そのためには、いわゆる「談合」も必要だ。人間関係が密になれば、談合は自然発生的に起こる。今、国内で問題になっている談合は、一部の利益を独占し、世間の全体の利害と相反するからだ。行き過ぎた談合が問題になっているのだ。

一、正直と礼を正しくすべし。

きちんと仕事をすれば、必ず返って来る。過去のデータを分析し、きちんと仕事をすれば、近未来は予測できる。そして、得た情報を独占しない。そして、分を弁え、相手を尊重することで、社会がうまく回る。

一、自ら働きて人を使うべし。

率先垂範。山本五十六(*注記参照)ではないが、人に指示するだけでは、人は動かない。心、頭、体、それぞれのリーダーシップが大切だ。

*注記 山本五十六の言葉

流風は、山本五十六をあまり高く評価していないが、次の言葉は、リーダーの心得として、ぴったり当てはまる名言だと思う。

 「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」

その他にも、次の言葉も残しているようだ。

 「苦しいこともあるだろう、言いたいこともあるだろう、不満なこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、泣きたいこともあるだろう、これらをじっとこらえていくのが、男の修業である」と。

次回に続く

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2007年2月14日 (水)

天の恵みへの感謝 (上)

明治時代は、各地に貧農が溢れていた。明治維新の混乱により、それは更に江戸末期より輪をかけていたと云われる。この時代に活躍した篤農家として、石川理紀之助がいる。彼は秋田の人である。「一日一合あれば、人ひとりを救い得る」として、本人は質素な生活をし、貧農を指導し、農業の発展に尽くしたと云う。

流風は彼のことについて、これ以上詳しくは知らないが、現代の日本人は、「頂きます」とか「ご馳走様でした」という恵みに感謝することを子供に教えない親もいるという。

流風の子供時代は、「頂きます」を言わないと食事させてもらえなかったし、食事が終わって、「ご馳走様でした」と言わない限り、席を立つことを許されなかった。

理由を聞くと、「頂きます」は、お百姓さんが一生懸命汗水たらして作られたことに感謝しなければならないし、「ご馳走様でした」は料理を作ってもらった人(この場合、母)に感謝しなければならないと説明していた。

当時、何となく「頂きます」の意味はわかったが、「ご馳走様でした」は、まずい料理でも言わなければならないのか、少し不満であった。母は料理があまり好きでなかったので、あまり美味しくなかったからだ。作ってもらえることに感謝しなければならないとわかったのは、ずっと先のことである。

でも、そういうことが家庭で教育されていない家庭があると聞くと、少し寂しい。それに加えて、かつて農業国家であった農業精神が全体的に失われつつあることに危惧を覚える。

次回に続く

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2007年2月12日 (月)

生き方は健康法につながる

生き方というものは健康につながるようである。一般に悲観的な人ほど病気に罹りやすいと云われる。勿論、過度の仕事は健康を害する。そして、結局、それは考え方に帰する。そのことがわかったのは、皮肉にも病気になってからである。そういう意味では、流風は凡人なのだろう。

かつて会社再建王と云われた原安三郎については詳しくは知らないけれど、火薬製造会社にいたにもかかわらず、戦争中も軍用火薬を製造しなかったらしい。当時、そのようにするのは非常に難しかったはず。詳しいことはわからないが、信念があったのだろう。それとも別の理由があったのだろうか。

その人が、健康法と処世法は一緒だという言葉を残している。最近の健康食品に関する報道は情けないが、誰でも、自分の健康法については、自分で編み出すしか方法がないということだろう。万人に通用する健康法はないということだ。ただ、他人の健康法も、時として参考になる。彼の健康法に関する内容は次の通りだ。流風なりのコメントを付加しておく。

一、時間は短くとも、よく眠ること。朝は早起きであること。

熟睡が大切。時間の長さではない。適切な睡眠時間の長さは個々人で異なる。また、身体を暖かくして寝ること。人間は、無防備な寝ている間に病気になるということもよく聞く。

そして、早寝早起きの習慣は、いつの時代にも健康法につながる。それに朝の頭の回転は、夜の数倍という。朝に情報を整理すれば、それで一日が決まる。夜更かしや寝坊することは、あまりメリットがない。

二、食事は少なく、腹八分目。

現代人は、栄養が大切とか言って、過剰に食物を摂り過ぎる。飽食は病気になりやすい体質を作る。他方、痩せるために食べないのも悪い。自分の命を縮めるだけだ。要するにバランスだ。

三、酒は飲めない、飲まない。人にも勧めない。煙草は積極的に手を出さない。

適度な酒はよいかもしれないが、他人には飲めないと言っていた方が無難。もちろん、他人にも酒の無理強いはしない。そして煙草には何のメリットもない。

四、データの完備したものに限っては、物事はすべて、その場で処理する。

処理できるものは残さない。仕事のスピードが早い人は結局そういうことだろう。今、問題になっている残業問題もそうだろう。結局、仕事が整理できず、段取りの悪い人間が残業する。また組織が残業を望む雰囲気があるとすれば、企業経営者に問題がある。

五、心配はしても、心痛はしない。

心を配ることと心を痛めることは、全く意味が違う。色々考えて、配慮はすることは大切だが、考えすぎて、ストレスをためることは何の意味もない。

六、決して物事に捉われない。すべてを呑みこんで処理し、それに支配されない。

新しい決断をする時は、噂とか、思い込み、先入観に左右されない。全て白紙で臨む。そのためには、日頃から、自分という鏡を磨いておく必要がある。

七、六十歳を過ぎれば、一切の義理、見栄、面子などで頭や体を労しない。

要するに嫌なことはやらない。嫌なことは断る。自分の心に逆らわない。基本的に自由人を目指す。結局、この段階では、なるようになる、と考えるのが自然。ケセラセラ。

八、正直に、ざっくばらんに。

妙な駆け引きなど考えない。人の道として正しいことを主張する。そして心理的壁を設けない。当方が、色眼鏡で見たり、駆け引きすれば、見える物が見えなくなる。そして、相手に緊張させない雰囲気を作ることは大切である。

九、思いついたことは、遠慮なしにしゃべる。

誰にでも許されることではないだろうが、そうしたいなら、若い時からそうするべき。そういう人だと思われたら、そういうことができるようになる。

ただ、少し間違えば、誤解が誤解を生む。相手をよく知り、相手により使い分ける。ある程度の計算がなくてはならぬ。

十、人から忠告されて、こちらでもいいと思ったことは、片っぱしからすぐ取り入れる。

忠告が全て正しいこととは限らないが、心に響いたら、即実行する。それは自分がやろうとしたけど、躊躇っていたものだから。

彼の言っていることは、このように自然体で臨めば、心に負担が少なくて、結果的に健康につながるということかもしれない。なかなか難しいことかもしれないが、そういうことを可能にしている企業は自由闊達の雰囲気があり、元気がある。

元気な会社の原因は、そういうことにあるのかもしれない。彼は、会社の再建を通じて、それを獲得したのだろう。危機に瀕した企業を再建するには、彼のように振舞うのがいいのかもしれない。

* 追記 本ブログの論旨とは異なるが、原安三郎のエピソードについて紹介しておく。

彼は、早稲田を卒業した時、成績はトップだったようだ。だから、総長の紹介で、三井物産を受けた。しかし、足が少し不自由だったことから、入社を断られている。

当時の三井物産の常務へも総長から話がつけてあったにもかかわらず、風采があがらないから、三井には相応しくないとして、人事課長から、はねられているのだ。

しかし、これで、彼は発奮したというから、人生、わからない。若い人も、希望先に就職できなくても、くよくよすることはない。

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2007年2月11日 (日)

神戸ビエンナーレ

今年の秋の話で、少し先のことだが、神戸市で、10月6日から11月25日日までの51日間、『神戸ビエンナーレ2007』を初めて開催するらしい。神戸は文化創造都市を目指しているので、その一環のようだ。

ところが、この“ビエンナーレ”という言葉の響きは、嫌な連想をさせる。わかる人にはわかるだろうが、「鼻炎にな~れ」とは、何事かと怒りたくなる(笑)。やはり、こんなに暖かいと、心配になるのは、例の花粉症。今年はどうなるのだろうか。

少し脱線してしまったが、この“ビエンナーレ”という言葉は、イタリア語(biennale)で、「2年に一度」という意味らしい。最近は、2年に一度開かれる芸術展覧会を指しているようだ。それを神戸で、若干流れから遅れ気味だとは思うが、今年開催する。

内容は、現代アート、音楽、書道、美容、ファッションなど多彩なジャンルの芸術文化の展示や大道芸などのパフォーマンスをやるらしい。

さて、その中で、大道芸で知っているものといえば、流風の子供の頃は、チンドン屋が多かった。家の近所まで「開店」の知らせなどでよくやってきた。にぎやかなので、皆で追っかけた記憶がある。最近でも、時々見かけるようになった。チンドン屋は追っかけても、子供には、特にメリットはないが、時々割引のチラシを持って帰ると母が喜んでいた。

そのほかでは、パントマイムは、サーカスに学校から連れて行ってもらって初めて知った。何も言わずに、身体を動かすだけで笑いを取るので、すごいなあと思ったものである。アクロバットも、サーカスで知った。

大道芸かどうかわからないが、父によく連れられて祭りに行くと、バナナの叩き売りを時々見た。バナナをたくさん積み上げて、口上を言うのが面白かった。最近はあまり見たことがない。

また蝦蟇の油売りも面白かった。実際、血が出ているように見えるので、ちょっと怖かった記憶がある。その他、軽業師による芸もあった。南京玉簾などの芸もよく見た。

さてさて、年末の神戸に、『神戸ビエンナーレ2007』という新しい試みは、どんな楽しみが待っているのだろう。ちょっとわくわくするね。

*  『神戸ビエンナーレ2007』

     10月6日から11月25日日までの51日間。詳しいことは下記参照。

     http://www.kobe-biennale.jp/

* コンテンツ内容

  パンフレットによると、コンテンツは次のようになっている。

    ●アート・イン。コンテナ展

    ●ロボットアート展

    ●ユニバーサルデザインポスター展

    ●エイブル・アート(障害のある人たちのアート)「仲間たち」展

    ●KOBE HAIR ART COLLECTION

    ●スイーツデザイン展

         ●おもちゃ展

    ●現代陶芸展

    ●アーティスティック・フォト展

    ●浮遊するオブジェ展

    ●大道芸コンペティション

    ●招待作家展示

    ●こども絵画コンクール

    ●いけばな未来展

    ●工芸~ひとの手の不思議~

    ●日本画・洋画

    ●書作家展

    ●アートフリーマーケット アートオークション

    ●アート・ランドマーク・ステージ

    ●チャペルコンサート

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2007年2月10日 (土)

報道番組の出演者への疑問

テレビやラジオにおいて、報道番組は花盛りである。朝の報道番組は非常に多い。それだけ、人々が報道に関心を示す人が多いのだろうか。それとも若い人のように新聞を読まなくなっているのだろうか。手っ取り早い情報提供が評価されているのだろうか。しかし、見ていて、妙なことを感じる場合がある。

まず、コメンテイター(commentator)とコメンター(commenter)が混同しているように感じる。前者は、時事解説者とか実況放送者の意である。後者は、批評家という意味である。

だから、彼らの役割は根本的に異なる。つまり、前者は客観性が重要視され、後者は個人の主観的判断によるものである。よって彼らからもたらさせれる情報には明らかに差異がある。

だが、コメンテイターが解説にとどまらず、評論したり、コメンターが評論にとどまらず、専門外で不確かと感じられる件に関して解説をしたりしようとする。

また、彼らの固定的な情報提供及び批評には、情報を偏らせる可能性が高い。1ヶ月ごとに変えよとは言わないが、3ヶ月か半年後とに入れ替えする作業は必要ではないか。

コメンテイターの場合は、専門によっては、専門家が限られる場合もあるだろうが、彼らには、専門という罠が常に潜む。もう少し幅広くいろんな人に解説させる必要もある。

コメンターの場合も、いろんな層から、批評させる必要があると思う。彼らの場合は、主観が出すぎるので、情報を歪める可能性が高いからだ。

次に、司会者や彼らについているスタッフ的立場の人が、意見を誘導したりして、情報操作している番組もある。司会者やそのスタッフが意見を言いたいのなら、彼らは仕事を辞めて、コメンターとして位置づけるべきだろう。そういうところにも混乱が感じられる。

結局、言えることは、報道番組は、多用な情報を提供して、視聴者に判断させるべきものである。出演者は、それぞれの役割を理解し、分を超えない程度に発言し、視聴者に誤りなき報道をすることが求められる。あくまで、判断するのは視聴者であるという原点に戻って欲しい。

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2007年2月 9日 (金)

権力とマスコミ

マスコミは、常に権力に対して批判的でなければならない。それは、権力というのは、常に腐敗するから。しかし、一部マスコミは権力に阿(おもね)ている。権力に擦り寄って政権の広報活動をしていては、マスコミの本来の役割は失われる。

逆から見れば、権力はマスコミと常に適切な距離を置かなければならない。ところが、政治家が時事政治番組に度々登場するのは解せない。権力に阿ているマスコミに出演するのは気持ちよいかもしれないが、それは結局、政治家のためにもならない。

結論を言うと、いかなる政権であれ、権力というものは常に批判に晒される、そういう状態が望ましい。全てのマスコミは原点に戻って、権力腐敗をチェックすべきだろう。そして、政治家は、マスコミと常に適切な距離を置くべきだろう。

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2007年2月 8日 (木)

政治家と官僚

政治家と官僚は全く違う仕事だ。ところが、官僚が政治家に転身することが度々ある。しかし、これは難しいことだ。政治家という仕事がわかっていなくて、官僚から政治家になっても、何もできない。そういう例は多々ある。

官僚の仕事は、本来は現在ある仕組みの下で、効率的に回して行くことにある。基本的に、現在の仕組みの維持・拡大を重んじる。しかし、政治家の仕事は、世界、国家、社会、国民の意識などの動向や雰囲気を読み取って、あるべき方向に変えていくのが、仕事だ。だから、まったく方向性も仕事の中身も違う。

よって、官僚の意識のままで、政治家になっても、それはほとんど仕事はできない。官僚としては優秀でも、政治家として有能とは限らない。結局、国家のお荷物にもなるし、国民にとっても税金の無駄遣いにつながる可能性が高い。もちろん、ある程度の時間をかければ、本人の意識変革と努力次第では、本来の政治家になれるかもしれないが、時間が余分にかかる。

そのように考えれば、官僚が、政治に対して何の問題意識もなく、何も学ばなくて、いきなり政治家になるのは、問題が多い。国民は、そのことをよく理解しており、最近の投票結果にも出ている。各政党は、官僚をいきなり政治家にするのは、選挙で負けたくなかったら、慎むべきだろう。

*追記

東国原宮崎県知事は、以上の観点をよく理解されている。選挙の対抗馬であった官僚出身者を副知事に据えるようだ。彼の知恵か、周辺のスタッフの知恵か、わからないが、非常に強かな考え方である。

*追記

2月10日現在、東国原宮崎県知事は、選挙の対抗馬の副知事の採用は断念したようだ。県民の強い反対があるようだ。こちらではわからないが、今までの県政が相当腐っていたことに対する県民の怒りは相当なようである。

元官僚を官僚として使う東国原宮崎県知事の発想は理解できるのだが、それさえも許さない県民の怒りは、頂点に達しているようだ。ただ、政治は感情で行うと失敗する。冷静な県民感情を取り戻されることを期待する。

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2007年2月 7日 (水)

謡曲『箙』と若武者の風流

 雪降れば 木ごとに花ぞ 咲きにける

  いづれを梅と わきて折らまし

   古今和歌集 337   紀友則  (*注記参照)

雪などは、当方には全く見られない。ただ、あちらこちらで梅の花が咲き始めたと言いたいところだが、例年より暖かく、地域差はあるだろうが、満開に近い。ところで、あの生田神社の社務所前に、有名な逸話になった「箙(えびら)の梅」がある。ここの梅も満開に近い。

ただ場所が会館の駐車場の近くのため条件がよくない。車が停まっていると、十分に鑑賞できないのだ。神社側は多分、この謂れのある梅をそれほど重視していないのだろう。そのため、多くの人々は気づかずに本殿の方に参っている。

ところで、箙とは、矢を差して入れておく器のことで、背負うものである。謡曲『箙』(*注記参照。あらすじは別掲の予定だったが、茶化すような筋ではないので、注記に記しておく)は、梶原源太景季(かげすえ)の逸話に題材を取っている。彼は、梶原景時の嫡男で、宇治川の戦いで、佐々木高綱と先陣争いをしたことでも有名。

そして、この戦いに続いて参戦したのが、一の谷の戦いだ。彼は、この合戦時、箙に梅の小枝を差し、戦場を駆け巡ったという。そのため、梅の香りが周囲に漂い、敵味方関係なく、その風雅に対して賞賛した。

文武両道に秀でることは、武士(もののふ)の道に適うことである。日本は、かつては、このようにバランスを重視してきた。現代は、天才的な人を好む傾向があるが、そういう人は全体の1%もいれば十分だ。

日本では、常識のあるバランスの取れた人間が、他者を活かし、あるいは自分が活かされ、「和」でまとまることで、力を発揮する。分散と集中、右脳と左脳、男と女の役割などバランスが取れて、社会はうまく回っていく。この謡曲の作者は、別にそのようなことを意識したのではないだろうが、「箙の梅」を見て、ふと、そう思った。

なお、元町商店街の元町三丁目に、この逸話を題材にした飴を「えびら飴本舗」が売っている。生田神社の近くにないのが少し残念。店には、逸話の絵が飾ってあり、雰囲気がある。「えびら飴」の謂われは、梅は味が変わらないところから名付けたようだ。上品な味である(*追記。残念ながら、2010年5月27日に閉店している)。

*注記

今年は暖冬のため、雪も降っておらず、この歌のような情景は味わえない。なお、この紀友則の歌は、「木ごと」→「木毎」。すなわち、「梅」という漢字を解字して読み込んでいる。

「箙(えびら)の梅」の逸話とは関係がないと思われるが、梶原源太景季が『古今和歌集』を読んでいて、知識がなかったとも言えないので、挙げておいた。少なくとも、風流を理解する若武者であっただろう。そういうと、あの敦盛もそうだった。

*注記

謡曲『箙(えびら)』の原作者は不明で、あらすじは次の通り。

一、早春の頃、九州より都見物を志す旅の僧が、須磨の浦の摂津の国の生田川のほとりに着く。

二、そこに、今は盛りに、色鮮やかに咲いている梅ノ木があった。ちょうど、やってきた若い男に、「この梅は何というのか」と問うと、「箙の梅」だと答える。

三、続いて、「どうしてそういう名がついたのか」と問うと、男は「源平合戦の折、源氏方の若武者、梶原源太景季(かげすえ)が折から咲き誇っていた梅の花を手折り、笠印の代わりに箙に差したことから、その名がついている」と答える。

四、その後、彼が目覚しい活躍をしたことで、風流を解する武士としても、彼の名を高めたなど、さらに彼は詳しく一の谷の合戦の様子を詳しく語るので、いぶかしく思った僧に、男は、自分が景季の亡霊だと名乗る。そして、梅の木陰に消え失せる。

五、土地の者から、箙の梅のことを再確認し、奇特の思いで立ち去りかね、木陰で仮寝していると、またもや景季の亡霊が現れる。

六、彼は、修羅道に苦しみ悩みの表情で、かつての合戦での目覚しい戦いぶりを見せたかと思うや否や、夜明けと共に回向を頼んで消え失せる。

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2007年2月 6日 (火)

2月の国の制定した記念日

2月になると、二つの記念日がある。

まず、「北方領土の日」。休日になっている2月11日の「建国記念の日」は、ご存知の方は多くても、2月7日は「北方領土の日」であることが、比較的知られていない。

この北方領土の記念日は、1855年2月7日に、日露通好条約が調印された日である。この条約は、日本とロシアの間の通商を開いたものである。同時に、ロシアとの間で国境が画定し、北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)は日本の領土となった。

太平洋戦争末期、ロシア(当時のソ連)は、日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、満州に侵略し、日本軍やその民間人を蹂躙すると共に、樺太・千島列島にも軍を進め、多くの人を死に追いやり、不当に領土を占拠し続けている。

当時の米ソの政治的密約は、どうであれ、日本としては、北方領土返還を強く要求する必要がある。そのためには、妙な妥協は必要がなく、彼らを追い込む必要がある。

祖父や親の世代は、米国・ソ連(現ロシア)は絶対信用してはならないとよく言っていた。米国は無差別空襲や原爆投下をしたし、ソ連は、先程述べた通りである。また多くの人をシベリアに抑留し、極寒の彼の地での強制労働で多くの命が失われた。彼らは何をやるかわからない不気味な国々であることは間違いない。

若い人は、意外と知らない方が多く、現代史をもっと学んで欲しい。また現在、外務省は、世界的視野で、戦略的外交を推し進めているが、一般国民としても見守る必要がある。国民が外務省を後押ししないと、国際的世論も動かせないのも事実だからである。

次に、2月11日の「建国記念の日」は、一般に「建国記念日」と呼んでいるが、正確には、、「建国記念の日」が正しい。流風の祖父母や両親のような世代の昔の人は、「紀元節」と言っていた。それは、記紀により、神武天皇元年(紀元前660年)1月1日に、神武天皇が即位された日とされていたからである。それを西暦に換算して、当時は、、「紀元節」として休日だったという。

戦後、この休日が廃止され、1966年に、「建国記念の日」として休日が追加された。だが、一般には、「建国記念日」という人が多く、この区別ができていない。、「建国記念日」は、、「紀元節」同様、史実を意識しているが、「建国記念の日」は、本来、建国されたことそのものを祝するという意味だ。そこには、当時の政治的駆け引きが背景にあるようだ。

だが、2月11日という日付は、神武天皇元年1月1日を、歴史家が西洋暦に換算間違いしたようで、本来は、「2月18日」らしい。それがわかっていて、改めないのも不思議な国だという感じもする。まあ、流風もブログにまとめるまで、知らなかったのだが。

以上、別に国粋的になる必要はないが、常識として、国の成り立ちと歴史を知り、これらの記念日を思い、国として、どうあるべきかを考えることは大切だろう。

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今年の旧正月の祭り

今年の旧正月は2月18日からだ。農業が主体でなくなった日本では、旧正月が盛大に祭られることはなくなったが、私達も間接的には影響を受けている。

神戸の南京町では、中国の祭りである恒例の春節祭が中国華僑の方々中心により催される。多くの日本人が、観光客として、多くの人々が参加する。そういう意味では、この祭りは完全に日本に溶け込んでいる。

しかし、中国が日本の領土である尖閣列島付近の日本の排他的経済水域内で、海洋調査船を派遣し、資源調査をするなど、日本国民は中国に対して、非常に不愉快な思いをしている。

あんなことをやっても、中国には何のメリットももたらさないだろう。日本国民に不信感を植え付けるだけである。そして、あれは、結局、天に唾するものになるだろう。

だが、国同士ではトラブルがあっても、一般市民レベルでは、楽しく旧正月を祝いたいものである。

南京町で、18日の午前10時45分からの神事に始まり、獅子舞など色々な催しがある。18日のみ、神戸空港で、獅子舞で迎えるらしい(午後3時より30分間)。ただ18日が日曜日であるため、日程を飛ばして、23日~25日にかけて、同じく催しがなされる。皆さん、休日に合わせて商売熱心ですな。

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2007年2月 5日 (月)

芸術家の研鑽と謡曲『絃上』(下)

謡曲『絃上』のあらすじは、次のようだ。例によって、流風の独断解釈つき(笑)。

一、琵琶の名手・藤原師長は、琵琶の奥義を極めようと入唐を志し、須磨の浦に着く。

(奥義を極めるとは、大層だが、藤原師長は自分以外琵琶の名手はいないと天狗になっていたようです。)

二、そこで汐を汲んで帰ってきた老夫婦に出会う。須磨の浦の景色をめで、彼らの住まいの塩屋に一夜の宿を頼む。

(老夫婦が出てくる例の謡曲のパターンですな。また当時の須磨の浦は現在の須磨の浦より範囲が広いので、若干イメージが違うかもしれない。それでも、現在の須磨の浦にも、そういう雰囲気は残されている。須磨の浦は今でも美しいし、観光にいい。今は少し寒いけど。)

三、老夫婦は、師長が琵琶の名手と聞いて、秘曲を聴聞したいと言う。従者にも勧められ、そこで乞われるままに琵琶を弾く。

(一体、あなた、どのくらいの腕前なの。まあ、少し弾いてみなされ。達人が若い人を試す。今でも見受けられますな。若い人を上手に乗せて、成長させるのも、一つの知恵。ただ、若い人が自分の至らなさに気づくかが分かれ目。)

四、俄かに村雨が降ってきて、庇を打つので、弾くのを止めると、老夫婦は、屋根裏に苔を葺き、琵琶の妨げにならないように雨音を整える。

(音響効果は大切だ。地方にも、立派な音楽ホールはありますね。しかし、現在は楽器がよくなっている。ある程度までは、音響効果は気にしないでいい。しかし高いレベルになると、また違う意味で、微妙な音が気になるらしい。達人は場所を選ばないとはいかないようだ。)

五、理由を尋ねると、村雨が板屋を打つ音と琵琶の音とを一調子にしたと言う。

(これは示唆に富む。環境によって、演奏者もそれに応じて演奏する。流風は音楽のことはよくわからないのだが、わかるような気がする。弘法は筆を選ばず、に通ずるのか。)

六、師長は、これに感心し、老夫婦が琵琶・琴など音曲の嗜みがあると察し、一曲所望する。

(多分、師長は、もしかしたら、この老夫婦には、とてもかなわないかもしれないと感じたのでしょう。自分の自惚れが揺らぎ始めたのだろう。そして、目覚めた向上心。技を磨くにはライバルが必要ということ。あの清原がイチローと一緒に練習して、更に上を目指そうとしたのこと同じだ。)

七、老夫婦が琵琶と琴で越天楽を弾くと、その見事さにびっくりし、国内では自分以上の演奏者はいないと思っていたので、自分の未熟さを知る。

(若い人にありがちなこと。高くなった鼻をへし折られた感じ。そういうことを悟らせた老夫婦と、悟った師長の出会いの不思議さ。でも、未熟さがわかった師長は偉いと思うよ。やはり高度なレベルに達していたということを示すものなのだろう。)

八、自分の芸に対する驕りから、入唐しようとした未熟さを恥じ、家を立ち去ろうとすると、老夫婦は、彼を引き止め、実は村上天皇と梨壷女御(安子皇后)であると明かし、師長の入唐を止めるために現れたと告げ、消え去る。

(師長を諭すため、村上天皇と梨壷女御が念じたことが、夢で伝わったことの不思議。どうしても師長を引き止めたい執念が通じたということらしい。また子供に対する愛情のように感じられる。)

九、師長の下人がこれまでの経緯や三面の琵琶について噂をしている。

(下人というものは、どこに行っても噂好き。何と言っても、噂は面白いから。時代が変れど皆同じ。)

十、村上天皇の霊が現れ、龍神に海に沈められ、龍宮に取られた名器の琵琶、獅子丸を下界の龍神に命じて、持参させるように言い、取り寄せる。

(本当は、みんな夢の中でのお話しなんでしょう。取り寄せられたという獅子丸は実在しない。達人になると、獅子丸に対する想いを超えて、想像して音楽が弾けるということか。)

十一、師長に、これを授け、彼が奏でると、天皇も秘曲を奏して、自らも舞を舞い、やがて昇天する。師長も入唐を断念し、名器を携えて、都に帰っていく。

(夢は続いており、獅子丸を演奏して満足する。師長は、これは天からのお告げと理解し、渡唐を断念し、夢の中で名器を弾いた思い出と共に須磨を去る。)

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芸術家の研鑽と謡曲『絃上』(上)

芸術にしろ、人生にしろ、完成というものはないのかもしれない。「完成した」と思った時点で、それは退化が始まっているとも考えられる。芸の道は厳しく、また人生もそのようなのだろう。

そういうことをテーマにしたと考えられる謡曲に『絃上』(げんじょう。流派により、けんじょう)というものがある。まさに芸術家に対する警鐘でもあるように感じられるものだ。

この謡曲は琵琶を題材にしている。当時、唐からの琵琶の名器としては、絃上、獅子丸、青山(せいざん)の三面と云われていた。しかし、獅子丸は、途中で遭難し、二面のみ日本に着いた。絃上も戦争で消失したという。

琵琶の名手・藤原師長が主人公だ。当時、文化の振興をされた村上天皇と安子皇后も登場される。日本三大嫉妬婦人で掲げた安子皇后は、梨壷女御となっている。でも、安子皇后の嫉妬の場面はない。そういう話ではないから。

村上天皇は、歌壇の庇護者であり、楽器にも精通し、文化の向上に寄与されたことは間違いなさそうだ。この謡曲は、国威宣揚を意図して作られた曲というが、純粋に、芸術を学ぶ者たちへの戒めとして受けてもいいのではないか。

なお、藤原師長が名器・獅子丸を埋めたと云われる琵琶塚が、須磨の村上帝社にある。師長が、実際に何を埋めたのか。獅子丸に代わる何かを埋めたのかもしれない。しかし、現在は、山陽電鉄本線の線路により、分断されており、その面影はない。線路の北側に琵琶塚碑があるだけだ。残念なことだ。

場所は、山陽電鉄須磨駅から沿線沿い歩けば、すぐ見つかる。JR須磨駅から山陽沿線に歩いても、5分ほどだ。静かで、誰も参拝する様子はないが、きちんと祀られている。音楽関係の方々は、是非参ってもらいたいものだ。何かひらめくかもしれない。

なお、あらすじは、芸術家の研鑽と謡曲『絃上』(下)にて示そう。

*今回から、あらすじはわかっているので余計なことだという方のために、別記することとしました。だから、ご存知の方は、芸術家の研鑽と謡曲『絃上』(下)は読み飛ばしてください。

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2007年2月 3日 (土)

渡辺崋山の心得

江戸時代の画家、渡辺崋山は、日本画についてだけでなく、商売の心得を残しているのは面白い。芸術家といわれる方は、金銭に疎いと言われるが、どうも渡辺崋山は違ったようである。実は、彼は藩の重役の長男として生まれるが、財政難のため、父の俸禄がわずかであったため、苦労している。そうしたことが金銭感覚を鋭くしているのだろう。

家計を助けるためにやったのが画業だったようなのだ。そんな中で、苦学して、儒教や農学も修めている。後、藩の家老にまでなっている。単なる芸術家でないことが、下記の様な発言になっている。

彼が言っているのは、流風的解釈を付け加えれば、次のようなことである。

一、まず朝は召使より早く起きよ。

これは、誰もよく言うことです。召使より早く起きると、召使も早く起きざるを得ない。模範を示せということでしょうか。ちなみに、早起きは、子供の頃より、習慣化させれば苦労はない。子供に何か役割を持たせると、比較的早く習慣がつく。

一、十両の客より百文の客を大切にせよ。

どうしても高額な商品を買ってくれる顧客に目が行きがちだが、商売は、利幅が薄く、長い取引の商売が成功すると云われている。この感覚は、子供の頃より商売していないとなかなか身につかない。

一、買人が気に入らず返しに来たら、売る時よりも丁寧にせよ。

返品は誰も嫌だ。いろんな客がいるのも事実だ。ここで言う客は普通の顧客である。いつも買ってくれる顧客が返品するのは、余程のこと。きちんと理由を聞いて対処する。

一、同じ商売が近所にできたら、懇意を厚くし、お互いに励めよ。

競争相手が近所に来たら、挨拶もしない経営者がいるのは情けない。競争しつつ、棲み分けすることは可能だ。そのためには、コミュニケーションが必要だ。

一、出店を開いたら、三ヵ年は食料を送れ。

店の者が暖簾分けして独立したら、食料を送って支援せよ、ということらしい。独立したから、ライバルになるから警戒するのではなく、お互い協力する姿勢が大切である。苦しい時の援助は、将来、回りまわって自社に返って来る。

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2007年2月 2日 (金)

新酒の季節と福の神

新酒が酒造会社から販売される季節になってきた。流風は、お酒はそれほど飲めないが、百薬の長ということで、最近は少しだけ嗜むようにしている。でも、酒飲みの方からすると、飲めない方に近いが。

人間、古今東西、酒で失敗することが多い。しかし、流風は、酒を飲ませた方が面白いと若い頃、言われたものだ。どうしても地が出るから。酒は本性をあぶりだす怖いものだ。流風なんて若い頃、暴言吐きまくり(笑)。

ただ酒席で暴言を吐いて降格させられた事件を読んだ時は背筋が寒くなった。流風も、それもあって出世できなかったのかも(苦笑)。しかし、ちょっとやり過ぎではないか。詳しいことはわからないが、酒席での行いであっても、人間の許容度はそれほどまでに低くなっているのだろうか。まあ、部長職の人が、そういう酒乱でも困るけど。

ところで狂言は、お酒を題材にした作品が多い。それは笑いのネタにしやすいのだろう。もちろん、教訓的ではあるけど、それほど深刻な表現はしていない。さらりと流して、笑いを誘って楽しめるものだ。皆、似たような経験があり、笑いを誘いやすい。本当は、深い教訓が隠されているのだけど。

酒にまつわる狂言で、一番有名なのは、小学生も知っている「棒縛」だろう。その他にも、「悪太郎」「舟渡聟」「因幡堂」「伯母ヶ酒」「樋の酒」「木六駄」「寝音曲」「千鳥」「素袍落」「福の神」などがあるらしい。残念ながら、全ては鑑賞したことがない。

今回は、時期に合わせて、めでたい「福の神」を取り上げてみよう。子供の頃に、鑑賞した記憶がかすかにあるが、間違っているかもしれない。高笑いする(大国主命を髣髴とさせる)福の神が酒を飲んで更に愉快になる狂言である。めでたい狂言の一つとされる。

あらすじは、例によって、若干茶化しながら、次のようだ。

一、場所は出雲大社に、年籠り(*参照)に出かけた二人の者が、富貴を祈願して、「福は内、福は内」(*参照)と持参した豆を蒔くと、幕内から、明るい声で福の神が登場する。

出雲大社はいいところだ。昔、行ったことがある。伊勢神宮とはまた違った趣がある。もちろん、縁結びを願ってだが、そういうと、参った後、しばらく女性との接触が増えたような気がする(笑)。結果にはつながらなかったけど。

そのように普通、縁結びを祈願するが、富貴も祈願するんだ。それに大晦日に豆を蒔くということは、流風は知らない。大晦日に厄除け祈願ということで、江戸時代は豆まきしていたようだ。

二、福の神は、二人の参詣を喜ぶ。そこで、この二人が、「富貴になるようにするには、どのようにすればいいか」を尋ねる。そうすると、福の神は「それには、まず種銭が必要だ」という。二人が、「でも、お金がないから、お願いに来たのではないか」と言う。そうすると、福の神か、「いやいや、そういう意味ではない。心の種銭が必要だということを言っているのだ。例えば、正直に生きるとか、親孝行をするとかが大切なのだ」と諭しつつ、お神酒を所望する。

福の神は、まるで酒好きの親戚のお爺さんみたいですな。教訓話を子供時代にうるさく言われるが、世間のことはよくわからないので、正直、訳がわからないこともある。後年、その意味がわかるのは、大体お爺さんが亡くなってから。処世の意味がわかるには時間がかかる。富貴になるのも同じなのだろう。心がけが良くなくては、本当の富貴にはなれない。

三、そして段々酔ってきた福の神は、お神酒の謂われを説き、機嫌よく謡い舞う。

確かに、酒=おみき=お神酒とある。神様と酒は切り離せない。だけど、本来は、供える方が、お神酒を頂いて、酔って神さんと同様の境地になるものでしょう。それを神さんの方が酔って、どうするんだ、と思わぬでもない。それとも、神さんは酔うと人間に近づくのだろうか。何か違う方向に行くような感じがするんだけど。

四、たくさんお神酒や供え物を供えるようにと謡い、高らかに笑って終わる。

おいおい、そんなに供え物を要求するとは。神さんのイメージ悪くなるよ。でも、ものをもらって笑顔のない人は少ない。神様も同様のようだ。最近は、お神酒やお供え物よりお金のほうが喜ばれそうだが。

この狂言は、基本的には、「笑う門には福来たる」という意味のようだ。まあ、お酒が入ると、皆、気が大きくなりますけど。それでも笑いがあったほうが、周囲は幸せ。酒は百薬の長とは云うが、そういう意味もあるのかもしれない。それでは、今年も、新酒を少し頂くとしよう。福の神の教えを噛みしめつつ。飲んだら忘れてしまうけど。

* 年籠り(としこもり)とは

大晦日の夜から元日の朝にかけて、神社仏閣に参篭すること

* 「福は内、福は内」について

流派によって違うらしい。普通の「福は内、鬼は外」というものもある。

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2007年2月 1日 (木)

鳥インフルエンザの原因は何なのか

鳥インフルエンザが各地で問題になっている。現在のところ、宮崎と岡山のようだ。だが、鳥がウイルスをもたらすのであろうか。多くの人々が疑問に思っている。素人的見解だが、一応記しておく。

鳥インフルエンザの原因は、何か別のところにあるような気がする。大体、鳩舎に詰め込んで、鳥を大量に生産すること自体に無理がある。生き物を大量生産する発想は、野菜の工場生産と似ている。野菜の工場生産されたものが栄養価が低いように、鳥の工場生産はやはり無理があるのだろう。まして、鳥は動物だ。

そういった環境に加えて、飼料に問題があるのではと思っている。この問題は、牛のBSE 問題と似ていると思う。ある飼料を与えることによって、病気になりやすい体質になるのではないか。どうもそんな気がする。それがもともと鳥の体内にあるウイルスが反応しているのではないか。

果たして、専門家は、どのように対応するのだろうか。

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