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2007年2月26日 (月)

モルガンお雪の時代 (上)

大体、恋というものは、熱しやすく冷めやすい。一時にパッーと燃え上がっても、長くは続かないのが一般的であろう。一方的に長く愛すると、最近では、ストーカーと言われることも、いいように捉えれば、熱愛というのかもしれない。この辺の区別はなかなか難しい。次のケースは、果たして、どうだったのだろうか。

モルガンお雪は、明治34年(1901年)頃、米国の大富豪の御曹司ジョージ・デニソン・モルガンに熱愛されるが、彼女には、深く言い交わした恋人で、将来を嘱望された京都帝国大学学生、川上俊作がおり、強く拒絶する。

お雪は、結婚する前、祇園の尾野亭の「雪香」という芸妓で、旧姓加藤ユキという女性だった。特に売れっ子というわけではなかったが、色白で面長だったという。ただ胡弓の名手だったらしい。

時代は、ちょうど、尾崎紅葉が『金色夜叉』を書いた時期と重なる。彼が、お雪を題材にしたとは言わないが、状況は少し似ている。また舞台や宝塚の題材になっているようだ。

それはさておき、その後、いろんな事情が複雑に絡まることになる。つまり話の進展と共に、お雪の親たちの欲が絡んだこと(*注1)や、川上俊作の親が、芸妓との結婚に反対で、彼が別の女性と結婚してしまったことが、彼女の人生を変えていく。

ところで、お雪は、外国人と結婚するのは嫌だったので、モルガンに結婚するには、落籍料として、法外なお金を提示してあった。つまり、それはお雪はわざと断るつもりで、莫大な落籍料を提示したのだ。

その金額は、当時のお金で4万円だったという。4万円というのは、現在のお金に直せば、1億円程度言われている (考え方により、4億円と言う人もいる。流風は、1億円程度と思う。しかし、当時は、現在の日本の経済状況とも金銭感覚とも異なる。だから、現在の価値への換算金額以上に、当時の金額としては桁外れであったことは間違いない)。

ところが、そのモルガンは、それを了承したから、大変なことになってしまった。まさかのことになってしまったのだ。それでお雪も引くに引けなくなってしまった。当時の一般の日本人の想像を超えて、モルガンの金力がいかに大きかったがわかる。

川上俊作に、そのことについて、相談したが、冷たい答えが返って来たので、おかしいとは思っていた。さらに、彼女に意外な情報が伝わる。新聞発表で、彼が彼女を裏切り、ある令嬢と結婚してしまったことを知る。

結局、やむを得ず、モルガンが再来日時、やっと了承して、明治37年(1904年)1月20日に、横浜で豪華な結婚式を挙げる。そして不安ながらも、異国で暮らす覚悟をする。しかし、世間は大騒ぎと共に羨望・嫉妬の嵐。彼女が金目当てで、結婚したと思ったのだ。そのため辛い目をされたようだ。見初められて、3年の歳月が流れていた。

その後、彼女は夫と渡米するが、人種差別が現在よりひどく、半年ほどして、渡仏する。現地の社交界では、何かと評判をとるが、夫のモルガンは1915年(大正4年)に亡くなり、莫大な遺産を相続する。しかし、誰も守ってくれる人はおらず、それに世間は冷たい。そのため信仰に目覚め、洗礼をして、教会などに寄付などをしたらしい。生活は質素だったらしい。

もちろん、日本に帰りたい希望はあった。だが日本には帰りたいが、金目当てで結婚したと言われて出国した経緯があり、なかなか思い切りがつかず、帰国に至らなかった。

しかし、第二次世界大戦が勃発し、ついに1938年(昭和13年4月24日)に帰国する。何回か、里帰りしたものの、今回は正式な帰国であった。すでに出国から30数年の時を経て、58歳になっていた。

*注1

米国でプレイボーイだったジョージ・デニソン・モルガンも、お雪の前では純情だったと云われる。彼は、彼女の強い拒絶にあって、一旦米国に帰国するが、それを嘘の手紙を出して、日本に呼び寄せたのは、欲に目のくらんだ彼女の兄、滝次郎である。

次回に続く。

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