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2007年2月 7日 (水)

謡曲『箙』と若武者の風流

 雪降れば 木ごとに花ぞ 咲きにける

  いづれを梅と わきて折らまし

   古今和歌集 337   紀友則  (*注記参照)

雪などは、当方には全く見られない。ただ、あちらこちらで梅の花が咲き始めたと言いたいところだが、例年より暖かく、地域差はあるだろうが、満開に近い。ところで、あの生田神社の社務所前に、有名な逸話になった「箙(えびら)の梅」がある。ここの梅も満開に近い。

ただ場所が会館の駐車場の近くのため条件がよくない。車が停まっていると、十分に鑑賞できないのだ。神社側は多分、この謂れのある梅をそれほど重視していないのだろう。そのため、多くの人々は気づかずに本殿の方に参っている。

ところで、箙とは、矢を差して入れておく器のことで、背負うものである。謡曲『箙』(*注記参照。あらすじは別掲の予定だったが、茶化すような筋ではないので、注記に記しておく)は、梶原源太景季(かげすえ)の逸話に題材を取っている。彼は、梶原景時の嫡男で、宇治川の戦いで、佐々木高綱と先陣争いをしたことでも有名。

そして、この戦いに続いて参戦したのが、一の谷の戦いだ。彼は、この合戦時、箙に梅の小枝を差し、戦場を駆け巡ったという。そのため、梅の香りが周囲に漂い、敵味方関係なく、その風雅に対して賞賛した。

文武両道に秀でることは、武士(もののふ)の道に適うことである。日本は、かつては、このようにバランスを重視してきた。現代は、天才的な人を好む傾向があるが、そういう人は全体の1%もいれば十分だ。

日本では、常識のあるバランスの取れた人間が、他者を活かし、あるいは自分が活かされ、「和」でまとまることで、力を発揮する。分散と集中、右脳と左脳、男と女の役割などバランスが取れて、社会はうまく回っていく。この謡曲の作者は、別にそのようなことを意識したのではないだろうが、「箙の梅」を見て、ふと、そう思った。

なお、元町商店街の元町三丁目に、この逸話を題材にした飴を「えびら飴本舗」が売っている。生田神社の近くにないのが少し残念。店には、逸話の絵が飾ってあり、雰囲気がある。「えびら飴」の謂われは、梅は味が変わらないところから名付けたようだ。上品な味である(*追記。残念ながら、2010年5月27日に閉店している)。

*注記

今年は暖冬のため、雪も降っておらず、この歌のような情景は味わえない。なお、この紀友則の歌は、「木ごと」→「木毎」。すなわち、「梅」という漢字を解字して読み込んでいる。

「箙(えびら)の梅」の逸話とは関係がないと思われるが、梶原源太景季が『古今和歌集』を読んでいて、知識がなかったとも言えないので、挙げておいた。少なくとも、風流を理解する若武者であっただろう。そういうと、あの敦盛もそうだった。

*注記

謡曲『箙(えびら)』の原作者は不明で、あらすじは次の通り。

一、早春の頃、九州より都見物を志す旅の僧が、須磨の浦の摂津の国の生田川のほとりに着く。

二、そこに、今は盛りに、色鮮やかに咲いている梅ノ木があった。ちょうど、やってきた若い男に、「この梅は何というのか」と問うと、「箙の梅」だと答える。

三、続いて、「どうしてそういう名がついたのか」と問うと、男は「源平合戦の折、源氏方の若武者、梶原源太景季(かげすえ)が折から咲き誇っていた梅の花を手折り、笠印の代わりに箙に差したことから、その名がついている」と答える。

四、その後、彼が目覚しい活躍をしたことで、風流を解する武士としても、彼の名を高めたなど、さらに彼は詳しく一の谷の合戦の様子を詳しく語るので、いぶかしく思った僧に、男は、自分が景季の亡霊だと名乗る。そして、梅の木陰に消え失せる。

五、土地の者から、箙の梅のことを再確認し、奇特の思いで立ち去りかね、木陰で仮寝していると、またもや景季の亡霊が現れる。

六、彼は、修羅道に苦しみ悩みの表情で、かつての合戦での目覚しい戦いぶりを見せたかと思うや否や、夜明けと共に回向を頼んで消え失せる。

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