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2007年2月 5日 (月)

芸術家の研鑽と謡曲『絃上』(下)

謡曲『絃上』のあらすじは、次のようだ。例によって、流風の独断解釈つき(笑)。

一、琵琶の名手・藤原師長は、琵琶の奥義を極めようと入唐を志し、須磨の浦に着く。

(奥義を極めるとは、大層だが、藤原師長は自分以外琵琶の名手はいないと天狗になっていたようです。)

二、そこで汐を汲んで帰ってきた老夫婦に出会う。須磨の浦の景色をめで、彼らの住まいの塩屋に一夜の宿を頼む。

(老夫婦が出てくる例の謡曲のパターンですな。また当時の須磨の浦は現在の須磨の浦より範囲が広いので、若干イメージが違うかもしれない。それでも、現在の須磨の浦にも、そういう雰囲気は残されている。須磨の浦は今でも美しいし、観光にいい。今は少し寒いけど。)

三、老夫婦は、師長が琵琶の名手と聞いて、秘曲を聴聞したいと言う。従者にも勧められ、そこで乞われるままに琵琶を弾く。

(一体、あなた、どのくらいの腕前なの。まあ、少し弾いてみなされ。達人が若い人を試す。今でも見受けられますな。若い人を上手に乗せて、成長させるのも、一つの知恵。ただ、若い人が自分の至らなさに気づくかが分かれ目。)

四、俄かに村雨が降ってきて、庇を打つので、弾くのを止めると、老夫婦は、屋根裏に苔を葺き、琵琶の妨げにならないように雨音を整える。

(音響効果は大切だ。地方にも、立派な音楽ホールはありますね。しかし、現在は楽器がよくなっている。ある程度までは、音響効果は気にしないでいい。しかし高いレベルになると、また違う意味で、微妙な音が気になるらしい。達人は場所を選ばないとはいかないようだ。)

五、理由を尋ねると、村雨が板屋を打つ音と琵琶の音とを一調子にしたと言う。

(これは示唆に富む。環境によって、演奏者もそれに応じて演奏する。流風は音楽のことはよくわからないのだが、わかるような気がする。弘法は筆を選ばず、に通ずるのか。)

六、師長は、これに感心し、老夫婦が琵琶・琴など音曲の嗜みがあると察し、一曲所望する。

(多分、師長は、もしかしたら、この老夫婦には、とてもかなわないかもしれないと感じたのでしょう。自分の自惚れが揺らぎ始めたのだろう。そして、目覚めた向上心。技を磨くにはライバルが必要ということ。あの清原がイチローと一緒に練習して、更に上を目指そうとしたのこと同じだ。)

七、老夫婦が琵琶と琴で越天楽を弾くと、その見事さにびっくりし、国内では自分以上の演奏者はいないと思っていたので、自分の未熟さを知る。

(若い人にありがちなこと。高くなった鼻をへし折られた感じ。そういうことを悟らせた老夫婦と、悟った師長の出会いの不思議さ。でも、未熟さがわかった師長は偉いと思うよ。やはり高度なレベルに達していたということを示すものなのだろう。)

八、自分の芸に対する驕りから、入唐しようとした未熟さを恥じ、家を立ち去ろうとすると、老夫婦は、彼を引き止め、実は村上天皇と梨壷女御(安子皇后)であると明かし、師長の入唐を止めるために現れたと告げ、消え去る。

(師長を諭すため、村上天皇と梨壷女御が念じたことが、夢で伝わったことの不思議。どうしても師長を引き止めたい執念が通じたということらしい。また子供に対する愛情のように感じられる。)

九、師長の下人がこれまでの経緯や三面の琵琶について噂をしている。

(下人というものは、どこに行っても噂好き。何と言っても、噂は面白いから。時代が変れど皆同じ。)

十、村上天皇の霊が現れ、龍神に海に沈められ、龍宮に取られた名器の琵琶、獅子丸を下界の龍神に命じて、持参させるように言い、取り寄せる。

(本当は、みんな夢の中でのお話しなんでしょう。取り寄せられたという獅子丸は実在しない。達人になると、獅子丸に対する想いを超えて、想像して音楽が弾けるということか。)

十一、師長に、これを授け、彼が奏でると、天皇も秘曲を奏して、自らも舞を舞い、やがて昇天する。師長も入唐を断念し、名器を携えて、都に帰っていく。

(夢は続いており、獅子丸を演奏して満足する。師長は、これは天からのお告げと理解し、渡唐を断念し、夢の中で名器を弾いた思い出と共に須磨を去る。)

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