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2007年2月25日 (日)

政治家と政治コスト

政治家のお金が、相変わらず問題になっているようなので、流風も少し考えてみた。これに関する周辺事情を取り取りとめもなく、箇条書きしてみる。

① 別に政治家に同情するわけではないが、まっとうな政治家にすれば~この「まっとうな」という定義も難しいが~、つくづく割りの合わない仕事だと思う。

もちろん、政治家になるのは、リスクの方が大きく、勇気がなければ政治家には、なろうとしないだろう。基本的に目立つことは好きだろうが、ビジネスとして考えれば、本来決して割りのいいものではないだろう。政治をビジネスと比べるのは本意ではないが。

② そして基本的に、政治家は自由業だ。

よって政治家の地位というのは不安定なものだ。選挙民という支持者を失えば、明日から路頭に迷う。政治家は官僚と違って身分保障がない。そのように考えれば、官僚と比べた場合、その報酬は高くないということになる。

③ 議員の最高報酬も官僚の俸給によって決定される。この報酬の決め方も変な感じがする。

決められた範囲内で仕事をするのと、全く新しい価値を創造するのとでは、報酬は大きく異なって当然ではないか。企業で言えば、外回りと内勤の報酬は異なるだろう。それと同じだ。普通、不安定な職業には、成果によって、高給を約束するものである。これは修正する必要があるのではないか。

④ しかし、マスコミはその区別ができず政治家を叩きすぎと思う。むしろ身分が保証されており、現在は官僚が過剰に保護されている。また彼ら同士守りあっている。公務員である官僚の不正は徹底的にマスコミも叩く必要がある。

そうすることによって、官僚の不正はチェックされる。全て情報を公開し、不正できない仕組みを考える必要がある。現在のマスコミチェックは、政治家と官僚のコストバランスからすると、ずれていると感じる。そういう点では、マスコミは露出する政治家に厳しすぎるかもしれない。

⑤ 但し、政治家の不正に対しては、より厳しく処分が望まれる。違反して逮捕されれば、無条件に議員辞職が望ましい。

政治ルールや政治倫理は厳しく守られるべきだ。そのことは第三者機関からチェックされる仕組みが必要だ。だが、三権分立が機能していないように感じる。そこに日本の政治の危さがある。現在、三権分立が馴れ合いになって、非常に甘いことが国民の不信感を煽っている。この辺をどう考えるか。

⑥ 別の問題点としては、議員の評価制度も不透明だ。評価と報酬は政治といえども、リンクさせる必要はあると思う。専門家と国民による評価委員会は必要だ。

現状の問題点は、議員の報酬体系が議員の経験や実績が無視されることだろう。政治経験のプロセスを考えた人材育成がされているのだろうか。よく考えれば、実力主義なのだろうが、それは自己流のような感じがする。

政治家のキャリアを積み重ねる仕組み(キャリア・デベロップメント)があってもいいと思う。また政治家のタイプによって、チーム評価と個人的資質による評価を点数制によって国民に明示すべきだろう。

⑦ 以上に関しては、やや政治家擁護的になっているが、やはり問題は政治資金問題だろう。基本的に政治資金の出入りが不透明なのが、問題だとされている。

以前でもブログに記したように、政治は灰色部分を扱う。そして現在は、政治に何を期待し、何が問題なのかが不明なように感じられる。それゆえに不透明さは付きまとう。

ただ完全に透明にしたら、政治がうまくいくというのは幻想だろう。全て透明にし、政治を拘束して、政治的成果が何も得られなくても国家として望ましいのか。その辺をどう考えるか。

⑦ 但し、国全体に寄与しない、政治資金の私物化に厳しい制限を設けることは必要だ。また政治献金と議員報酬の区別を明確にした会計制度は必要だ。政治献金の使用制限は設けるべきだろう。

もちろん透明度は、時代によって違うだろう。その辺をどうす判断するか。何か基準はあるのか。そのためには、政治活動の範囲を明確に規定する必要がある。そうしないと政治コストはかかるばかりだ。

ただし、きちんとした議員会計制度が確立すれば、議員報酬を何に使おうが、それは問題はない。問題は議員報酬がきちんと議員の報酬になっているかどうかだ。政党が横取りしているとすれば、それは問題だ。そして議員報酬についても、どのような使われ方をしているのかを自ら公表することが望ましいが、強制はしない。

⑧ また政党の運営能力や考え方で異なるが、議員それぞれの政治コストは割高のようだ。

汚職の問題が絡むので、むやみに献金は受け取れない。ところが、国民との交流には費用が発生する。選挙のことを考えると、一般国民へのアピールも含めて、選挙民との人間関係の構築には欠かせないからだ。しかし自分の方から負担しないと、問題が起こる。この辺は、費用の上限を定めるべきではないか。

⑨ 別の視点では、現在、小選挙区制度の問題かもしれないが、やはり現在の国会議員は多すぎるのだろう。そのことが、一人当たりの政治コストを賄えないようにしているのではないか。

そして党としてのシンクタンク機能が弱く、議員個別に政策提言スタッフを揃えなければならないことが、意見の集約に手間取り、結果的に政治コストを上げてしまっている。何が言いたいのかと言えば、政治成果を上げるための政治コストが高すぎるということだ。

⑩ 国民による政治家への、直接・間接の、たかり行為については、厳しく罰則規定を設けるべきだろう。

選挙民ということで、議員の足元を見る行為は禁止させなければ、政治コストは避けられないからだ。そういう意味では、国民の政治意識の高揚が求められる。

以上のことから言えることは、結局、政治家が、明日のことを心配して、政治活動以外の活動に時間を割くようになるのは、ある意味、国民にとっては不幸であるということである。できれば、政治コストに上限を設け、政治資金はある一定限度で心配がないようにし、議員の将来の生活も心配しなくて、政治活動に専念できることが望ましい。

そうすれば、じっくり政治課題に取り組むことが可能だ。できれば、どの党に所属するということではなくて、全国的に有為な人物を個人献金で支える仕組みが必要かもしれない。今後の流れとしては、個人献金を充実させて、企業献金は禁止すべきだろう。個人献金で政治家を育成していく必要を感じる。

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