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2007年3月31日 (土)

君が代を考える

君が代の歌詞に文句を言う人があるらしい。その人たちには、戦前の悪い記憶があるからかもしれない。しかし、そのことを実体験していない人たちも騒ぐのは、解せない。

『君が代』はそんなに悪い曲ではない。詞も曲も優れているし、かつて世界から評価されている。念のために、その詞を記すと、

        君が代は  千代に八千代に さざれ石の

           いわおとなりて  こけのむすまで

これを意味がわかるように、更に漢字交じりで記すと、次のようになる。

        君が代は  千代に八千代に 細石の

           巌となりて 苔の生すまで

問題となるのは、この「君が代」の「君」は誰を指すかということのようだ。君が代に反対する人たちは、「君」が「天皇」を指していると受け取り、反対しているようだ。しかし、この歌は、もともと、そういう意味だけでなく、広くある層の一般人の感覚でもある。

ところで、君が代の元歌は、『古今和歌集』の巻第七にある「賀歌」と云われる。その歌を記すと、次のようである。

        わが君は 千代に八千代に 

        さざれ石の巌となりて 苔のむすまで

        わたつうみの 浜の真砂を数へつつ 

        君が千歳の ありかずにせん

        しほの山さしでの 磯にすむ千鳥 

        君がみ代をば八千代とぞ鳴く

        わが齢が やちよにとりそえて 

        とどめおきては 思ひいでにせよ  

解釈は一定ではなくて、いろんな解釈があるようで、皆様は、詠まれて、どのように捉えられるだろうか。流風の独断の解釈では、次のように感じられる。

一人娘が、豪族に嫁いだ。先方に可愛がられ、うまく馴染むか心配だったが、昨年、娘が身ごもり、今年の春、立派な男の子を産んだ。これで、先様も跡継ぎができて、ホッとされていることだろう。

私にとっても、初めての外孫だが、彼が元気で育っていって欲しい。私は、もう歳なので、彼の成長を見届けることはできないが、永遠に先様の栄耀栄華が続いていくことを祈りたい。

と、ざっと、こんな感じに受け取られる。孫が生まれれば、誰でも感じる思いではなかろうか。そして、人々の寿命は限られているが、次々と「生」が受け継がれることに、何か安心感を感じると詠みたかったのではないか。

この解釈が間違っていなかったら、『君が代』という国歌に何も問題はないと思うのだが。さて、皆様は、どのように解釈されるだろうか。

*追記

この『古今和歌集』の巻第七にある「賀歌」を相聞歌と捉える向きもあるようだが、何度読み返しても、そのようには理解できない。読み取る感性が違うのだろうか。

*追記

君が代は、元々、仏説からの発想とも云う。

 

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