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2007年3月 7日 (水)

柿本人麻呂と神社

明石にある柿本人麻呂神社(注記参照)に先日、所用も兼ねて、初めて行って来た。ちょうど明石天文台の真裏の北にある。今まで、明石天文台は、息抜きとして、プラネタリウムを見に、ちょくちょく行くので、近くまで行くのだが、神社には、あまり興味がなかったので初めての訪問になる。

柿本人麻呂については、なかなか専門家でも、不明な点が多いようである。ある意味、謎の人物である。わかっていることは、奈良時代に、持統天皇、文武天皇に仕え、和歌の道に勝れていたということだろう。

出生などは不明のままで、明らかになっていない。後世、「歌聖」とか「歌仙(うたひじり)」として高く評価されている。それに万葉集に残している歌の数が中途半端ではない。また、日本の学者だけでなく、韓国の学者も強く関心を示している歌人でもある。

そこには、彼が渡来人で、古代韓国語もよく理解していたのではないかという仮説がある。確かに、渡来人であるとか、捨て子で渡来人に育てられたとか、色々説はあるようだ。だが事実は不明だ。

はっきりしているのは、彼の作品から、彼が、額田王同様バイリンガルであった可能性は高い(ただ、額田王の場合は、親が鏡の製作者というところから渡来人の二世と推定される)ということだろう。

そういうことを言うのは、万葉集が、日本語的解釈では明らかに限界があるからだ。現代語解釈だと、どう考えてもおかしいものが多すぎる。流風が考えるに、当時は、ひらがなが発生しつつある中途であり、いろんな言葉が混在しているのだと思う。

現代の日本語からすれば、万葉集は言葉の体系が複雑であったと言える。その結果、彼の歌は、表面的な日本的な解釈と、古代韓国語での解釈では、全く意味の異なると考えるのは頷ける。

それに彼は文化的教養は高いのに、身分は低く、難しい立場にあったようで、その鬱憤を建前を日本語で、本音を古代朝鮮語で表現して、憂さを晴らしている可能性は高いと言えるだろう。それは日本に留学している人々が、日本人には、わからないだろうから、母国語で、日本の悪口を言うようなものである。

さて、そのことはさて置き、柿本人麻呂神社は他の地区にもあるようであるが、明石の柿本人麻呂神社が有名であろう。仁和3年(887年)、月照寺の僧、覚証が、柿本人麻呂の霊感をこの地に感じ取り、寺の裏に人麻呂を祀る祠を建てたようだ。

後、元和3年(1617年)、小笠原忠真が、明石城を築城する際、現在地に移転させ、元和6年、小笠原忠政が、人麻呂公を歌聖として尊崇され、お祀りした。享保8年(1723年)に、正一位の神階と「柿本大明神」の神号を宣下されたという。

御神徳は、祭神が柿本人麻呂のため、和歌の神、学問の神とされる。平安末期には、人丸影供(ひとまるえいぐ)として、歌会に際して、まず人麻呂像をかかげて、お供えする儀式が行われたようだ。

また「人丸→火止まる」というところから、火除けの神様でもある。さらに、「人丸→懐妊(ひどまり)」ということから、安産の神でもある。さらにさらに、人麻呂は愛妻家だったため、夫婦和合の神としても、祀られている。

後世の期待は、いろんな面のある人麻呂だが、この神社から、人麻呂の時代を感じてみるのも悪くないと思う。彼は、この近くで何を感じ取ったのだろう。

*注記 柿本人麻呂神社

交通は、JR明石駅を下車し、北側の線路伝いに東800メートルを行って、明石天文台を目指して北に上がる。若干わかりにくい。初めての人は、山陽電車人丸駅を降りて、北に上がる方がわかりやすいかもしれない。

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