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2007年4月14日 (土)

敬語の難しさ

敬語は、なかなか難しい。自分のことは棚に上げても、他人の話す敬語の乱れは感じられることは多い。そうだからと言って、自分が正しい敬語をつかっているかというと、怪しいものだ。

それに放送局の人間でも、必ずしもまともな言葉を話していない。大変、聞き苦しい時もある。民放は、アナウンサーでもひどいものだが、あのNHKでも同様だ。アナウンサーは正確な言葉を話しても、ディレクターあたりになると怪しい。それほどに、敬語が正しく話されていない。

また芸人であっても、言葉遣いが悪いと、芸の品を落としてしまう。関西の芸人は、もはや芸とは言えないように感じる。言葉遣いが出鱈目な若い芸人も多い。それが若い人たちに悪い影響を及ぼしている。

そういった状況下、文部審議会は、2月に敬語の5分類細分化を答申したが、果たして使い分けることができるのだろうか。

かつての敬語は、「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の三つだが、謙譲語を「謙譲語Ⅰ」「謙譲語Ⅱ」の二つに分け、丁寧語を「丁寧語」と「美化語」に分けるという。

「謙譲語Ⅰ」は、自分がへりくだって相手を高く位置づけ~例、伺う、申し上げる、お目にかかるなど~、「謙譲語Ⅱ」は、話し相手に自分側の行為を丁寧に話す~例、参る、申すなど~ことを指すようだ。なんとなく、わかるような気もする。

「美化語」は、「お」をつける言葉のように美化する敬語を指すらしい。現代の風潮に迎合したもののようだ。

このような細分化はともかく、敬語は、基本的に、相手を立てて、人間関係を潤滑にするものだ。しかしながら、形式に嵌ってしまうと、茶道と同様、本来の目的が失われて、元も子もない。つまり慇懃無礼になってしまう。

基本は、いかに相手を立てているかを示せば、それは自然と相手に理解される。若い人でも、そういう気持ちがあれば、敬語の乱れが多少あっても、伝わるかもしれない。敬語を敬遠せずに、まずは丁寧な言葉を使うことから始めれば、意外と敬語は覚えられるかもしれない。

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