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2007年5月 7日 (月)

落語の楽しさ

落語が一つのブームになっているようだ。落語の楽しさは、同じネタでも、演者が異なることで、その受ける印象が異なることであろう。落語は、そのネタの筋と演者の創造する空間と時間によって楽しめる。聞き慣れた出し物でも、その感じは、演者で大きく異なる。そこが落語の魅力なのだろう。

また落語を鑑賞する者は、演者により演じられる空間と時間を想像しながら、自分もそこに入り込むことができることが、楽しさを倍増させる。そのためには、演者の工夫が求められる。そこに演者ごとの技量が問われている。

そこで、問題になるのが、ネタの演者による読み込みが大切なのか、演者の創造する雰囲気が大切なのかということになる。ネタを広げるのがいいのか、ネタはあまり広げないのがいいのか。

このことで思い出すのが、プレゼンターのプレゼンテーションが多いと、印象が低くなることだろう。ある程度は、説明するが、説明し過ぎないようにするのが、プレゼンターの要諦だろう。

そういうことを踏まえると、落語も、あまり詳しい説明はせずに、雰囲気で鑑賞者が想像し、話を進めていく方がよさそうである。鑑賞者が知らず知らず、雰囲気にのまれていく感じが望ましいということになる。

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