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2007年5月17日 (木)

主体性ということ

よく主体性がない、などと言われる。流風も、若い時、上司によく言われたものです。ただ、この主体性、日本ではマイナーな考え方かもしれない。それは、主体と客体が常に移動しているからだろう。

常に自分が主体とは限らない。すなわち、ある時は自分が主体だが、ある時は客体である。そのように主体の移動が適宜なされるところに、組織の強さがあるのかもしれない。

もっとわかりやすい言葉で言えば、リーダーがその専門分野に応じて、柔軟に変更される組織が強い。縦社会と言われる日本の組織において、比較的柔軟性を確保してきた組織が強かったのは事実だろう。

例えば、ある英会話教室の広告を見ていると、会社では上司が部下の失敗を追及しているが、英会話教室では、部下が主導権を握っている。誰が考えた広告か知らないが、ポイントを突いている。

ところが、もちろん、日本の全ての組織がそうでないことは明らかだ。何が何でも、どんな場合も、自分が主体でなくては満足できない人がいる。それは本人も、周囲も不幸だ。そういう人々は、主体性を発揮することと、その機会を混同している。すなわち客観的に判断して相手の能力の見極めることができないのだ。

人生経験では、年長者の意見が重視されるかもしれないが、新しい知識・違う知識に関しては、若い人の意見が度々正しいことがあるだろう。

そういうことを柔軟に対処できる心構えが大切だ。心を妙に固めてしまうと、不自由になる。流風も、年と共に頑固になりつつある。警戒しなければならない。

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