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2007年5月14日 (月)

親学の誤解

現在、「親学」が議論されている。政府は、「親学」という言葉は適切でないと判断したようだ。しかし、この言葉が適切かどうかは別にして、必要なことだ。親は子供にどう接するべきなのか。昔は、儒教教育が浸透していたので、自然と教えられたが、現代は明確な指針がない。流風も昨年のブログで、その必要性を論じた(2006年4月23日付け『親学の必要性』)。

ただ議論を見ていると、現在の親に対する「親学」のようである。しかし、これは正直言ってなかなか難しい。確かに望まれることではあるが、すでに考えも固まっている現在の親に、或いはもうすぐ子供を持とうとしている人々に親学を強制することは、必要性は感じても、反発も出てこよう。政府の押し付けがましい姿勢に反発するのも仕方ない。

むしろ、親学は、子供の段階で施されるべきものなのだ。子供に親学を学ばせるのも変な感じだが、彼らもいずれ親になる。それに子供たちが、親の立場を理解すれば、子供たちの行動も変わると推定される。

親たちは、子供たちが社会で生きていくのに何を伝えていくべきかを常々考え、そして子供たちは親から何を学ぶべきかを考える必要がある。相互の学習が大切だ。結局、それは日本文化の伝承と継承の問題に突き当たる。

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