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2007年5月 9日 (水)

エリート育成と特待生

高校野球の特待生が問題になっているようだが、高野連も今まで放置しておいて、今更問題化させるのも大人気ない。いろんな問題が絡むので、単純には論じられないが、若干気になったことを記しておこう。

ところで、国としてみた場合、エリート教育は大切である。分野ごとの能力の個人差はいかんともしがたい。だから分野ごとのエリートを作ることは大切だ。エリートが時代をリードすることによって、多くの人々は、ある意味導かれる。かつての官僚というエリート育成もそういう意味があったと思う。

しかし、時代によって、エリートの価値は異なる。エリートを特権としたところから、その価値は薄くなる。エリートは、常に時代をリードしていくことに価値がある。そのことを勘違いした官僚たちが、今崖っぷちにいる。彼らの意識転換が望まれる。そして官僚機構の改革も求められる。

同様に、今回話題になった高校野球特待生問題にしても、これはスポーツエリートの取り扱い問題と捉えることができる。ただ、ここで問題化したということは、プロ野球が今後も栄える保証はないということを宣言しているようなものだ。日本のプロ野球が曲がり角に来ているのだろう。

スポーツの多様化時代には、指導する方々も、学生を正しく導かなければならない。特待生問題は、学生が進むべき進路の多様化に、学校としても対応するべきだと前向きに捉えてもらいたい。

但し、高野連の性急な方向転換は、プロ野球の青田買いの行き過ぎが端を発したのだろうが、たとえ、理屈は通っていても、高校生にとってはいい迷惑であろう。特待生が悪いわけではない。現在の学生にとって迷惑この上ない。きちんと猶予期間を設けるべきだったと思う。特待生のあり方を考えることもなく、高野連の子供ぽい運営に情けないものを感じる。

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