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2007年6月27日 (水)

捨て子と和泉式部

捨て子というと、「赤ちゃんポスト」が話題になるが、捨て子は昔からあった。寺の前とか、お金持ちの庄屋さんの前とかにおいて、後事を託すのである。事情はいろいろある。

武家においても、いろんな言い伝えがあり、旧弊にならって捨て子はあったようだ。一応、その場合は、証拠となるものをつけていたようだが。

さて、藤原道長が、「浮かれ女」と評した、あの和泉式部も捨て子をしている。事情はよくわからないが、離婚した時に、子供を捨てたようである。

彼女は、最初、橘道貞と結婚している。ちなみに彼女の呼称は、彼の任地が「和泉」だったことと、父親の官名の「式部」から、和泉式部となっている。

そして最初の夫、橘道貞との子供が後の小式部内侍(*注)である。小式部内侍といえば、百人一首第六十番で選ばれるほどだから、彼女の和歌の能力も和泉式部に劣らず優れていた。

その彼女を、和泉式部は捨てている。どうも、子供の出生を夫に疑われたようで、彼女に言い寄る男性が多かったことが災いしている。美人を妻にすると夫も嫉妬で大変だ。

というわけで、小式部内侍はお寺の前に捨てられる。千手観音像と共に、絹の紐に「捨てし子を たれ取りあげて そだつらん そはぬ情を 思ひこそすれ」という歌を縫い付けて。

彼女とは、後再会して、小式部内侍は、宮中に仕えて数々の名歌を詠んだ。しかし、小式部内侍は和泉式部より早く亡くなっており逆縁である。

捨て子は、いろんな事情で、迫られることもあるかもしれない。しかし、そういうことのないようにするのが大人の務めだろう。親はなくとも子は育つとは言うが、親の愛を受けずに育つ子供が可哀想である。

*注

小式部内侍は、冷泉天皇の第三皇子の為尊(ためたか)親王の弟敦道(あつみち)との間に生まれた子供という説がある。それは、和泉式部が夫の任地に同行しなかったことから、まず為尊親王との過ちがあり、夫との離婚後、敦道から求愛されたことが噂の元である。だが、実際のことは、わからない。

*追記

なお、和泉式部は離婚後、いろいろ浮名を流すが、彼女の本心はわからない。彼女とかかわった男性は、不幸になることが多く、彼女は、後、出家を望むが、思うようにならなかったようである。

ただ、彼女の履歴から読み取れることは、彼女が愛していたのは、最初の夫、橘道貞だけではなかろうかということである。そういう意味では、彼女も孤独だったのかもしれない。

*参考 

 百人一首第六十番 小式部内侍

       大江山 いく野の道の 遠ければ

          まだふみも見ず 天の橋立

ちなみに、この歌は、小式部内侍が、若いのに、歌があまりにも優れているので、和泉式部による代作と疑われ、親の七光りをからかわれたことに対して、即座に応酬した歌と云われる。この歌を詠ったのは、14歳の時と云われている。

問題は、からかった相手。からかったのは、中納言貞頼。彼女に気があったのかもしれない。よくあるよね、気がある相手をからかうこと。ちなみに、彼も才人で、百人一首に選ばれている。

 百人一首 第64番 権中納言貞頼

       朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに

          あらはれわたる 瀬々の網代木

 

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