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2007年6月22日 (金)

恋の方向音痴

好き嫌いはある程度、人間の錯覚とも言えるが、それでも、それまで生きてきて得た、それなりの感性が、人を区別する。もっと深く突っ込んで、遺伝子が特定の遺伝子に好意を持つのだという人もいる。

ただ恋の道にも、よく起こることは、好きな異性には断られ、嫌いな奴に追いかけられることかもしれない。つまり、こちらが好意を持っても、相手側に好意を受け入れられる素地がなければどうしようもない。その辺の遺伝子同士の絡み方は微妙だ。

一方的な好意の押し付けは迷惑でもある。女性には押しの一手だと云われるが、それは相手が当方に幾分かの好意を持っていた場合のことだ。もちろん一緒にいれば情が移るとも云われるが、限度もある。好意のすり合わせもそれなりに意味があることは否定しないが、それで一緒になっても、結局、思いがすれ違うカップルも多い。

だが、ちょっとした天使の悪戯で、男女関係はころっと変わることもある。それは確か、シェイクスピアの『夏の夜の夢』でも描かれている。それほどに、男女関係はしっかりしたものではないということだろう。自分の感性を信じて選択した異性が、期待したほどの者ではないことに度々ぶつかる。そして、その逆もありうる。

古語にも、“花の都の経緯(たてぬき)に、知らぬ道をも問へば迷わず。恋路など通ひ馴れても迷ふらん”(『閑吟集』)とある。道は聞けばわかるかもしれないが、恋の道は人に教えられてわかるものではない。だから、皆、同じ失敗することも多い。

それゆえ、いつの時代も、他人の恋さえも関心事となり、話題となるのだろう。そして恋の成就には、自分の感性を大事にするのもいいが、客観的に見ている第三者の目も大切なことも事実だ。

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