« 先入観によるイメージと誤解 | トップページ | 酒は百薬の長 »

2007年6月 3日 (日)

疑心暗鬼とは

疑心暗鬼になるという日常的によく使う言葉がある。特に男に対する女性の疑心暗鬼は恐ろしい(笑)。男の行動にも問題があるかもしれないが、妙に直感力が働くからね。しかし程々にしないと、男の心が離れてしまう。

さて、この言葉、念のために、意味を記せば、「疑いの心があると、あらぬことを想像して、さらに恐れうたがう」と広辞苑にある。人間の心は、迷いの海に漂流しているのかもしれないが、心が不安定である時、他者のちょっとした行動や態度に不信の目を向けがちである。

この出典は、どなたもご存知であろうが、『列子』の「説諭編」である。ある人が斧をなくして、誰かに盗られたと思ってみると、近所の息子の所作がおかしい。それで彼を疑ったが、失くしたと思った斧は、谷間に忘れていたので、後日掘り返すと出てきた。そして、家に帰ってきて、近所の息子のあらためて見ると、その振る舞いに何の疑念も感じられなかった、という話である。

また別の話もある。

ある人が、梧桐が枯れて、放っておくと、隣の親爺が「枯れた梧桐は放っておくとよくないと聞きますよ」と忠告してくれた。そこで、慌てて切り倒すと、同じく隣の親爺が、薪にするから分けてくれと言う。そこで、その人は、薪が欲しい故に、忠告がましいことを言ってきたのかと大変怒ったという話しである。

結局、当方の受け止め方で、どうにでも変わる。こういうことは、身近なところで、よく見られることだろう。人間の心は、そういう意味では頼りない。日頃から、人を見る眼を養えとは言われるけれど、当方の状態が不安定になると、正しく判断できなくなるのが凡人なのかもしれない。

|

« 先入観によるイメージと誤解 | トップページ | 酒は百薬の長 »

考え方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 先入観によるイメージと誤解 | トップページ | 酒は百薬の長 »