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2007年8月27日 (月)

多岐亡羊ということ

「多岐亡羊」という言葉がある。出典は『列子』だ。学問の道があまりに多方面に分かれていて真理が得にくいことを指している。彼の弟子が羊の逃げるのを追いかけたが、逃げた方向には分かれ道が多くて、羊を捕まえることができなかったことから、彼が塞ぎ込んだことから、この言葉が出ている。どうも当時の学問の道もそのようだったのだ。

現在の学問も睥睨すると、枝葉末節なものが多いと感じられる。特に社会学においてははなはだしい。本当に大学で研究する必要な学問であろうかというものもある。大学で講座が開かれているのが不思議なものもある。

確かに社会は多様化しており、それに対応するが如く、学問が多様化しているのかもしれない。しかし、現象を追っかけて分析することに、どれだけの学問的価値があるのだろうか。

しかしながら、マスコミなどでは、そういう人たちを囃して、大仰に取り上げている。その結果、彼らは偉そうにぶっている。なぜ彼らが蔓延るのか。結局、人々が内省を怠り、自分で考えることを放棄したからだろう。

学問に限らず、人生道においても右往左往して、人生の本当の意味も知らず、この世を去っていく人も多いかもしれない。現象に惑わされず、生きる意味を再確認したいものです。

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