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2007年9月30日 (日)

口説き口説かれ

人間の一生は口説き口説かれと言う人がいる。なるほど、そういう見方もある。生まれた赤ん坊は、泣いて母親の関心を引こうとする。これも口説きの一つと言えないこともない。子供は親にお小遣いをねだる。これも口説きだろう。成人すれば、女性を異性を口説く。組織人であれば、上司を口説いたり、部下を口説いたりする。

もちろん、立場によって、口説くだけでなく、自分も口説かれる。そういう中から、人間関係が築かれる。口説くのも楽しいが、口説かれてみるのも面白い。しかし、いずれにせよ、人間関係においては、一方的では駄目なようだ。口説き口説かれというのが、よい関係を築く素ということだろう。

以上のことを、人間関係の貸し借りという人もいる。押したり引いたり、人間関係は微妙だが、最近は、いきなり結論を急ぐ人たちもいる。ただ、そういったことでは、相互理解は進まず、継続的な関係をつなぐことは難しい。

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2007年9月29日 (土)

要領のよい人

世の中には、要領のよい人々がいる。流風なんかも、彼らには、煮え湯を飲まされ、嫌な思いをしたことは度々だし、また時々羨ましいなあと思ったものである。

しかし、要領のよいことは果たして、いいことなのか。すぐに底が知れてしまう場合も多い。その時は、うまく潜り抜けても、一時的なことも多い。

そうなると、サーカスのような綱渡りより、堅実な人間の方が、最終的に笑うような気もする。しかし、そういうことに気づくのは後のことだ。その時は、悔しい思いをするものだ。

だが、確実に物事をこなしていった者が、ウサギとカメの話の通り、早く最終ゴールに到着するのだろう。子供の時によく聞かされた、この説話は、今になって、多くの示唆があったと再確認する。

若い人たちも、あまり先を急ぎすぎずに、確実に与えられたことをこなしてもらいたい。そうすれば、自然と周囲の認識は高まるだろう。

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2007年9月28日 (金)

テロ特措法と自民党のトラウマ

新内閣になっても、テロ特措法あるいは新法が、論じられているが、基本的に全く無意味だ。自民党や政府が、一生懸命になるのは、湾岸戦争のトラウマがあるのだろう。あの時、確かに日本は参加せず、後で、かなりの金額をむしりとられた。

だが、湾岸戦争とテロ防止とは、全く意味が異なる。前者は、イラクによる、民主主義国家クウェートに対する侵略に対する、ある意味、民主主義陣営の防衛戦争だった。だから、それに参加しなかった民主主義国家、日本は、世界から非難轟々だった。

しかし、時代が変わって、今回のテロ特措法の前提条件は意味が全く異なる。ある意味、米国が引き起こしたテロに対する制裁措置に各国が参加しているに過ぎない。ある見方をすれば、テロは米国の自作自演と言えないこともない。またテロ特措法が、実質「米国軍事支援法」であることは明確だ。これは明らかに日本が関与すべきことではない。

米国には、米国の国策があるだろう。それが国益と言ってしまえば、そうだろう。しかし、日本にとって、米国の政策が全てではない。是は是、非は非で対応すべきだろう。日本には平和憲法もある。無理して戦乱に巻き込まれるようなことは間接的であっても、関与すべきではない。状況判断は、もっと冷静に行われてしかるべきだ。

*平成20年6月5日追記

ある学校教師が、米国の9.11事件を「自作自演」と学生に説明したようだ。ちょっと、それはまずい。そういう可能性や噂はあるにしても、決定的証拠はない。学生に伝える内容ではなかろう。「可能性」と「事実」は分けなければならない。また分別能力の欠ける学生の前での発言は不適切と言えるだろう。

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2007年9月27日 (木)

音楽会の季節

やっと、朝晩が涼しくなってきた。これから更に秋が深まれば、文化の季節だ。各地でいろいろな催しが展開される。流風も若い時は、新人音楽会などの案内状を頂くと、訳もわからず、いそいそと足を運んだものだ。何と言っても、きれいなお嬢様方が多いからね(笑)。

ところで、落語に、『くしゃみ講釈』というものがあるが、あれは、ある講釈師が高慢で嫌味で無愛想(おお!嫌われる全ての要素を兼ね備えている)だから、近所の常連が、胡椒の粉を燃やして、講釈の邪魔をしてしまう話だ。流風は、講釈師の人柄もあるだろうが、あまりに下手だと落語のような営業妨害をするわけではないが、眠ってしまう。演者、殺すにゃ、刃物は要らぬ。居眠りが利くそうだ。

しかし、音楽会の演奏で、この落語のような演奏者の邪魔をするようなことは、未だ起こっていないだろう。プロになると、高慢で嫌味で無愛想の人はいそうだが、表立って演奏を邪魔する人はいないだろう。もっと、嫌らしいのかな。若い演奏者の場合、演奏前は、皆、若干、緊張気味だが、微笑ましい。裏の事情は知らないけど、皆さん、笑顔が美しい。

ところが、音楽会が始まって、知っている楽曲であれば、まだ聞けるが、そうでないと結構退屈である。音楽方面には、疎いので、演奏が下手なのか上手なのか、てんでわからない。途中で、居眠りも度々。後で演奏者に聞くと、あそこを間違ったとかいうことだが、ああそうでしたかということで終わり(笑)。まして感想なんて聞かれても、何もわからないので、適当に返事(笑)。そういうことで、演奏会後のアンケートには随分困ったものである。

だから今でも、流風は、演奏会に聴衆として招かれたら、何もわからず、拍手するだけだ。感想も、「よかった、よかった」と言うと、皆さん、にっこり。流風も世渡りが上手になったものだ。まあ、いつものように、居眠りしているけれど。秋は、春と違って、音楽で眠りが深くなる(笑)。

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2007年9月26日 (水)

ゴキブリ対策商品

母は、ゴキブリ対策として、「ゴキブリ●●●●」などをよく使っていたが、あれは匂いでゴキブリを集めるものだから、流風は好まない。何だか、他家のゴキブリまで集めるような気がするからだ。あれを設置すると、確実にゴキブリに遭遇する機会が増えていると感じるのは思い過ごしか。

だから、ゴキブリ対策は、基本的にゴキブリ忌避商品でなければ思っている。先日、ゴキブリ忌避鋼板が開発されたと記事に載っていた。やっとそういう商品が現れたか。犬・猫や蚊対策などは、そのような商品があるのに、ゴキブリにはないのが不思議に思っていた。

ただ、想定利用は、食器洗い機、冷蔵庫、電子レンジ、自動販売機のようだ。しかし、これだと、確かに、これらの機器には、ゴキブリは集まらないかもしれないが、その他の所に、ゴキブリが集まることになるだろう。

ゴキブリは、水周りから発生して、周辺に拡がっていく。つまり、水を使う、システムキッチン、風呂、トイレ、洗面台に対して、ゴキブリ忌避商品がまず求められることになる。まず、そういった商品を開発してもらいたいものだ。

*追記

ドラ猫忌避商品も、もっと効果のあるものを開発して欲しい。彼らのもたらす糞尿は本当に困ったものだ。地区によっては、放し飼いの猫は駆除されている。飼い主のマナーも徹底することが求められる。しかし、ゴキブリは、生活主が清潔を保つ以外に方法はなさそうだ。

*平成26年7月8日追記

最近は、虫除け剤が多く販売されるようになった。大袈裟に言えば、隔世の感。これにより、ゴキブリ対策商品を置かなくても、ゴキブリの出現率は格段に減ったし、その効果は、ゴキブリ対策商品よりはるかに大きい。業界が忌避商品をきちんと開発したことは評価したい。

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2007年9月25日 (火)

商売の志

商売を始める理由は色々あるだろうが、一般にビジネスになりそうだから始めたり、食わんがために始めたり、面白そうだから始めたり、きっかけはそれぞれだろう。

最初は、それなりに頑張るから、それなりの成果はあがりやすい。しかし、人を雇うことになる頃から、経営という難しさにぶつかる。雇う人も親兄弟など身内のうちは、各種問題を抱えても、なあなあで済んでしまう。

しかし、他人が入ってくると、様子は一変する。それなりにコミュニケーションがそれまでより難しくなる。それも10人ぐらいなら、まだ目も届く。しかし、20人以上になってくると、トップの目だけでは不十分で、別の管理者が必要になってくる。

そのころから、意思の疎通が怪しくなってくる。それが組織というものだ。そこで必要になるのが、その企業の事業意志だ。何をして社会に貢献しようとしているのか明確に、構成人員に浸透させる必要が出てくる。

商売の要諦はいろいろあるが、志・行・智という人もいる。うまい言い方だと思う。その中でまず志は大事だ。大きくなった企業は、皆、この企業の志は何か、と原点に戻った所がほとんどだ。もちろん、企業を大きくすることだけが正しいとは言えないが。

また名目的に、志を掲げる企業があるが、そんな底の浅いことでは、人々を導けないのは明白だ。経営者が迫真の思いを伝えて、人々の魂に触れる時、人々をやる気にさせる。形だけの志には何の意味もない。

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2007年9月23日 (日)

明哲な政治家

自民党の総裁もやっと決まったようだ。久しぶりに、本来の自民党の総裁が選ばれたと見ている(*注)。ただ、自民党の体質は、小泉政権以後、変質してしまったので、今後の政局運営の動向を見守りたい。

さて、政治家には、明哲さが求められるが、果たして現代の日本の政治家はどのようだろうか。「明哲」とは、『書経』によると、「天下の事理に詳しく通じ、民衆に先立って知っている人」を指しているという。

その出典によると、殷の武丁という王が、即位後、三年間は静かに黙して語らず、静かに臣下を見守ったという。そして、市井から説という賢者を見つけ出し、宰相に据えて善政したという。説も含め群臣が献じた言葉が、先の言葉らしい。

このように、政治家というのは先見力が求められる。もちろんトップになったからといって、何でもこなすことができるわけではない。多くの支えてくれる人材が必要だ。

ただ現代では、なかなか、そのようにトップになってから、時間をかけて人材を見つけ出すことは難しい。基本的に、トップになる準備段階で、幅広く人材を手当てしておくことが求められる。

さて、今度の自民党のトップは、どんな人材を手当てされているのだろうか。

*注

陳腐な安倍晋三政権に代わって、福田康夫政権になった。

*追記

残念ながら、約1年後、福田康夫政権は、与野党のねじれ現象のため、政権運営に自信を失って投げ出してしまった。胆力に問題があったかもしれない。

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2007年9月17日 (月)

内需拡大と消費税

米国景気の落ち込みが報道される中、日本としては堅実な消費刺激が求められる。いわゆる内需拡大だ。内需拡大は色々な手法があろうが、まず一般消費を幅広く刺激することが求められる。今、話題になっている消費税のアップも内需拡大がないと難しい。

さて、その内需拡大だが、現在のように消費刺激の難しい日本では、それなりの知恵が求められる。実現が可能かどうかは無視して、以下に掲げてみよう。

まず第一に、為政者には、それなりの度胸がいるかもしれないが、消費税を期限を決めて、消費税を一時的に減税することである。

但し、その後は、景気動向にもよるが、消費景気と連動する形で上げていくプランにし、国民に税のシナリオを歳出プランと共に公開していく。すなわち、未来の歳出シナリオと税のシナリオを見せて、消費を刺激していくことが求められる。

つまり租税政策は、納得政策でなければならぬ。そこに手を抜くと、思わぬ反発を受けてきたのが、歴代の政権だろう。もちろん、消費税率は硬直的にしないという立場に立つことを前提とする。

第二に、現代の日本の消費は、女性がほとんど握っている。

女性は、男からすれば、くだらないと思うものにも消費する。彼女等の消費意欲を煽っていくことが求められる。場合によっては、女性の消費のみ、減税していく政策も求められる。男の方から不平が聞こえてくるかもしれないが、女性を窓口とて消費が拡大していけば国としては問題ない。

第三に、サービスの時代だが、サービスの消費より、モノの消費を優遇する。

投資が投資を生むには、サービス産業では弱すぎる。環境問題がらみで、いろいろ難しい面があるが、モノの消費を拡大させる。但し、メーカーには、作り放しは許さず、環境問題に配慮したモノづくりをした企業のみ優遇する。メーカーには、リサイクルを義務づけることも必要だ。それに中古品の海外輸出促進税制も求められるかもしれない。

またサービス産業には、彼らの生産性を上げるため、システム化・メーカー化も促す。全てのサービス産業がそのようにすることは不可能だが、彼らの意識を高める必要はあるだろう。

第四に、公務員の賃金は、一般職は、これ以上カットしない方がいい。但し、懲戒免職規定は厳しくする。また上級職はさらに厳しくする。

要するに、きちんと働いてもらった方には、当然であるが、生活不安を起させない。彼らの労働意欲や消費意欲を減退させる必要はない。

ただ上級職を中心に、懲戒免職規定を現状より厳しくする必要はある。過大に身分保障する必要はないだろう。懲戒規定は、一般職に厳しく、上級職には、緩いようだと、組織は機能しなくなる。地位の高さと懲戒解雇は連動しなければならぬ。

第五に、補助金等は、組織に下さず、できるだけ実施組織及び個人に直接行き渡るようにする。

全ての補助金が悪いとは言わないが、これまでは非効率だった。資金効率を上げるためには、多くのサヤ抜き団体(特殊法人等)を排除する必要がある。そういう意味では、個人及び実行組織に説得力のある企画提案力が求められる時代になった。

第六に、全ての公共投資が悪いわけではないが、官公庁は、「上物」は民間に全て任せ、それを徹底することだろう。

現在ある資産も、一旦民間に売り渡し、リースで運営すればいい。民間企業に多くのビジネスチャンスを与えるべきだろう。特に地方の公共団体は、もっと積極的になるべきだろう。地価の高いところに、諸官庁が入る必要はない。田舎の不便な所に移れば、それが新しい需要を生む。

第七に、内需振興には、日銀の貸出金利を、もっと上げる必要がある。日銀の金融政策が有効に働くようにすることは重要だ。そのためには、金利政策の自由度が必要だ。

ただ、国は国債をたくさん抱えており、金利を上げたくないだろう。しかし、インフレ水準と金利水準の切り上げは消費税アップには欠かせないと思う。政策担当者の芸術的手腕が問われる。

そのほかにも、色々あるだろうが、本日はここまで。

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2007年9月15日 (土)

首相というもの

自民党総裁に選ばれそうな人が、度々画面に登場していますが、嬉しそうですね。そういうと、辞められる首相も、就任前は、そのようでした。皆さん、首相になりたがるけど、首相の職責は厳しい。首相になると、段々人相が悪くなるのは、歴代の人々から検証済みだ。どなたが選ばれるにしろ、大変な職責ですぞ。命を投げ出す覚悟はできているのだろうか。

国会議員になれば、その最高の地位に就きたい気持ちはわかるが、日本の首相は、仕事が多すぎる。何でもかんでも、首相に聞こうとする。多分、首相の職責について、憲法上の仕組みに問題があるのだろう。憲法の第九条改正には反対だが、首相の分権については、そろそろ論じられてもよいかなと思う。

なぜなら、トップが正しい判断をするには、それなりの余裕がなければならないが、分刻みのスケジュールでは、情報分析も甘く、十分な内容の検討もされずに、間違った判断をする可能性がある。日本の国家規模から考えて、首相の職責について、今一度考える必要があるのではないか。

* 追記1

各大臣には、副大臣がいるのに、首相には、副首相がいない。副首相が3名ぐらいいてもいいのではないか。

*  追記2

それにしても、途中で投げ出した、B型宰相、安倍さんは、第二の細川さんなんでしょう。しかし、こういうタイプは長生きしそうだな(笑)。

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2007年9月14日 (金)

女性は官僚を目指せ

女性議員は、数の上でまだ十分でないという意見がある。確かに、政治という男社会で頑張るには、相当の決心がいるだろう。というより、女を捨てなければ、政治家になるのは難しい。そこで、政治家になる女性が少なくなるのだろう。

しかし、女性は政治家に向いていないのは確かだろう。実際の女性議員の発言や、ここ数年大臣になった女性議員を見てみても、レベルはそんなに高くない。もちろん、男性議員も問題議員は多いが、政治の場では、うまく立ち回れる。最近の退任を決めた首相を除いては。

もちろん、全ての女性が政治に向いていないというわけではない。近視眼にならなければ、もっと政治の場に出てよいと思う。しかし、女性の特性として、どうしても眼前の問題に目が行きがちだ。それでは、政治を行うことは難しい。

そこで、女性に期待するのが、官僚という仕事だ。政治のパートナーであるべき官僚は、特に日本の男の官僚はどうしても政治志向が強すぎる。官僚に徹してくれればいいのだが、どうも政治に助べえ心を持つようだ。

以前にも述べたが、政治家と官僚は仕事がまったく異なる。今ある仕事を現在の仕組みの延長で考えるのが官僚だ。そういう仕事を確実にこなすのは女性が向いている。となれば、女性は、もっと官僚を目指して欲しい。そして、もっと登用の道を開くべきだろう。ただし、余所見をせずに官僚に徹してもらいたい。

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2007年9月13日 (木)

理髪店主のおしゃべり

比較的、散髪に行く流風は、静かな店に行く。子供の頃、通っていた理髪店は、店主がにぎやかでおしゃべりだった。そして、どこを刈っているのか、時間が異常に長かった。色々話しかけられて、子供心にうるさいなあ、と思いつつ、楽しんでいた面はある。

しかし、大人になるにつれ、このおしゃべりが無駄口に聞こえてきた。個人的なことを聞きすぎるし、そのことにいちいち応えるのも、うざい。それに、おしゃべりが多いと、手が止まっているし、おしゃべりが過ぎるところは、技術がイマイチという感じなのだ。

だから、最近は、作業を淡々とやってくれる理髪店を選んでいる。作業時間も短くて済むし、出来上がりも満足だ。また美容室も試してみたが、髭剃りをやってもらえないし、できあがりが、どうも、もっちゃりして利用は控えている。髪型は流行もあるのだろうが、どうも彼らの髪デザインは気に入らない。

話を戻すが、人間は、器用そうに見える人も、案外不器用。多くのことを同時には行えない。ということは、はっきり、どちらを優先するかで、理髪店を選ぶべきなのかもしれない。

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2007年9月11日 (火)

間違った決心

安倍首相が、また暴走しようとしている。彼は民主主義を信奉していないのだろう。民主的手続きを無視して、彼の思いだけで勝手に強行しようとしている。日本全体にとっても、将来の日本を考えても、極めて危険だ。そして自民党の中でも、国民にとっても、最も危険な政治家のようだ。

かつて自民党には、魅力的な政治家がいたのに、どうして安倍氏のような政治家をトップに据えたのだろうか。どうも自民党全体に国民を守る使命感が欠如するようになったのではないか。そして民主主義への理解が薄れているのではないか。

多くが政治家ではなく、政治屋になってしまったのかもしれない。否、政治サラリーマン志向が強いのかもしれない。単なる非常勤のサラリーマンだという意識が蔓延しているのではないか。政治というものを深く探求せずに、また国民との対話も忘れて、政治風のような政治をしているだけではないのか。

それは極めて一面的な思考方法が度々繰り返されていることが証明している。思考が深くなく、単に状況に流され続けているともいえる。それは政治家ではない。同盟国に対する単なる茶坊主に過ぎない。こんな政治家トップはいらない。自民党は、早く目覚めて、次のトップを選びなおして欲しい。さもなくば、政権を野党に引き渡すしかないのだが。

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2007年9月10日 (月)

タクシー会社の選び方

母は度々タクシー会社を変えていた。なかなか満足できる会社がなかったそうだ。彼女の視点で、タクシー会社のサービスの問題点を挙げると次のようになる。

一、言葉遣いがなっていない。客を遠ざけるのがわかっていない。

二、行き先を言っても、確認の返事がない。本当に目的地に着くのか心配。

三、行き先を客に確認しないとわからないほど、地理に疎い。何の教育もされていない素人運転手。

四、長距離だと喜ぶが、近くだと不愉快そうにする。

五、客をなめて、わざわざ遠回りして、過大な請求をする。

六、運転が下手。乗り心地が悪い。悪路でも揺れないように運転するのがプロのはず。

七、車の運転が荒っぽい。ヒヤヒヤ運転で、心臓にも悪い。

八、運行中の態度が悪い。顧客サービスを理解しているのだろうか。

九、煙草の匂いがする。匂いがこもって気持ち悪い。

十、降車時、こちらが「有難う」と言っているのに、何も言わずにお金を受け取る。つっけんどんにお釣りを渡す。

大体、以上のようであった。そして、少しいい運転手が見つかっても、同じタクシー会社でも違う運転手だと、違う対応をされるので、タクシー会社を決めかねていたようだ。タクシー会社も経営が大変なようだが、もっと足元を見つめるべきだろう。

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2007年9月 9日 (日)

知らない振り

世の中、知ったかぶりをする人は多いかもしれない。流風も、その一人かも(笑)。でもブログというものがなかったら、こうも心の内を公開しなかったかもしれない。

そして、知っていることと実行することは違う。わかっていても、それをいつも実行に移すことは難しい。そういうと、先人の言葉には、知行合一という言葉もありましたね。

だから、本来、知を深める処世として、知らない振りをすることが求められる。特に議論をする場合は、結論を出すのに時間がかかるが、それが必要だ。

確かに知らない振りをすれば、馬鹿にされるが、それだけ知識は再確認される。知ったかぶりをすれば、それ以上の情報が入りにくい。

しかしながら、議論に決着をつけるには、「あの人は、知っていながら、知らない振りをしている」と思われるほど、日頃の精勤ぶりが必要だ。それで初めて、暗黙の議論が進むのだ。

*注 「知」と「智」

昔の人は、「知」の代わりに「智」を使うようだ。

「知」は、矢の様に速く口に出すことを意味し、「智」は知識を口に出すことを意味している。

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2007年9月 8日 (土)

怠け者マーケティング

この世は、怠け者だらけと言ったのは、確か小林一三だっけ。よって、怠け者を探し出せば、ビジネスになると考えたのは卓見だ。この考え方は、現在のように、ますますサービス化する社会でも、十分に通用する。

マーケティングに苦労されている方は、一三の考え方を見習うべきかも知れない。そういうと、流風も含めて、怠け者は増えているように感じる。そして、怠け者を増やす販売促進が増えていることも影響しているのだろう。

ただ怠け者マーケティングで注意しなければならないのは、そんなに先をいく必要はないということだろう。世間の意識より、半歩か一歩先んじれば、成功すると一三は言っている。

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2007年9月 7日 (金)

敬遠ということ

プロ野球の行方が混沌としてきた。特にセ・リーグ。残りの試合数はもう僅かだから、今月中に結論は出るのだろう(*注)。こういうせめぎ合いの時は、かならず主要選手が四球で一塁に歩かされ、敬遠されることが増える。野球では勝負を避ける手段として、この言葉が使われている。

しかし、この「敬して遠ざく」という言葉、実は、本当の意味は違う。これは儒教が生まれた契機とされるものだ。すなわち、孔子があのような考え方に至った背景が、この敬遠にある。

というのは、孔子は以前にも若干触れたが、その出生を恥じていたと云われる。すなわち、両親がきちんと当時の結婚のための天への祭りもせずに、動物のような野合で生まれたからだ。現代の言葉で言えば、「できちゃった結婚」ということになるかもしれない。人間と動物の差は何か。そういうことに孔子は非常に恥じたのだ。

そういう関係から生まれた彼としては、普通に生まれた子供より、それを超越する絶対的な人間を目指したのが、儒教と言えるかもしれない。しかし、孔子自体は、いかに努力しようと、出生の秘密を変える事はできない。父母を認めれば、社会の不道徳を容認することになり、父母を認めないと、親不孝というということになる。

そこに孔子のジレンマがあったとされる。彼は、これらを避けて考えようとした。すなわち、「敬遠」である。ここに儒教の限界が見え隠れする。あらゆる宗教・哲学は、特殊な環境において芽生えるものかもしれない。だから、それらをそのまま受け入れるのは、極めて危いということになる。

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2007年9月 5日 (水)

『源氏物語』千年

『源氏物語』は、来年2008年で、わが国の記録上、初めて確認されて、ちょうど千年にあたるらしい。そういうと、ラジオなどでは、朗読のプログラムなどをやっている。

流風としては、以前にも記したが、この物語には、入試直前の、現代語訳の通読に思い出がある。何もあんな時に読まなくてもと思うのだが、そういうときに限って、脱線したくなる流風の気質は変わっていない。それが人生で成功しなかった理由だろうけど、この性格は直せそうもない(笑)。

さて、この『源氏物語』は、光源氏のプレイボーイぶりが遺憾なく発揮されている。確かに一面で、光源氏の異性関係が見事に描かれている。しかし、注意しなければならないのは、作者が紫式部という女性だということ。当時の教養ある女性が、一人の男の異性関係だけを単純に描いてるとは言えないだろう。

結局は、彼女の死生観というか、仏教観をベースに、そのことは表面的には、描いていないだけのことだろう。華やかな宮廷を舞台としながらも、その裏にある極めて当たり前の人間模様を通じて、人間の哀しさを書きたかったのだろう。

そう考えると、後世の謡曲などと違って、表現が柔らかいのは女性ならではのことだろう。つまり謡曲の作者はほとんど男性なので、表現が直線的なのに対して、『源氏物語』は描く目的は、うまくオブラートに包みながら、描いている。

そのことが、後世、この物語が誤解される理由かもしれない。そして、そういう誤解も含みながら、長く読み継がれてきたことは、やはり、この物語の秀逸性を証明するものかもしれない。さて、いつくるとも予測できない秋の夜長のように感じられるが、涼しくなれば、もう一度、読み返してみますかな。

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2007年9月 4日 (火)

好きなものに弱み

「好きこそ、ものの上手なれ」、というが、人間、そのことが好きであれば、集中できるし、上達も速い。しかし、逆の見方もできる。集中するということは、他のことが見えていないともいえる。下手な人間は、集中しない分、余所見をして、あれやこれやと周囲を見ている。結果的に、上達しないが。

また俗に、「飛んで灯に入る夏の虫」と言うが、明るいところを好む虫は、危険を顧みない。夜、灯をともしていると、すぐに何らかの虫が集まってくる。そこが危険な場所でも寄ってくる。

また男女間では、「惚れた弱み」なんてことも言う。男は比較的弱みを握られることに躊躇しない?、あるいは気づかない(笑)ので、女性に、すぐにアプローチする。しかし、女性は一般に、弱みを握られたくないので、自分の方からは積極的にアプローチすることは少ない。そういう意味では、女性の方が深謀遠慮だ(笑)。

しかしながら、人間の持ち時間は限られている。全てのことに関与できるわけでもない。好きなことをして、人生が送れれば、それは、ある意味、最高かもしれない。ということは、好きなことをするのは、いいのかもしれない。そして、それが社会に役立てば、言うことなしだ。

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2007年9月 2日 (日)

身代を保つ

最近は、あまり使われない言葉で、「身代」と言う言葉がある。江戸時代には、よく使われた言葉らしい。近松あたりの作品にも見られる。

「身代」とは、商売上の資産というか、家の財産という意味のようだ。商売を引き継げば、先代より資産を大きくするよう云われたものだ。しかし、現実は、増やすより維持するのもなかなか難しい。

ただ現在は、サラリーマンが大勢を占めてしまって、自営業が減っているので、「身代」という意識は低いかもしれない。

ところで、新たに仕事を起すのも大変だが、引き継いだビジネスを拡大していくのも大変だ。先人は、それをするためには、倹約、貯蓄、商売熱心と説いた。

まず、倹約だが、節約と混同しがちだが、節約は単に費用を切り詰めるだけだが、倹約は、節約して、浪費しないという意味が加わる。ただ単に節約するだけでなく、なすべきことをなして、欠かさないようにすることを意味する。費用対効果が問われているのだ。また吝嗇(りんしょく)とも違う。これはなすべきことをなさず、単にお金を惜しむことを指す。それでは、商売はできない。

次に、貯蓄だが、利益の一割を貯蓄に回せと言っている。一割といえば、簡単にできそうだが、そういう意識が最初にないと、貯蓄はなかなかできない。倹約は利益を残す手段だけど、貯蓄は、次の段階への備えだ。しかし、それ以上に貯蓄に励んだところで、目的が不明確であれば、あまり意味がない。

最後に、商売熱心とは、本業に専心することとある。人間、少し辛い状況に追い込まれると、他のビジネスが美味しそうに見えるが、それほどビジネスは簡単ではない。やはり勝手知ったビジネスを掘り起こし続けることは、身代を保つことにつながると説く。

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2007年9月 1日 (土)

未亡人という言葉

未亡人は「みぼうじん」と普通、読んでいるが、本当は、「びぼうじん」と読むらしい(まあ、所詮日本語読みだが)。『左伝』の「成公」(春秋時代)に出ている。

本来の意味は、夫が亡くなれば、妻も共に死ぬべきだ、という考えからきている。しかし、まだ妻がまだ生存していることから、妻が自分自身をへりくだって、「未亡人」というようである。

だから、他人が夫を失った女性のことを未亡人と言うのはおかしいと言うことになる。また、最近は、すぐ再婚されるので、本来の未亡人を見つけることは難しくなった。

一人の夫と終生共にあるということは理想だけど、日本は戦後の西洋化の波におされて、そういう考えを持つ女性は天然記念物になったのかもしれない。そういう意味では、未亡人というのは日本では死語かもしれない。

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