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2007年10月 3日 (水)

トリック・アートと落語『抜け雀』

時々、トリック・アートというものを見るが、あまりにも立体的で、うまく騙される。持っている先入観と目の錯覚が、間違った理解を引き起こす。それも大きな被害がなければいいが、そうでないと、怖いものだ。それは宗教にも言えることだ。まあ、それも、宗教は個人のもので、団体のものではないという知恵があれば問題ないのだが。

さて、落語にも、『抜け雀』というものがある。あらすじは次のようだ。旅籠屋立花屋に、みすぼらしい旅人がやってくる。しばらく逗留しているが、宿賃を全く支払ってくれない。外見で客を判断してはいけないと言うが、この客は、初めから文無しだったようだ。

困った亭主が、仕事を尋ねると、画工だと言う。そこで、人の良い亭主は、宿賃の代わりに絵を画いてくれと言うと、彼は亭主に墨を摺らせ、新しい屏風に雀の絵を描く。そして、ぷいと出たきりになった。

ところが、その晩になると、絵から雀が抜け出し飛び交っている。これが評判となって、お客は連日連夜、絶えなくなった。まあ、人は物珍しいものが好きということだろう。これは現在も変わることはない。

そこへ、画工の父らしき老人が泊まりに来た。我が子の絵の出来を当初褒めていたが、「これでは、いずれ雀が死んでしまう」というと、亭主はびっくり。「なんとかなりませんか」と相談すると、その老人は、篭を画き添えると、雀は一斉に、そこで羽を休めた。

雀に篭か。昔、子供の頃、竹で編んだ丸い篭に、割り箸を立てて、中に米粒を置いて、雀を呼び寄せたものだが、雀は篭には入りたくないだろうな。しかし、何羽かは罠に引っかかる。小さな欲望に誘われて、自由を失う。だが彼らは自由に飛びたっているのが幸せだろう。そのためには何をすべきなのか。

それはさておき、そうすると、さらに評判を呼び、大名から所望されるまでになった。大名とか金持ちは、評判が立つと欲しくなる人種らしい。まあ、そういう人がいるから、経済がまわるんだろうけど。でも、今の日本は、別に金持ちでない人がブランド物を買い漁ったりするのは、いかがなものか。それに買い漁るのなら、内需拡大のため、日本製のもっと価値あるものにして欲しいね。

さて、そうこうするうち、数年後、あの画工が江戸で名高い画家になって、立花屋にたずねてきた。亭主たちは歓待し、あの絵を見せると、鳥篭が画き添えてある。落款を見ると、我が父。彼は、しみじみと感嘆して、自分の親不孝を恥じて、むせび泣き。

亭主が理由を聞くと、「されば、親にカゴをカカセタ」のオチ。今だったら、親の運転するタクシーに子供が乗っても不思議はないけどね。タクシーを駕籠屋なんて言えば、叱られるけど。ここはお話、許してちょんまげ。

話がいろんな方に脱線して長くなったが、結論としては、以上の落語の例も、トリック・アートに皆がうまく騙されたということだろう。人々は、一種の熱情に冷静な判断を遮られる。冷静に見ればわかることも、カッとなってしまうと、見えるものも見えなくなる。

このように、世の中にも、多くのトリック・アートが組み込まれている。このようなトリックは、多分、世の中で、あちらこちらで散見されるものだろう。それが作為か非作為かの問題ではない。時に熱くなって楽しむことも必要だが、熱に浮かされないようにする必要はある。

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