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2007年10月 9日 (火)

軍事力というもの

軍事力というのは外交の一手段に過ぎない。日本の自衛隊だけでは、日本を守れないから、米国の核の傘下にいるしかないという選択は外交の一つの選択肢に過ぎない。

米国から見れば、日本をそのように洗脳した方が、彼らにとって都合がよかっただけのことだ。ただ、それだけのことだ。

それを日本の一部政治家は、都合よく考えすぎだ。もちろん、戦後の復興との微妙なバランスは、敗戦時にはあった。当時の吉田首相の選択が間違っていたとは言わない。

しかし、現在の政治家は、単に、楽だから、日本はそれに乗っかっているだけのことだ。そこには、独立国家としての政治家の見識もない。

そして、軍事力というものが、常に当てにできるかというと、それは疑問に残る。それは常に経済力とのバランスが求められる。

更に、軍事力という意味においては、軍備と軍人のバランスが必要だ。そして、仮に両方揃っても、それを長期間維持することは、いかなる国でも難しい。

戦時中に、戦争体験者の話によると、どんなに優れた軍備を持っていても勝てる保証はないという。それを使う人がいなければどうしようもない。軍備だけが立派でも、戦略と戦術のすりあわせがよくて、使いこなさなければ、猫に小判である。

そういう意味では、米軍も軍備が優れていても、軍隊は強いかどうか不明だ。軍備を使うのは人間であることを忘れてはならない。

もちろん、あらゆる戦争は、経済力がものを言う。そういう意味では、過去に米国との経済関係は緊密さが求められたのは事実だ。

だが、米国経済も永遠ではない。21世紀は、あらゆる大国が漂う時代だ。その流れを読み取ることが大切だ。軍備を拡大(あるいは妄想に近い軍事同盟も)しただけで国が守れるものでもない。外交手段として、ある程度の軍事力は必要だが、外交を軽視してはならない。

現在の日本の政治家の中には、戦争を知らなくて、歴史を学んでいない若い人たちの中には単純発想・思考で、外交軽視の人々も多く存在する。

彼らのことを、真に「平和ボケ」という。彼らが増え続けると、日本は危機に陥る。戦争は、人の質が落ちた時に起こることを考えなければならない。

ある程度の軍事力は必要だが、それだけでは、どうしようもないのも歴史的事実なのだ。外交力や経済力を維持発展させる努力が求められる。

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