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2007年10月11日 (木)

見ざる、言わざる、聞かざる

若い時に、日光東照宮に行ったことがある。例の「見ざる、言わざる、聞かざる」の彫刻を見に行くのが主目的だった。しかし、当時は、この彫刻が八面あり、それが猿の人生を語っているとは知らなかった。その時は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の彫刻だけ見て満足してしまったのだ。

また後年、この「見ざる、言わざる、聞かざる」が、子供に悪いことをさせないための教訓と知った。ということは、現代の子供は、あまりにも周囲に悪いものが揃っていることになる。そして、なかなか、「見ざる、言わざる、聞かざる」とはいかない。ある意味、現代の子供は不幸だ。

そして、更に、後でわかったことが、これが論語の顔淵第12が出典と知った。すなわち、

 礼に非ざれば、視ることなかれ

 礼に非ざれば、聴くことなかれ

 礼に非ざれば、言うことなかれ

 礼に非ざれば、動くことなかれ

すなわち、礼を守った上で、視たり、聴いたり、言ったり、動いてもよいとしている。つまり社会の秩序を保つ生活規範を守って、初めて、社会参加できるということだ。現在、しつけの問題が話題になるが、家庭教育というのは、まさにその部分と言えよう。

それにしても、人生、勉強ですな。知らないことが多すぎる。しかし、知識豊富の父でさえも、「一生をかけても真砂の砂は掬い取れない」と言っていたのを思い出す。人間にとって、知の限界はあるのだろう。いっそ、「見ざる、言わざる、聞かざる」の方が案外、幸せかもしれない。

*猿の一生

日光東照宮の説明によれば、境内の神厩舎彫刻について、次のようにある。

 一、手をかざした母猿が子猿の将来を見ている。子猿は信頼して母猿の顔を覗き込んでいる。

 二、子供の時(純粋な時)には、悪いことを「見ざる、言わざる、聞かざる」がよい。

 三、ひとり立ち直前の猿。まだ座っている。

 四、大きな志を抱いて天を仰いでいる。

 五、人生のがけっぷちに立っている仲間を励ましている。

 六、恋に悩み、物思いにふける男女の猿を描いている。

 七、結婚した二匹の猿で、「人生の荒波」が彫られ、力を合わせて乗り越えようとしている。

 八、妊娠した猿。子供も大きくなり、やがて親になっていく。

結局、子供はいずれ親の後を追うという輪廻を描いている。

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