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2007年11月 8日 (木)

『孝経』の戦々兢々

前回に続き、「戦々兢々」だが、今回は『孝経』の第三に引用されているものを、参考に取り上げてみようと思う。『孝経』は、最近はあまり読まれないようだが、これは単に、儒教の教えにとどまらない。封建制度の考え方だけで捉えてしまうのはどうかと思う。現代の個人のあり方について論じているとも捉えられる。

それは、さておき、「戦々兢々」は次のように引用されている。

 上に在りて驕らざれば、高くとも危からず。

 節を制し度を謹めば、満つるとも溢れず。

 高くして危うからざるは、長く貴を守る所以なり。

 満ちて溢れざるは、長く富を守る所以なり。

 富貴 その身を離れずして、然る後に、能(よ)く其の社稷を保ち、其の民人を和(ととの)わしむ。

 蓋し諸侯の孝なり。

 詩に云う、戦戦兢兢、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し、と。

解釈としては、まず「上に在りて驕らざれば、高くとも危からず」は、特に解説はいらないと思うが、敢えて解説を試みよう。山と同様、高きに登れば、その風当たりはきつくなる。上に立つ者は、驕りに注意しなければならない。

最初は、その気がなくても、時間がたつにつれて、気持ちに緩みが出て、周囲から見て横柄に映るようになることが起こる。そういうことに、常々注意しておけば、高い地位にいても、安定している。

「節を制し度を謹めば、満つるとも溢れず」は、いろんな面で、(財や地位などが)満たされていたとしても、節度を持ち切り盛りし、慎重に事を進めれば、反発を食らうことも少ない。おおよそ、月の満ち欠け同様、満ちたものは欠けるが、謙虚な心を保つことによって、満ちた状態を保てるのだ。

「高くして危うからざるは、長く貴を守る所以なり。満ちて溢れざるは、長く富を守る所以なり。」は、そのようにしていることが、長く地位を保持できる理由だ。富が満ちて、富がなくならない理由だ。

「富貴 その身を離れずして、然る後に、能(よ)く其の社稷を保ち、其の民人を和(ととの)わしむ」は、そうすれば、富貴が身につき、離れない。そして、国家運営を無事に保ち、国民の平和も保てる。

「蓋し諸侯の孝なり。詩に云う、戦戦兢兢、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し、と」は、このようにすることが、諸侯の「孝」というものである。そのようなことは、先人の『詩経』の小雅の小旻に示されている。戦戦兢兢、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し、については、先日、解説しているので、改めて説明はしない。

結局、ここで示していることは、富貴の立場にある人は、常々「孝」について考え、自らの存在価値についての内省が求められるということだろう。そういうことは、自然と生活態度や行動に表れ、周辺も認めることとなり、その存在が容認される。

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