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2007年12月26日 (水)

思い過ごしということ

人間、気が弱くなると、何でもないことを怖れたりする。疑心暗鬼というのも、その一種だろう。自意識が強すぎると、他人が悪口を言っているのではないかと気にしたりする。

流風も若い時(学生時代)は、そういう状態に陥ったことがある。ところが、聞いてみると、「お前の話なんかしていない」ということだった。後で、「お前、自意識が強すぎるんだ」と大笑い。

そのことを通じて、人は自分が思っているほど、他人に関心があるわけではない、とわかった。関心があるのは自分自身についてのみか、自分に影響する事柄なのだ。

つまり、気弱になると、他人が自分をどう思っているか、気になるのである。しかし、他人は自分のことでいっぱいで、他人のことをいちいち気にしていないのだ。だから思い過ごしで、心を痛めることは馬鹿げている。だが、そうは簡単にいかないのが人間なのかもしれない。

少し、話は違う(人に対する思い過ごしではない)が、晉の時代の話で、楽広という人が、言ったとされる「杯中の蛇影のみ」というのがある。

彼の友人が訪ねてきて言うには、「この前、伺って、酒を頂戴した時、杯の中に蛇が見えました。気持ち悪いとは思いましたが、失礼ですので、一応飲み干しましたが、それ以来、気分がすぐれません」と。楽広は、友人が帰って後、おかしなことを言うものだと、その時のことを思い廻らすと、ははんと気がついた。

もう一度、友達を呼び、再度かつて飲み明かした場所で、再び杯を上げた。そして、「蛇が見えませんか」と言うと、友人は、あっと言う表情になった。楽広がタネを明かすと、顔色を取り戻し、それ以後、病はなくなった。実は、飲み交わした部屋には、弓が飾ってあり、そこに蛇が描かれており、それが杯に写っていたのだった。

この例は、見えているものに怯えたのだが、見えないものに怯えるということもある。無い物をあるように見せかけるからだ。そういうことに慣れていないと、ベテランでも、騙されることになる。こうなると、単に思い過ごしと言えなくなるところは、人間社会が難しいということかもしれない。しかし、そういうことさえも、人間観や観察力をきっちり養うことで、ある程度、対応は可能だろう。

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