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2007年12月 1日 (土)

お茶と急須

幼い頃、外出する時、母が、夏は麦必ず茶を水筒に入れて持たされ、冬は、ほうじ茶を同じく水筒に入れて持たされた。肩にかけていて、咽喉が渇いたら、いつも飲んでいた。時々、飲み干すと、近所のおばさんに頼んで、入れてもらっていたこともある。

それほどに、家庭でいれるお茶は身近なものだった。だから、大きくなっても、若い時から、お茶は好きで、わざわざ京都には、観光がてら、よく買いに行った。主に一保堂とか、辻利だったと思う。その他にも、いろんな茶店に行き、試飲もさせてもらった。そして、比較的安いものを買い求め、自宅で急須で、お茶を入れて、頂いた。すると、気分が爽快になったものだ。

ところが、最近、急須のない家庭が増えているらしい。急須でお茶をいれる精神的ゆとりも失われているのだろうか。それとも、ペットボトルの「お茶まがい」のものを飲むことで済まして満足しているのだろうか。

流風は、ペットボトルのお茶は苦手だ。全く飲まないということではない。外出した時、止む無く、ペットボトルのお茶で済ますこともある。しかし、本当のお茶と違って妙な味がする。積極的に飲みたい代物ではない。あれは、お茶以外の成分が含まれており、「お茶まがい」というのは、そのことを指している。

やはり、お茶は、自分で急須でいれるほうが、美味しく頂ける。さすがに、最近は、近所の茶店から購入している。わざわざ京都まで買い求めに行かなくても、どれもいい味だ。農薬を減らし、生産にも、工夫しているようだ。

これを急須で、熱いお茶をゆっくり飲むと、やはり本当にほっとする。また茶葉の量と湯温のバランスで、色々な味が楽しめる。マニュアルには、一番美味しい方法が記されているが、自分の好きな味を探すのも面白い。

別に、茶道を習う気はないが、お茶の時間を味わう精神性は、自分ひとりでも、味わうことができる。そのために、家庭で急須ぐらいは持って欲しい。そして、できれば、各個人が、マイ急須を持つようにしたらどうだろう。

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