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2007年12月14日 (金)

よき理解者とは

世の中に、自分のよき理解者がいるだろうかと悩む人は多いだろう。流風自身についても、両親でさえ、私を本当に理解していたかと考えると、どうも理解されていなかったような気がする。

もちろん、親としての愛情は感じていたが、理解となると、なかなか難しいのではないか。愛情ゆえに、子供の心を読み違えることが多かったように思う。

これが他人だと、もっと難しいかもしれない。長い間、連れ添った夫婦であっても、隙間風の吹いている多くの夫婦を見た。他人を真に理解することはなかなか大変だ。

しかし、よき理解者を得ると、水を得た魚のように、心が自由になり、晴れやかになるのも事実だろう。かつて、音を通じて、交情を結んだ伯牙(はくが)と鍾子期(しょうしき)の話(*注 参照)は聞いたことがあるが、彼らのような例は稀だろう。

彼らの例は、おおいに理想とするところかもしれない。だが、なるほど鍾子期は伯牙のことを理解していたと思うが、伯牙が真に鍾子期を理解していたかどうかはわからない。理解してもらえても、相手を理解しているとは限らない。単に熱烈な賞賛と評価に対して、気持ちが嬉しかっただけなのかもしれない。そう考えると、理解するとは、一方的な思いなのだろう。

となると、理解するとはどういうことなのか。熱烈なファンの透徹した心の読み取りと言えないこともない。そうなると、一面、嬉しいようで、別の面では怖いものだ。こう考えると、理解してくれるのも、程々がよいと思えてくる。しかしながら、人は、時として孤独に陥り、理解者が欲しくなるのかもしれない。

*注

いつも伯牙の弾く琴の音を、鍾子期は、伯牙の思いを正確に聴き分け評価し、賞賛してくれたという。そして、鍾子期が病を得て、亡くなると、伯牙は二度と琴を弾かなかったらしい。

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