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2008年1月30日 (水)

姫路菓子博2008って何?

流風は、よく食品展(一般客も入場できるもの)などは、よく見に行く。大阪で大規模に開催されていることが多い。食い倒れの大阪らしく、日本全国だけでなく、世界から、いろんな食材が集まっていて、試食を楽しんでいる。入場料は、そこそこに取られるが、試食で腹が膨れるので、一応ペイできる(笑)。多分、今年も、ゴールデンウィークには開催されるだろう。

さて、昨日のブログで少し紹介した「姫路菓子博2008」について、最近、いろんな媒体を通じて、宣伝されている。ちょっと興味のあるテーマだ。神戸は、パンや洋菓子の街なので、少しハイカラな催しが多いが、この姫路で開催される菓子博は、日本の和菓子と洋菓子の両方を扱うようだ。

だいたい流風は、辛党ではなくて、甘党だ。ただ、摂取しすぎると、家系的には、糖尿病の危険性もある。セーブしなければならないのだが、街に出ると、ついつい甘いものに手が行ってしまう。最近は、亡き父へのお供えを口実に、買うことが多い。父があの世から心配しているかもしれない。

まあ、それはそれとして、この展示会について少し調べてみた。この「姫路菓子博2008」は、「第25回全国菓子大博覧会・兵庫」ということらしい。まあ、お菓子の国体ということか。菓子博は、1911年から、開催されているらしい。ということは、毎年開催されているわけでもなさそうだ(詳しいことは、下記* 菓子博のホームページ参照)。

今回は、期間は、2008年4月18日から5月11日までの24日間で、姫路城周辺で開催されるらしい。入場料は大人2,000円、シニア1,600円、高校生1,400円、中学生800円だ。但し、小学生以下は、大人が引率・同伴する限りにおいて、無料だ。いいなあ。

姫路というと、姫路城を中心とした、ワンストップ観光と言われるように、あらゆる施設が集中している。観光客としては、楽だけど。逆に言えば、他の場所にこれといった施設がない。どうも、これが姫路の限界かな。姫路城なくして姫路なしだ。

今回も、場所は、パピリオンが建設されるのが、シロトピア記念公園、東屋敷後公園、姫山駐車場、兵庫県立歴史博物館、姫路市立美術館になるということだ。要するに、お城を取り巻くように、パビリオンが作られるということだ。

内容としては、まず、博覧会のシンボルとして、「姫路城と大名行列」のお菓子。報道によると、もう出来上がっているようだ。兵庫県の特徴ある、いろんな菓子文化を紹介する「兵庫のお菓子館」。新聞で各地の名品が紹介されていた。

お菓子の原材料や製造工程を見ることができる「お菓子の工場」などもある。話は違うが、菓子の工場というと、確か、見学できる回転焼きの「御座候」の工場が姫路駅南側にあるらしい。パンフレットをもらったことがある。それにしても、お菓子は甘いけれど、お菓子の現場は、大変なんだろうな。

その他に、菓子の工芸作品としては、「和と洋のシンフォニー館」「和の匠館」。菓子作り教室として、製菓学校の講師による「お菓子の学校」。実演販売としては、「姫路城下町」。

また全国の有名なお菓子が集合した「日本縦断!お菓子めぐり館」もできるようだ。それに色とりどりの洋菓子が食べられる「夢のスイーツカフェ」などもあるらしい。その他の催しとしては、「野点庭園」とか「ふれあいステージ」とかあるようだ。

それにしても、どれくらい試食できるのだろう。しかし、そうは言っても、試食しすぎても健康には問題だし、困った、困った。食べ過ぎてもいい、健康にいいお菓子も出品されるのだろうか。

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2008年1月29日 (火)

お夏清十郎考 (下)

「お夏清十郎」は、現代で言えば、社内恋愛問題と言えよう。社内恋愛は、今でもご法度の会社がある。社内風紀を乱し、仕事に差支えが出てくるからだ。それとは逆に、付き合いをオープンにし、結婚を前提であれば、認めている会社もある。どちらが良いかは、一概には言えない。

さて、お夏清十郎についての事件の真実は、時代が遠く離れると、なかなかわかりにくい。ただ二人の恋愛が問題になったのは間違いあるまい。但し、身分社会においての社内恋愛であることが、現代日本と若干様相が異なるかもしれない。

ところで、「村翁夜話集」に「おなつ清十郎事聞書」に、この顛末が記載されている。それによると、清十郎は室津(現在の兵庫県たつの市)の生まれというのは間違いなさそうだ。姫路に出て、但馬屋九左衛門の屋敷に奉公し、手代になったのも、そのようだ。

また、ここには、記載されていないが、お夏は、西鶴は、九左衛門の妹としているが、どうも、娘であったらしい。この辺は、やや複雑だ。他所で作った子供を自分の妹とすることは、実際よくあったからだ。だから、歳の離れた兄妹という態になる。そういうことは、明治以後も、よくあったことだと聞く。最近のことは知らない。

ある時、清十郎は、この店を辞めさせられている。ここでは、残念ながら、彼が辞めさせられた理由が書かれていない。しかし、「おなつ清十郎事聞書」となっていることから、お夏と清十郎に何か特別の関係があったことは確かだろう。二人が恋仲になって、別れさせられたのだろう。つまり、九左衛門は、当時、身分制度が厳しく、立場の違う者同士の恋愛は認めなかったのだろう。

それがために、追いつめられて、駆け落ちを計画し、失敗したことは、十分考えられる。彼は、(姫路)紺屋町の借家に住んでいたが、九左衛門への仕返しを考え、周囲のとりなしも耳に入らない。九左衛門は事前に察知し、彼を辞めさせて、穏便に処理しようとしたが、清十郎が逆恨みした可能性がある。

その結果、但馬屋に、刃物を持って、斬り込んだのだ。九左衛門は、筵にけつまずき倒れ、逃げるのに失敗する。清十郎は、それをのが逃さじと、斬りつけ重傷を負わす。付近の者が清十郎を取り押さえようとしたが、その場は取り逃がす。

しかし、後、捕らえられ、当時の姫路藩主は、藩の秩序を乱すものとして、厳罰に処した。それで、彼は、川原で打ち首になったとある。

ただ気になるのは、若い頃から、女遊びをしていた清十郎は、ある意味、異性関係の空しさを知っていたはず。少なくとも、純情ではなかったはずだ。その彼が、お夏をうまくあしらうことができなかった。

むしろ、お夏の方が執着し、清十郎は、止む無く対応したニュアンスがある。お夏が、純情ゆえ、いや激情ゆえ清十郎を追いつめたとも考えられる。この辺は「娘道成寺」の安珍・清姫を髣髴とさせる。お夏の執着は、清姫に通ずるものを感じる。

なお、清十郎は、お夏と共に尼寺(久昌庵)に匿われていたという話もある。後、清十郎を匿ったことで、この尼寺は閉門にされているということだ。お夏は、清十郎の死後、後を追おうとしたが、死に切れず、出家して尼になったと云われるが、他家に嫁いだという話もある。その後、お夏は、生きていたとすれば、どういう人生を送ったのだろうか。

また、この恋愛事件は、別の角度から見ると、ある意味、閉ざされた封建社会の息苦しさから出たものとも捉えることができる。多くの人々の同情と感動が、井原や近松の作品の動機づけになっているのだろう。現在のように自由に恋愛できる社会を知れば、彼らにとって、なんとも羨ましい社会と映ることだろう。

*追記

彼らのことは、二人の天皇が俳句や賛にされている。

 清十郎きけ 夏が来たとて 杜宇     後水尾天皇

 笠がよう似た ありあけの月         後西天皇

 注: 杜宇(ほととぎす)

  注: 後西天皇の賛は、お夏の心を憐れむ大衆が、「むこう通るは清十郎じゃないが、笠がよう似た菅笠が」と俗謡に唄って大流行になったことが背景にある。

*追記

なお、姫路・臨済宗、慶雲禅寺(光正寺)の墓地には、お夏清十郎の比翼塚と称される五輪塔がある。但し、あくまで塚であり、お墓ではない。なお、毎年、8月9日(16:00~16:20)には、供養祭が開催される。それに合わせて、近所では、夕方から、「お夏・清十郎まつり」という少しマイナーな催しがされるということだ。

なお慶雲寺について、もう少し記すと、播磨西国三十三カ寺を定めた南室和尚の代の時、当時、姫路城主だった池田輝政が、城の建築資材を分け与えて、再建したのが、この寺である。当時は、四つの塔頭寺院があった。現在は残っているのは、光正寺のみ。

*注 参考文献

      橘川真一・編『はりま伝説散歩』

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2008年1月28日 (月)

お夏清十郎考 (上)

お夏清十郎の話は、西鶴や近松によって、有名になった。ただ近松門左衛門の『おなつ五十年忌歌念仏』は脚色が過ぎる感じだ。もちろん、作品としては、それはそれでいいのだが、史実と照らし合わせると、全く別のもののように感じる。そういうことで、ここでは、西鶴の『好色五人女』の「姿姫路清十郎物語」の内容を取り上げてみよう。あらすじは、大体次のようだ(若干、流風が脚色)。

この物語は、播州室津(現兵庫県たつの市)の港の造り酒屋、和泉屋清左衛門に、男前の息子がいた。金持ちの道楽息子には、よくあることだが、14歳から女遊びを覚えて、遊郭通いにふける。父親は、自分の経験から、ある程度の遊びは認めたものの、度を越しているので、盛んに注意するが、彼は言うことを聞かない。これに業を煮やした父親が、ついに彼を勘当する。

今は、子供が問題を起こしても、親が甘くて、勘当もしないし、海外留学という態にして、ほとぼりが冷めるまで国外に追いやることが多いと聞く。彼らは海外でも、問題児だと聞く。それでは、何のための留学か。親の体裁を繕うためのもので、子供のためには、ならない。

話を戻すと、その後、彼は、心中騒ぎを起して、遊女を死なして、さすがに、これには、彼も参って、姫路に出る。そこで、知り合いのつてを頼って、本町の米問屋の但馬屋九右衛門の店で手代として働く。年齢ということもあるが、いきなり手代ということは、親が密かに手を回したのだろう。

彼は、改心したのか、それまでの遊びは忘れるほど、仕事に励み、主人にも認められるようになる。ところが、好事魔多し。主人の妹に、美人で誉れ高い、お夏という女性がいた。お夏は、男を選り好みして、なかなか縁談がまとまらなかったのだ。

今でも、お金持ちのお嬢さんが、そういうことが多いですね。こういう女性は、ある程度の年齢になれば、第三者に選んでもらった方が、うまく行くというもんだ。男を選ぶ眼など持っていないのが普通だからだ。大体、選り好みして、結局、スカを掴む(笑)。

それに贅沢な暮らしに慣れてしまうと、満足できる生活水準が切り上がってしまう。結婚で、生活水準は落とせなくなる。それでは、相手は見つからないはずだ。本当は、子供たちに、贅沢な暮らしをしないよう、他家で修業させるのがいいのですが、最近の親は、手元に置き過ぎて、駄目にしてしまう。ピークの生活をすれば、後は落ちるだけということがわかっていない。残念なことです。それは男も同様だ。

さて、お夏は、最初から、彼に関心があったわけではない。色々な悪い噂話は聞いている。しかし、ある日、清十郎が女中に、帯の仕立て直しを頼んだところ、中から遊女の手紙が十数通出てきた。それをお夏が読んだことから、こういう女性の特性として、彼に関心を持つことになる。

大体、お嬢さんというのは、非日常的なことに関心を持つ。平凡な生活には満足できない。そういうことから、無鉄砲な恋愛関係という落とし穴にはまることになる。大体、結婚生活は、平凡な営みであり、非日常的であることが例外的なことをご存じない。

清十郎に恋心が芽生え、熱心に手紙を送り、清十郎もそれに応えようとする。最初、清十郎は、それほど興味はなかったが、お夏の熱心さに心が動く。だが、なかなか二人きりになれる、そういう機会は持てなかった。そこで、お夏の意向に応えようと、清十郎が、花見を計画し、他の者たちが獅子舞に湧く間に、二人きりになり、思いを遂げる。

清十郎は、その後、多くの障害のため、飾磨港(姫路)から大阪へ駆け落ちを図る。しかし、少し船が出たところで、船頭が状箱を忘れたことに気づき、港に戻ったところ、追っ手に捕まり、連れ戻され、清十郎は投獄される。

更に、但馬屋では、七百両が不明になっており、彼に嫌疑がかかり、罪をきせられ、処刑される。清十郎、二十五歳だった。その後、七百両は別のところから見つかる。冤罪は、今でもありますね。捜査の方法がまずいのか、誰かが陥れようと罠に嵌めたのを見抜けないからか。

お夏は、清十郎が処刑されたことは知らなかったが、近所の子供たちが「清十郎殺さば、お夏も殺せ」と歌うのを聞いて、初めて清十郎が死んだのを知り、一時狂乱に陥る。周囲に説得され、出家し、清十郎を弔う決心をする。時に、お夏、十六歳だった。

次回に続く。

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2008年1月27日 (日)

鹿の話

現代で、鹿というと、流風にとっては、奈良の鹿とかが印象に残る。若い頃は、奈良公園に行って、鹿煎餅をやったものだが、自分でもかじってみたが、まずかった(笑)。最近は、餌がなくなって、里に下りてきて、食べ物を食い荒らすイメージだ。

ところが、鹿は古代では、皆、相当関心を持っていたようで、鹿に会えると吉兆とか、神様の使いとしている。それは江戸時代まで続き、鹿の餌代として、相当のものが春日大社等に幕府から下されている。それを題材にした落語『鹿政談』もある。豆腐屋が、犬と間違え、鹿を打って殺したことから大騒ぎというもので、うまく裁いた奉行を描いている。

また、白鹿の話もある。唐の玄宗皇帝の頃、宮庭に白鹿が迷い込んで、その角の生え際に、「宜春苑中之白鹿」と彫られた銅牌が現れたからとしている。宜春苑は1千年前の漢時代のもの。そこでこれは長命ということで縁起がよいとした。ちょっと胡散臭い。臣下の誰かが、仕組んで、玄宗皇帝にゴマを摺ったのだろう。長生きされますようと。しかし、理由はどうであれ、それ以降、白鹿は愛育されたそうだから、臣下の企みは成功したようだ。そういうと、お酒のブランドにも、ありますね。

明治には、あまり評判のよくない、鹿鳴館時代があったが、これは詩経の「小雅」の「鹿鳴」から取って名付けられたという(但し、違うという意見もある)。鹿は集団で、食事をすることから、来客や賓客を大事にし、共に楽しい時間を過ごすということから、この名前をつけたようだ。

鹿に関する神戸の逸話としては、次のようなものがある。一の谷の合戦の時、義経は、鵯越の坂を馬で下りられるかどうか思いあぐねていた。その時、鹿が下りているのを見たことがあるという話を聞いて、鹿が下りられるなら、馬でも下りられると判断したというのは、有名な話だ。但し、当時、この場所に鹿がいたかどうかは確認されていないそうだ。

更に鹿は精力が旺盛で、浮気は当たり前のようである。鹿の角は、民間精力剤としても活用される。その肉も、「もみじ」と呼ばれ、精がつくため、好きな人も多い。そこで、精力のありすぎる鹿の浮気を題材にした話が、『播磨国風土記』に載っている。神戸の夢野に妻のいる牡鹿が住んでおり、内緒で淡路島に愛牝鹿がいた。その牡鹿は、ある夜、「背にススキが生え、雪が積もった」奇妙な夢を見た。

そこで、妻鹿に夢占いをしてもらうと、「不吉」と出た。それなのに、妻が止めるのも聞かず、その牡鹿は、はやるように、淡路島に通おうとして、出て行った。しかし、海を泳ぐ途中で、射殺されたと云う。妻の言うことは、聞くもんだという教訓話。

これは、もちろん人の話であろう。直接、その人の名前を出すのは憚られるので、擬人化して、冷やかしたのだろう。いや妻の立場で、それみたことかと憂さを晴らしたと言うべきか。でもなあ、わかるんだよなあ、牡鹿の気持ち。駄目だと言われれば、余計にやってみたくなる気持ち。流風も、気をつけなければ。でも、今、そういう女性はいないか(笑)。

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2008年1月26日 (土)

寒い冬に思う

今年の冬は、ここ最近続いていた暖冬ではなさそうだ。どこが温暖化かと思うほどだ。先最近、就寝後、あまりにも寒いので、深夜、よく目が覚める。温度計を見ると、零度前後だ。寒いわけだ。二度寝しようとするが、寒くて、なかなか寝付けない。

内外の温度差が激しくならないように、暖房は基本的にコタツ以外、何もしないのだが、これは両親がそうだったから。一応、暖房設備はあるのだが、あのむっとした雰囲気があまり好きでない。それで、少しの寒さなら辛抱してしまう。まあ、寒冷地の方々からすれば、何でもないのだろうけれど。しかし、こうも寒ければ、就寝の時は、少し暖かくしようかな。

さて、先日、寒い風が吹きまくる中で、バス停で、バスを待っていると、二十代の男が、背を丸めて、手をポケットに入れて立っていた。その風景を見て、昔のことを思い出した。

子供の頃、寒くて、背を丸くして、ポケットに、ひびだらけの手を入れていたら、背筋を伸ばして、ポケットに手を入れるなと、父に厳しく叱られたものだ。しかし、寒さには耐えられず、すぐポケットに手を入れてしまう。また叱られる。その繰り返しをしていたら、ついに業を煮やした父が、ポケットに手を入れた流風を後ろから突き飛ばした。

もちろん、顔は地面(但し、道路は、現在のように舗装していなくて、土の道路)に直撃し、鼻血は出るし、この時は、さすがに大泣きした。その声を聞いた母がびっくりして駆けつけたが、父は、そのままにしておくように指示し、母はおろおろしていたのを思い出す。最近だったら、幼児虐待になるのだろうか。

しばらくして、顔も服も、ぐちゃぐちゃになった状態で立ち上がったところ、やっと父が母に、手当てしてやれと指示していたように思う。そして、後で、部屋に一緒に来るように言っていた。

母に、服も着替えさせてもらって、こわごわ父の部屋に行くと、父が、「お前は、私の言うことを素直に聞かない。私が言うのには意味がある。これから、学校に通うようになると、今回のようなことがないとも限らない。手をポケットに入れていたら、自分を支えることもできない。これは自分の身を守るためなんだ。わかったか」と言う。

大体、興奮状態の中にいる子供に、そんなことを言ってもわかるはずがない。これらのことは、後で、母に教えてもらったことだ。「お父さんは、お前のためを思ってしたことだから、恨んだらあかんよ」と言っていた。

それにしても、父は、いつも説明が足りない。言葉が足りないから、誤解されやすい人だった。だから、流風は、父を母ほど好きではなかった。

しかしながら、社会人になってからは、父のアドバイスは的確で、ほとんどはずすことがなかったので、尊敬するようになった。今でも、父だったら、どうしただろうかと、考えることはよくある。それにしても、この寒さは、いつまで続くのだろう。

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2008年1月25日 (金)

二人の姫

日本の神話『古事記』にしろ、『日本書紀』にしろ、繰り返しが多く、読みにくい古典だ。最近は、わかりやすい解説書が出ているから、全体の流れがわかるが、そういうものがなかった若い時は、蔵書としてはあったものの、どうも読む気がしなかった。

さて、今回は、その中から、二人の姫を備忘的に、取り上げよう(*注1)。まあ、よく取り上げる女性の嫉妬の話だけど。第十九代天皇、允恭(いんぎょう)天皇は、皇子の時に、忍坂大中姫(おしさかのおおなかひめ)と結婚した。忍坂大中姫は、稚淳毛二派皇子の女と云われる。稚淳毛二派皇子がどういう人物かはわかっていない。

允恭天皇は身体が不自由だったと云われている。身体が弱い上に、兄が二人おり、天皇になれる可能性は低かった。しかし、その兄たちが早世し、お鉢が回ってきたが、身体が弱く、とても天皇はできないと辞退する。

それを、「そんなことでは駄目」とけしかけたのが、妻の忍坂大中姫だった。彼女の決死の努力で、皇子も、決心を翻す。おおこわ(笑)。現代でも、いますよね、こういうご婦人方。主人に色々口出しして、世間の顰蹙を買う方。

まあ、忍坂大中姫は、ある意味、女傑なんだろうけれど。世間の顰蹙は買わなかったが、女傑という意味では、あの松下幸之助夫人も、身体の弱かった幸之助を支えて、企業を発展させたところは、似ている。

皇子はついに天皇に即位する。しかし、そのように支えてくれた糟糠の妻も、だんだん厚かましくなり、天皇は、うっとうしく感じるようになる。大体、こういう女性の特性として、夫に尽くしたと思うと、恩着せがましく、何かと夫にうるさくなる。

こういうのを男が最も嫌うことも理解できない。男としては、確かに妻に対する恩義は感じるが、男として立てて欲しい気持ちがある。それを妻が理解できないと、隙間風が吹く。夫の不遇時代を支えた妻が、夫が成功すると、あまり感心はできないが、夫に新しい彼女を作られて、捨てられるのは、こういうことも影響している。

そこで、いろんな理由をつけて、前々から美人だと目をつけていた、彼女の妹を召せ、と忍坂大中姫に言う。彼女は、男の真の気持ちを理解できず、さまざまな抵抗をする。しかし、男というものは、こんなものかと、少し諦めも手伝って、了解し、妹の衣通郎姫(そとおりひめ*注2)を奉ることにする。ここら辺は、秀吉とおねね夫妻と淀の君の関係に近い。男女関係問題においては、歴史は繰り返す。幸之助もね。

この衣通郎姫は、この美人の喩えに、「織姫か、衣通郎姫か、小野小町か、楊貴妃か」と云われてきた一人だ。彼女は、允恭天皇の皇后、忍坂大中姫の妹(おとひめ)であるとされる。だが、姉妹だったとしても、忍坂大中姫が美人という話題に上らないのは、彼女等が異母姉妹だからだろうか。

衣通郎姫は、肌が透き通るほど白く、衣から透けて見えると云われた。かつて、日本の皇族達は、美人の豊かな国から彼女等を召したという話がある。彼女は、その系列の女性の可能性が高い。

衣通郎姫は姉のことを慮って、応じようとしないが、天皇は臣を度々送って、説得にあたらせ、ついに、止む無く応じることになる。天皇は藤原宮を建てて、近江坂田から迎えるが、妻の嫉妬は、激しく、思うままに、会いに行くことはできない。

皇后が、茅淳宮(ちぬのみや、大阪河内)に移り住み、出産の時をいいことに、猟を名目に衣通郎姫のところに出かけて行き、思いを遂げる。しかし、それは、すぐ皇后に女の直感で発覚し、烈火のごとく怒りを買うことになる。その後は、皇后の監視が強く、訪問は思うままにならなかったとされる。姉妹であればこそ、余計に複雑な嫉妬で、荒れ狂った女性の哀しさが見えてくる。

*注1

『古事記』と『日本書紀』では、人物の設定が異なる。このブログでは、『日本書紀』の方の説を採用した。

*注2

『古事記』では、允恭天皇皇女の軽大郎女の別名とされる。その内容は、『古事記』では、男女関係の深刻な問題を取り上げているが、『日本書紀』は女性の嫉妬問題を取り上げている。

また案外、衣通郎姫は、忍坂大中姫の姉か妹の娘かもしれない。伯母と姪の関係かもしれない。そうだとすると、『古事記』の方が、史実に近いかもしれない。

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2008年1月24日 (木)

根回しできない人々

いろいろ物事をうまく運んでいくためには、関係部署の事前納得のため、根回しが必要になってくる。ところが、人それぞれ持論・自説があり、説得には手間取るものだ。そこで、仕事が終わってからの、「ノミニケーション」が必要になってくる。人間、お酒が入れば、本音も見えてくる。そこで、落しどころを確認できれば、素面の時に、再確認しても、同意を得やすい。

ところが、こういう手間を省くと、まとまるものも、まとまりにくくなる。それが人間社会と言ってしまえば、仕方ないが、苦手な人もいる。流風も、どちらかというと苦手だった。優秀な先輩や同僚は、ゴルフだ、飲み会だと言って、積極的に参加していたが、流風は、当時、無駄だと感じて、どちらかというと敬遠気味だった。

しかし、営業に出た頃から、それでは済まない事が徐々にわかり、一見無駄と思われることが大切と理解したものだ。人は、事前に情報をもらうと、なぜか喜ぶのだ。多分、自分だ特別扱いされていると感じるのだろう。そうなると、本音がでやすい。これこれはいいけど、ここは問題だから修正した方がいいとか、いいアドバイスももらえる。

確かに、これは行き過ぎると、一種の談合になるのだが、うまくまとめるためには必要悪なのだと悟ったのだ。もちろん、企業の場合では、確かにそういう根回しをせずに、仕事を運ぼうと思えば運べよう。成果は、落ちるが。

しかし、政治の世界での、最近の根回しのできない諸大臣・諸官庁の動向を見ていると、これはあまり宜しくない。国民経済に直結することだからだ。

例えば、今、「政策不況」と言われている「改正建築基準法」の運用によって、建設業界は、にっちもさっちも行かなくなっている。これは耐震強度の構造計算の偽装の問題化により、改正されたものだが、あまりにも、取り締まりに力を入れすぎて、現場の声を無視したことから起こっている。

もちろん、業界体質は改められなくてはならないが、それでも、十分な根回しをしたのかどうか疑われる。もっと現場の声を聞いて、最近、別の問題でよく言われる「暫定期間」の設定が必要ではなかったかと思う。確かに、「暫定」という言葉は曖昧なので、例えば「3年」後に新しい法律に完全に移行するとすればいいのだ。

暫定期間中は、発生するだろう諸問題を解決することにすればいい。それが、この省庁はできていない。現場を混乱させ、結局、民間の仕事を停滞させ、結果的に、「政策不況」と言われる始末だ。

もちろん、タイムラグを通じて、この問題は解消されるかもしれないが、失速した景気は、なかなか戻らないだろう。これのため破綻する中小企業も出ており、地域は傷ついている。

根回し不足は、別に、この省庁だけではない。他の省庁も同じことが言える。諸大臣の発言を聞いていれば、それはわかる。自分の思いをええかっこして言うのはいいが、それを実現する努力に欠けているのだ。

どうしてこのような政治家が多いのかと考えると、結局、末端の国民の現状をご存じないからだろう。お坊ちゃま議員や二世議員及び官僚達は、政策を実現する上での根回しの必要性を感じていないのだろう。これでは、政治はできない。せいぜい政治ごっこしかできない。政治を劣化させないためにも、次の選挙では、これらの議員を落とす必要があると感じる。

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2008年1月23日 (水)

アドバイスの仕方あれこれ

今年も四月になれば、各地で新入社員が溢れることだろう。新しい気持ちで頑張ってもらいたいものだ。

さて、新入社員の頃は、仕事を覚えるのに必死で、仕事本来の厳しさはまだ理解していない。しかし、新入社員も数年もすれば、仕事に慣れてきて、仕事の難しさも徐々にわかってくる。辛いことも増えてくる。先輩や上司からの怒鳴り声も聞こえてくる。

そうなると、仕事は、辛い、辛いとなる。流風もそういう時期があった。いくら努力しても、壁にぶち当たる。いつも難しい顔をしていたそうだ。

そうすると、ある先輩(直接の上司ではない)から、「仕事は楽しんでやらなければならない。君の人生の中で、仕事をする時間はかなり占めるので、それを辛い、辛いとやっていては、余計に辛くなる。それなら、楽しんで仕事をしてはどうか」と。

このアドバイスで、流風は肩の力が抜けて、気分的に楽になったと思う。気持ちの持ち方が変わったせいか、仕事がスムーズに運ぶようになり、仕事に対する自信もついた。それから、結構忙しく働いていたように思う。

数年して、同じ先輩と再会し、「仕事の方はどうか」と聞かれ、「ええ、先輩のアドバイス通り、楽しくやっています」と答えた。そうすると、その先輩から、「アホッ、楽しくやっている内は、お前は、仕事の厳しさがまだわかっていない」と怒鳴られた。

流風は、狐につままれたような気分で、立ちすくしていると、先輩は、すっと立ち去っていった。この人生の師といってもよい、この先輩は、残念ながら、若くして逝ってしまわれた。

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2008年1月22日 (火)

我等、皆、宇宙の子

長野に住む小学生姉妹が、「宇宙語」を発明したそうな。姉の方が、「私達も、宇宙人の一人」と言っているらしい。それが「宇宙語」を作った理由とのこと。プラネタリウムを舞台に、「星の語り部」の一員らしいが、この感性には、驚いた。妹さんも、ユニークな詩を作っているようだ。すばらしい。何かと夢のない子供たちが多い中で、このような子供たちがいることは、私たちを勇気づけてくれる。

さて、話は変わるが、子供時代、父から塾通いは禁止されていたが、習字に行くことだけは許してくれた。そこで近所の老先生に習うことになった。割と一生懸命取り組んだが、上達はしなかった。両親からは、「何で習字習ったのに、あんたはそんなに下手なんや」と言われ続けて、今に至っている。

そういうと、先日、最近売り出している、ある若い女優さんが筆で文字を書いていたが、あまりにも達筆なので、びっくりしてしまった。あ~あ、天は二物も三物も与える。ああ、それなのに、それなのに、この歳になって、未だに上達せず。

先日も、ある会館で、書展が開かれていたので、何気なく立ち寄ると、見事な作品ばかりだった。帰りに受付で、先生らしき女性に、記帳を求められたが、字が下手なので、お断りを入れても、何とかと言われる。恥を覚悟で、止む無く書いたところ、「なかなか個性的な字ですね」と、傷つけないように、うまいこと仰る。穴があったら、入りたい。

どうも、全く表題と違う方向に行ってしまったが、老先生に最初に習った手本が、「宇宙」であった。そこに前から通っている先輩に聞くと、ここの先生は、最初は皆、「宇宙」から習うとのこと。確か、先生も説明されていたような気もするが、忘れてしまった。多分、人間は、皆、宇宙の子なのだから、あまり小さいことに捉われないようにしなさい、という風だったかな、とうろ覚え。今から、考えれば、地球にいる人々は皆、宇宙の子なのだから、宇宙の法則に従え、ということだったのかもしれない。

宇宙人の一人として、今後もブログを記していこう。でも、もう少し、宇宙のことを知らなければならないなあ。冬空を見上げて、ふと考えてしまう。あのどこかにいる宇宙人がブログを読んだら、どう思うだろうか。流風も、あの姉妹に宇宙語を学ぶとしますか。でも、当面、ブログは、日本語で書き込みます(笑)。

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2008年1月21日 (月)

裁判官の心構え

裁判員制度が何かと話題になるが、本来の裁判官の心構えはどうあるべきなのか。法律をベースとしながらも、人が人を裁くには、念には念を入れてやる必要がある。ただ、その前に、裁判官の心構えが、大切だ。それが、十七条の憲法の第五に示されている。

五に曰く

餮(てつ)を絶ち、欲を棄てて、明らかに訴訟を弁ぜよ。

其れ百姓の訟は、一日に千事あり。一日すら尚爾るを、況や累歳をや。

頃ろ、訟を治むるもの、利を得るを常となし、賄を見て讞(げん)を聴く。

すなわち財ある者の訟は、石を水に投ぐるが如く、乏しき者の訟は、水を石に投ぐるに似たり。

是を以て、貧民はすなわち由るところを知らず、臣道も亦、ここに於いて闕(か)く。

いつものように、流風的に解釈してみよう。

まず、「餮(てつ)を絶ち、欲を棄てて、明らかに訴訟を弁ぜよ」は、餮(てつ)の解釈が難しいが、貪る心を絶ちきり、諸々の欲を棄てて、民からの訴訟は、公平に処理しなさい、ということだろう。

当時は、財のある者の訴訟が優先され、一般民衆の訴訟が、いい加減に放置されたのだろう。現代では、当時ほどのことはないだろう。

しかし、裁判の裁定という意味においては、現代でも、公平というのは、実際は、なかなか難しいことだ。一方から見て公平であっても、見方が違えば、公平とはいえなくなるからだ。それに、時代の雰囲気が加わる。

法治とはいえ、公平というのは、心が情理において安定していなければならない。情に重きが行き過ぎても、理に重きが行き過ぎても、正しい裁判はできない。裁判とは、つくづく難しいものだ。

次に、「其れ百姓の訟は、一日に千事あり。一日すら尚爾るを、況や累歳をや」というのは、百姓をはじめ、一般民衆から、毎日たくさんの訴訟ごとがある。それを一日のうちに処理できればいいが、少し残し、少し残しを繰り返すと、一年には、多くの処理件数が残ってしまう。

裁判は、できるだけ、訴訟のあった当日に処理することが望ましい。ただ、訴訟が増えすぎれば、処理は不可能になる。これらに対処するには、傾向値を確認し、早めに法律を作り、規制し、訴訟にならないような処置が求められる。

しかしながら、法律の整理をせずに作りすぎると、法体系が複雑になりすぎて、裁判も複雑になる。よって、法体系を常に整理しながら、新しい法律を作ることが求められる。それは耶律楚材がすでに指摘している。

「頃(このご)ろ、訟を治むるもの、利を得るを常となし、賄を見て讞(げん)を聴く。すなわち財ある者の訟は、石を水に投ぐるが如く、乏しき者の訟は、水を石に投ぐるに似たり」は、最初に、匂わせたことを具体的に記している。つまり当時の裁判の腐敗を追及している。最近の判官(裁判官)は、私利を優先し、賄賂の多寡によって、裁判に手心を加えていると聞く。すなわち、財が豊かな者の訴訟は、極めて早く手心を加えており、財の無い者に対しては、訴えを放っておく。

現在の日本はどうだろう。そういうことはないと思いたいが、腕利きの弁護士を雇おうと思ったら、お金持ちのほうが有利だ。法律を捻じ曲げて解釈する例も、散見される。それに対応する裁判官は、どのような影響を受けているのだろうか。

「是を以て、貧民はすなわち由るところを知らず、臣道も亦、ここに於いて闕(か)く」は、このようなことをしていると、貧しい者たちは、頼れるところを失い、臣下の守るべき道も成り立たなくなるのだ。貧富の差は関係なく、公平な裁判をするように、求めている。この条文を定めたということは、当時、裁判がかなり歪んだ状態だったのだろう。聖徳太子の苦悩が伺える。

以上、裁判官の心がけだが、一般人でも、裁判まではいかなくても、同様な判断を求められた場合の心がけとして、参考になるかもしれない。

ただ、このように見ていくと、裁判官でさえ、大変なのに、裁判員制度で、一般人が参加するほど、簡単なことでないことがわかる。裁判員教育ができぬままに、この制度を導入することに不安を覚える。海外の仕組みを真似たこの制度は、難しい問題を抱えていると言えるのではないか。

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2008年1月20日 (日)

ペット墓から先祖供養を考える

最近、先祖供養しない人たちがいる。毎夏のことだが、盆休暇にでさえ、お墓参りもせず、それ海外だ、レジャーだといっている人たちがいる。そういう人たちの墓は、実際は存在していても、実質、お墓は倒壊しているのと変わりない。魂は浮遊するばかりである。そのような家は栄えないと云われている。

その一方で、最近、ペット用の墓苑がある聞いて、ちょっと違和感を覚える。ひどい人になると、ペットのお墓を造っても、人間の先祖供養しない人たちがいる。ペットに感情移入していた人たちにとって、ペットは家族というが、そうだろうか。

一体、犬や猫に魂があるのだろうか。実は、こうした疑問は、昔からある。『碧厳録』の第六十三則に「南泉斬猫児」とある。禅僧、南泉普願は、犬や猫に仏があるか、論争して、猫を斬ったのだ。

このことは、後世、批判の対象になる。こういう極端なことをしないと、凡夫は気づかないと判断したのかもしれない。やり方はまずかったが、評価できると、評価する向きもあった(*注)。

人間は、動物とどう違うのか。人間が動植物と違うと主張するのであれば、人間は畜生から脱し、それに相応しい行動を取らなければならない。果たして、どれだけの人々が、人間としての行動を取れているのだろうか。

人間は考えるところが、動物と違うと云われる。自分の存在価値を自ら確認できるのが、人間ということか。そういうことで、私達は先祖があって、現在の自分があるという意味において、先祖を崇拝してきた。

ペット墓を造る人たちは、多分自分自身の存在価値を認識していない人たちが多いのではなかろうか。私達は、ペットから生まれたわけでもないし、ペットを産んだわけでもない。自分の存在確認をしておれば、ペットのお墓などは作らないだろう。ペットが祖先ではないのだから。まずは、先祖供養をすべきだろう。

*注

ただ、『碧厳録』は難解なので、流風が必ずしも正確に理解しているわけでもない。

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2008年1月19日 (土)

藁の上から貰う

代理母問題が議論されているようだが、やはり無理がある。日本学術会議が、代理出産を禁止したのは頷ける。人間であっても、生態系を歪めることは、認めるべきではない。

さて、このことで思い出すのは、昔、子供がない夫婦が、妊娠した段階で、親戚の子供をもらう約束をして、その子供を貰い受けて、自分の子供としたことがあった。

それを「藁(わら)の上からもらう」と言っていた。まさか、牛や馬と同じ扱いという感じもするが、昔の農家では、納屋の藁の上で、出産していた名残から、このような言葉が生まれたのであろう。

もちろん、戸籍上は、最初から、貰い受けた夫婦の実子として、扱われていた。子供が将来、悩まないようにとの配慮があったのだろう。両親は、皆、自分の本当の子供のように育てていた。

しかしながら、どこから漏れるのか、その子供が、「貰い児」であるという話が、伝わってきて、本人が悩むということは、多かったようだ。流風の知っている人も、悩み、親はそれ以上に悩んだそうだ。そして、あげた方の親も悩んだそうだ。子供をやり取りしたことは、よくなかったのか。

こういう微妙な問題は、子供は深く傷つく。親の了見で、子供の人権が左右されるのは、辛いことだ。こういうことであれば、最初から、子供を諦めるか、養子を最初から本人にはっきり示して、「あなたは養子よ。これこれの事情で、養子になってもらった」と説明された方が、本人は、まだ納得いくかもしれない。しかし、なぜ、自分だけが養子なのかと悩む可能性もある。

子供ができない人の気持ちはわからぬでもないが、代理母は避けるのが望ましいだろう。子供がなければ、それはそれでいいではないか。また見方を変えれば、天が授けないということは、行いが正しくないからかもしれない。もう一度、自省することが求められる。

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2008年1月18日 (金)

自然保護活動家の欺瞞

自然保護活動家と言えば、社会に対し、正しく貢献しているように聞こえる。もちろん、純粋な自然保護活動家は確かにそうだろう。

しかし、世界の自然保護活動家の中には、政治的意図を感じさせる者も多い。彼らのバックには、いろいろな思惑のある業者(または国家)が控えていて、資金的にバックアップしているということは、前々から指摘されている。

オーストラリアの反捕鯨活動家たちも、その範疇の人たちと見て、間違いなかろう。彼らは、金を貰っているから、必死なのだ。成功報酬が大きいのだろう。だから、日本としては、単純に国民感情で、反応しないことが求められる。しかし、2008年1月17日付けの日本経済新聞の「春秋」欄は、やや感情的だ。これでは、彼らの思う壺だ。

確かに、捕鯨が増えることは、オーストラリアを含む海外の畜産・穀物の輸出業者にとっては、切実なことかもしれない。しかし、これを理由に政治がらみにすることは日豪双方にとって望ましくない。単に捕鯨問題でなくなってくるからだ。それは日豪の友好に楔を打ち込もうする勢力の罠に引っかかることになる。

自由主義社会で、他者の行動を思惑で制限することは、彼ら自身、問題になりうる。そのように対応するなら、日本も、あらゆる制限をすることで対応することができる。そうなれば、誰が一番損をするのは誰か。そして、誰が得をするのか。冷静に状況を見極める必要がある。

つまり日本は、合法的な活動をしているのであり、彼らの抵抗は無視し、粛々と業務を遂行すればいい。マスコミも無視をすればいいのだ。そうすれば、自然と止む問題である。世界に限らず、広く世の中は、いろんな思いや思惑で動いていることは確かだろう。

しかし、今回のような時は、彼らに惑わされずに、政治的問題にしないことが、望まれる。漁夫の利を得るのは誰か、考えねばならない。そうすると、ほくそ笑む第三の国家の姿が浮かび上がるはずだ。

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2008年1月17日 (木)

勧善懲悪について

最近、『鞍馬天狗』など時代劇が見直しされているように感じるが、流風が子供の頃は、テレビや映画では、勧善懲悪を題材にした時代劇が多かったように思う。

古くは、『南総里見八犬伝』などから、隠密や忍者物の『隠密剣士』など。それに、『銭形平次』などの各種捕物帳。『大岡越前』のような奉行物。少し傾向は違うが、『鬼平犯科帳』のような不法取締りもの。現在でも放送している松下幸之助が好きだったと云われる『水戸黄門』等々。

そういうことを通じて、子供時代は、何が善で、何が悪なのか学んだように思う。もちろん、これらは一面的で、見方が偏っているとも言えるが、子供にはわかりやすい。こういう時代劇を見ていると、法治国家とは、いかなるものか、自然に学べるものだ。

しかし、世の中は、完全に勧善懲悪かというと、そうであって欲しいが、必ずしもそうでないだろう。だが、始めから、それを諦めてしまっては、どうしようもない。いろんな立場で、取り締まる立場にある人たちは、勧善懲悪という精神を失ってはいけないだろう。

十七条の憲法の第六では、そのことが指摘されているので、取り上げてみよう。基本的には、役人に対する戒めである。

六に曰く

悪を懲らし、善を勧むるは、古の良典なり。

是を以て、人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては、必ず匡(ただ)せ。

其れ諂(へつら)い詐(いつわ)るものは、則(すなわ)ち、国家を覆すの利器たり。人民を絶つの鋒剣たり。

また佞媚(ねいび)する者は、上に対しては、則ち好みて下の過を説き、下に逢いては、則ち上の失を誹謗す。

其れかくの如き人は、みな君に忠なく、民に仁なし。是れ大乱の本なり。

いつものように、解釈すると、まず、「悪を懲らし、善を勧むるは、古の良典なり」とは、善をなすように勧め、悪を懲らしめるということは、昔からの国家を治める基本的な原則である。こういうことを中途半端にすると、人心が乱れ、落ち着きがなくなり、ひいては、国家を乱すことになる。

次の「是を以て、人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては、必ず匡(ただ)せ」とは、これから言えることは、人が善い事をした場合は、オープンに、正しく評価しなければならない。他の人は、それを見て、自らの行動を正すことができるのだ。逆に、人が悪いことをしている場合には、徹底的に、これを糾し、こういう行いが二度と起させないようにしなければならない(単に罰するだけではいけない)。そうすれば、他の人も真似ることをしない。

「其れ諂(へつら)い詐(いつわ)るものは、則(すなわ)ち、国家を覆すの利器たり。人民を絶つの鋒剣たり。」は、上に対して、真実を告げず、上の顔色を見ながら、諂いや嘘偽りを言うようなことではいけない。そのようなことをすれば、国家転覆に役立つだけなのだ。それは、結局、一般人民を苦しめる鋒(ほこ)や剣になってしまう。そういうことのないように、役人は勤めなければならない。

「また佞媚(ねいび)する者は、上に対しては、則ち好みて下の過を説き、下に逢いては、則ち上の失を誹謗す」は、また諂い媚びる者には、最大限、注意しなければならぬ。彼らは、上に向かって、下の過ちの悪口を言い、下に向かっては、上の失敗を誹謗中傷するものである。

「其れかくの如き人は、みな君に忠なく、民に仁なし。是れ大乱の本なり」は、結論として、これらの諂詐や佞媚する者は、トップに対して、忠誠心はこれっぽちも持ち合わせていないし、民衆に対しては、慈愛も、持ち合わせていない。彼らの本心は覆い隠されており、わかりにくいが、注意深く日常の行動をつぶさに観察し、放置してはいけない。なぜなら、彼らは国家大乱の基となる可能性が高いからだ。

聖徳太子は、人間というものをよく見ておられる。人間とは、誰もが善悪両方持っており、そのどちらを優先するかは、考え方次第で決まる。つまり社会に対して正しいことをしようとすれば、善を行うしかない。善を行えば、悪は減る。悪は完全にはなくならないが、減らすことはできる。

すなわち、善を行うことを優先し、悪をコントロールできれることが望ましい。そして、人間社会では、個人の行いが、多くの人々に影響を与える。特に高い地位にいる方は、十分気をつけなければならない。自分を律する人が増えれば、結果的に社会・国家は安定することになる。法律だけでは限界があることを知らねばならない。

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2008年1月14日 (月)

つぶしが利く

流風は、寿司飯を時々作るが、これは重宝なものだ。家庭で、寿司飯があれば、後に足すもので、いろんな種類の寿司をつくることができる。普通のにぎり寿司はもちろん、ちらし寿司、いなり寿司、箱寿司(押し寿司)もできる。特に、ちらし寿司の混ぜ物は、その時々で、いろいろ工夫することで、バリーエーション豊かな寿司ができる。手抜きの割には、人々に喜ばれ、そういう意味では、鍋物と似ている。

それと同様に、人材もそう言うことができる。企業には、確かに専門家といわれる人々が必要だが、つぶしが利いて、人材が転用できることが、企業経営にとっては望ましい。もちろん、一定の専門家は専門家で通す必要があるが、それ以外は、様々な職種を通じて、レベルが上がっていく。日本の企業は、かつて、ローテーション人事でそのようにしてきた。

しかし、最近の若い人の中には、職種を選び、入社後、職種転換を拒否する人がいるらしい。それは実にもったいないことだ。仮に技術職であっても、営業職を経験することは、人生においては、価値があることだし、仕事上においても、必ずプラスになることだ。

あまり自分の能力を狭い範囲で見ないことが求められる。自分の潜在能力というのは、意外なところで発揮されるというのが、過去の事例で多く見られるのだ。いろんな仕事を社内で経験できることは、いわば、企業からのプレゼントだと思えばいい。転職して、仕事を変わるよりリスクははるかに小さい。あまり自分自身を固定的に考えないほうがいいと思う。もちろん、人材も、ベースとなる寿司飯程度の能力は最低限度求められるが。

*参考 寿司飯の作り方をご存じない方へ

3人分ぐらいだったら、二合のお米をいつもより少な目の水で炊いて、桶に取り出し、お酢大さじ3、砂糖大さじ1、塩小さじ1をよく混ぜた物を、御飯を冷ましながら、混ぜ合わせていくと寿司飯ができる。砂糖と塩は、好みで、若干少なめにした方がいいかもしれない。

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2008年1月13日 (日)

いたわる心 その一

流風が若い頃(20代の前半)、あるお客様のところに伺って、(やや記憶が曖昧なのだが)確か、そこの奥様から聞いた話に、「何でも、いたわって使う」ということがあった。それは自分に関わりあうものはすべてという。

例えば、物を大事に扱う。しかし、好きな物や高価な物を納屋や押入れの奥にしまいこんでいることは、大事に扱うことにはならないという。物は、使ってやって、その持っている本分を心置きなく、発揮させるのが、いたわりになるというのだという話だった。

そのためには、持ち物を常に点検し、使われていないものがないかチェックされるそうだ。更に、お皿とか、ガラスの器など、同じものが何個かある場合でも、順番に使っていると仰っていた。そうすると、皿や器が喜んでいるように感じられたのとのことである。

そしたら、使わないものは、どうするのですかと、質問すると、返って来た答えは、使わないということは、持ち主が大事にしていないということ。それなら、使ってもらえる人に差し上げるか、処分するしかないという。

だから、人に差し上げたり、処分するのは、できるだけ避けたいので、物を購入する時には、慎重にならないといけない。お金があるからと言って、衝動的に買うものではない、と教えられた。

その時は、ふ~ん、という意識しかなかったが、今から考えると適切なアドバイスだったように思う。それ以後、流風は、このアドバイスを受け入れて、無駄遣いは減ったと思う。先輩方の忠告は、素直に聞いた方がいいかもしれない。

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2008年1月12日 (土)

浮世絵名品展

昨年のカレンダーは、浮世絵のものを選んだ。浮世絵の美人画であった。ただ、今年は、選んでいない。というのは、確かに雰囲気はあるのだが、日常には、ややそぐわない感じがするからだ。あの美人画は、やはり非日常なのだ。

さて、神戸市立博物館で、本日(平成20年1月12日)より、特別展として、『ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵 初公開 浮世絵名品展』が始まる。このヴィクトリア アンド アルバート美術館美術館は、浮世絵を約25000点も持っているようで、今回公開されるのは、その内の160点ということだ。春信、歌麿、北斎、広重、国芳など著名なものが展示される。

浮世絵は、ヨーロッパの印象派の人々に多大の影響を与えたようだが、日本としては、浮世絵は、庶民の作品であったため、それほど重要視せず、当時、簡単に手放したようだ。それが西欧の人々には、刺激的に映ったようだ。

今、海外では、日本のマンガが注目され、彼の地に社会的に影響を与えていているが、浮世絵は、デフォルメして誇張させる所は、謂わば、マンガの先祖のようなもの。歴史は繰り返すということか。

鑑賞には、行こうと思うが、だだ、ごった返す可能性が高い。この連休は絶望的だろう。また平日も、最近は、高齢者で溢れる傾向がある。どのタイミングで行くか、考えなくてはならない。最近は、美術館、博物館へ行くのも、大変な時代になった。

*、『ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵 初公開 浮世絵名品展』

http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/tokuten/2007_03vam.html

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2008年1月11日 (金)

松下が消える

戦後、バブルの頃から、企業が積極的に企業名を変更し、カタカナにする例が目立った。それ以前は、会社名を聞くと、何をやっている会社か、わかったものだが、現在は、わかりにくい会社が多い。社名だけでは、ピンとこないことが多い。

それほど、企業の事業内容が多様化し、社名で語れなくなったということなのだろう。ある意味、何をやっているかわからないという、ぼやけたイメージは免れない。仕事が分散しすぎて、本来の力を発揮していない企業群も多い。経営者は、常に大きくしなければならないという恐怖感に襲われているのだろう。

ただ、グループ企業トータルで見れば、規模は大きくなっているのであろうが、無駄な贅肉の多い組織になっている場合も多い。もちろん、情報化によって、スリムになったと主張する経営者もいるだろうが、人材も含めて経営の質という面では、落ちている企業がほとんどだろう。

しかしながら、縁起をかついだのか、えべっさんの日に、関西の老舗大手総合電機の松下電器産業も、ついに、社名とブランドを「パナソニック」とすると発表した。

ブランドを、いろんな理由から、国内は「ナショナル」、海外は「パナソニック」として、国内と海外を名前を便宜的に使い分けていたが、最早、そういう時代でないと、トップが判断したのだろう。この企業の場合、ブランドを統一したことは評価できる。

しかしながら、社名として、「パナソニック」が適当かは、微妙である。関西在住の人間としては、何か寂しい感じがするのは、流風だけではないだろう。松下幸之助氏の影響は、この企業グループと関係なくても、皆多かれ少なかれ、影響を受けている。会社がなくなるわけではないのに、あの「松下」がなくなるのかという感じを受ける。

「トヨタ(トヨタ自動車)」や「ホンダ(本田技研工業)のように、「マツシタ」では、駄目だったのだろうか。

ただ、企業は、社会的存在であり、個人の名前を企業名に冠すのは、よくないという意見もある。かつて、本田宗一郎氏が、仕事では悔いがないが、社名を「本田技研工業」と「本田」の名前を冠したのは、誤りだったと、何かで語ったおられた。

しかし、確かに、理想としては、そうであっても、日本のアイデンティティーを残すためには、間違いではないと思う。本田宗一郎氏は考えすぎだろう。

「松下」の名前が消え、いずれ忘れられる存在となり、普通の企業になってしまうのは、本当に残念だ。経営者は大英断を下したつもりだろうが、決していいようには作用しないだろう。松下幸之助は、あの世で、どう思っているのだろう。

*2008年10月追記

2008年10月、「松下」は「パナソニック」と社名を変えた。しかし、この名前は変な感じだ。「パナ」という名前と「ソニー」が一緒になったイメージだ。ソニーの関連会社と捉えられてもおかしくない。

それに、多分、外部からは、「パナソニック」とフルネームで呼ばないだろうし、「パナ」さんとかと業者に呼ばれるんだろうな。それなら、思い切って、「パナ」にすれば良かったんだと思う。

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2008年1月10日 (木)

米粉パンを食べる

最近、米粉パンが注目されている。本来、お米の消費が年々、減っているのに対して、新しい需要開発のために、作られたもののようだ。

ところが、これが意外にも、アトピーとかアレルギーを持っている方には、朗報らしく、米粉パンだと、症状が出ないらしい(あるいは改善される)。ということで、評価されている。

流風は、そういう症状はないが、(今回が初めてではないけれど)久しぶりに試しに食べてみたが、普通のパンと食感は変わらない。むしろ、もちもちとして、なかなかいけると思う。腹持ちもよさそうだ。最近は、小学校の給食でも出しているらしい。

先日のブログで、「三食御飯」を記載したが、やはり三食御飯だと飽きることもある。そういった時、パンはやはり食べたい。米粉パンの利用もいいかもしれない。

ただ、問題点は、米粉加工コストが高いようだ。最近は、下落傾向にあるそうで、さらに需要が高まれば、さらに下がる可能性も高い。

今、小麦粉が上っている。さらに国内産はともかく、輸入小麦粉は、農薬まみれということもよく聞く。それなら、国産米粉利用のパンの方が安全だ。価格が更に下がれば、需要も増えるだろう。

小さい子供さんや、高齢者、アトピー・アレルギー症状のある方には、米粉パンはお薦めかもしれない。ただ、販売店は、近畿エリアについては、下記に示しておいたが、まだ少ない。しかし、ネットでも、販売されているようなので、近くになければ、とりあえず、そういうものを活用してみるのも、いいかもしれない。

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2008年1月 9日 (水)

ゴミと環境問題

芽が出た腐りかけたジャガイモを、庭に放っておいたら、勝手にf葉が繁茂していたのが、枯れたので、土を掘り返すと、新鮮な、いかにも美味しそうな新ジャガイモが、少しだけ収穫できた。まさに天からの贈り物。

さて、これで何を作ろうか。カレーに使うのは、もったいないし、素材の味がわかる肉じゃがにでもしてみるか。このように、無駄にしてしまったものからの収穫は有り難い。

実は、流風は、できるだけ生ゴミは出さない。コンポストに入れて、腐敗させ、土に返している。そうすると、食物は、嬉しそうに、育つ。それを収穫させてもらうのだから、本当に有り難いことだ。

いろいろ環境問題が、騒がれるが、ゴミをできるだけ出さない食事が求められているような気がする。

プラスチックのリサイクル処理が問題になっているが、ああいう間違った業者をなくすことも大切だが、プラスチックのゴミをまずなくすことが大切だ。

しかし、残念ながら、プラスチックのゴミは、なかなか減らせない。いろんな物を買えば、トレーは、プラスチックだし、プラスチックの包装になっているし、お弁当を買えば゜、プラスチックの容器だ。再利用できるものであれば、いいが、溜まるばかりで、そうもいかない。

結局、プラスチックを使わない、買わない姿勢が、まず求められる。そのためには、どうすればいいのだろう。

*平成20年5月16日追記

神戸市内のスーパー4社は、「減装(へらそう)商品ショッピング」を試験的に導入したようだ。包装を減らす試みだ。消費者が意識が高くなれば、受け入れるだろう。以前にも、同様な試みがあったが、長続きしなかった。贈り物でもない限り、包装を減らすことは問題はない。プラスチック容器を減らせば、資源・環境問題にも寄与する。

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2008年1月 8日 (火)

あゆに贈る、老松と葦の話

あの歌手あゆ(浜崎あゆみさん、あゆと呼ぶほどのファンではない)が、突発性内耳障害で、左耳が聞こえなくなった(回復は不可能と診断されたようだ)と自ら公表されたようだ。

今後、音楽の業界では難しいかもしれない。片耳を失うことは、音感を失うことにつながる。アカペラで歌うのなら、ともかく、バックミュージックに合わせて歌うことは難しいだろう。彼女は、心理的に辛い状況だろう。

さて、話は変わるが、禅語に、老松と葦を比べるものがある(*注1)。この話を彼女に贈ろう(但し、彼女がマイナーな、このブログを読む可能性は低いが)。

どっしりとした老松が、断崖絶壁の上にあり、葦は、川っ淵にある。老松は、強風が吹いても、びくともしない。しかし、葦は、少し強い風が吹くと、川の水の中につかってしまう。私達は、常々、青々として、強い老松に惹かれる。それに比べて、葦は、冬には枯れてしまうし、弱々しい。

ところが、どうだろう。台風のような嵐になると、山に行くと、倒れているのは、老松の方だ。葦も、もちろん、強風に煽られて、倒れているが、嵐が過ぎ去ると、立ち直っている。それに比べて、老松は倒れたままだ。

よく言われるのが、頑健と言われている人が、ある日病に倒れ、そのまま逝ってしまわれることがある。スポーツ選手が必ずしも、長生きとは限らない。

それに比べて、子供時代、弱い、弱いと言われて、病気がちだった人が、成人して、人より健康に留意した結果、長生きされる場合もある。

このように、人間、何が幸いするか、わからない。「塞翁が馬」という諺があるように、人間の一生は微妙だ。その時々の現象を指して、幸だ不幸だというのは、一面的過ぎると言うことだろう。

また、松竹梅は、めでたいもので、松は、その一番上だ。そして、人々から、観賞用に誉めそやされる存在だ。それに比べて、水辺に自生する葦は、地味な存在だ。しかし、古来、人々の生活に役立ってきた。そういう意味では、一方だけが尊重されるべきものとは思えない。

浜崎あゆみさんは、今までは、老松だった。しかし、これからは、葦として、歩まれることを期待したい。本来、鮎は葦が相応しい(笑)。片耳の聴覚を失ったことは、どうしようもないのなら、それを前提に、新しい世界を築けばいい。

残った右耳を大切にして、無理に頑張らずに、新しい環境で自己を見つめ直し、多くの人々に受け入れられるものを発見して欲しい。そして、周囲も、それを認めてやって欲しい。そのような新しい“あゆ”に期待したいものだ(*注2)。

*注1

この禅語は、鷲見透玄老師(すでに遷化されている)が例えられた。それに基づき、流風が、翻案した。出典は調べていないので不明だ。

*注2

ちなみに、流風は、浜崎あゆみさんについては詳しくは知らない。派手な茶髪と厚化粧で、創られた偶像とはいえ、あまり好きではない。かつて、拙ブログで、彼女が黒髪になった時、取り上げた程度だということを付記しておく。曲は聞いたことはあるが、全く覚えていない。でも、これから、新しい分野に踏み込むなら、応援の意味で、ファンになろうかな。

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2008年1月 7日 (月)

遅刻した罰

学生時代、よく遅刻する者もいた。小学生の時は、遅刻の罰として、廊下に立たされ、バケツに水を入れたものを持たされた奴もいた。今では、問題になるのだろうけど、そんなことで訴える親などいなかった。そんな暇な親はいなかった。それに常に教師は正しいものと親は思っていた。

流風は、学生時代も、真面目な学生で、あまり遅刻の経験はない。会社員時代も、どんな場合でも、遅刻は避けるように行動していた。電鉄のストの場合さえ。そう、遅刻は悪と思っていたのだろう。あらゆる最悪の事態を想定して、早めに行動していたのだ。

ただし、いつも遅刻が悪いわけでもない。男女の駆け引きでは、遅刻も一つの手段であろう。相手が強く、勝つ見込みが薄ければ、宮本武蔵の心境ではないが、心理的に相手をじらすことも必要だろう。

さて、遅刻で有名なのは、奈良のお水取りの神事のことであろう。お水取りは、毎年3月2日の行事で、時期的には少し先の話だが、取り上げてみよう。何かに夢中になると、遅刻する例証とも言えるものだ。

このいわれは、インド僧、実忠和尚が、二月に神々に守護と福祐を祈る行法を始めた時のことである。全国の神々は、修業堂(二月堂)に集まった。ところが若狭の遠敷明神が漁に夢中で遅刻した。遅刻したため、その罰のお詫びの印として、十一面観音に供える水のため、若狭から水を引く約束をしたと云う。この泉が若狭井だ。

この伝説は、実際は、現実的ではない。多分、二月堂近くの湧水の出るところの探索を遠敷明神に依頼したのだろう。遠敷明神は自信たっぷりに、お任せあれ、と返事したが、なかなか見つからなくて、行法の時間に間に合わなかったのだろう。

間もなく見つかったが、それを遅刻を理由に進呈したことにしたのだろう。湧水を見つける技術は、当時すでに確立されていたと考えられる。あるいは、感応的に水を感じる人々がいたとも云われる。以前、ブログで触れたように、椿で鉱脈を見つけたのかもしれない。

見つけた湧水を、遅刻で進呈したのではなくて、行法のお陰で、湧き水が湧いたことにしたかったのだろう。実忠和尚と遠敷明神とが示し合わせたと考えるのは、穿ちすぎか。

*参考 お水取り

      http://www.kcn.ne.jp/~narayama/omizutori/top.html

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2008年1月 6日 (日)

“有難う”の大安売り

母は、よく“有難う”を連発していた。ちょっと何かをやってもらったら、すぐに“有難う”。だから、流風が、子供の頃、少しでも言い忘れたら、厳しく叱られた。行商の豆腐屋や八百屋のおじさん、新聞配達や牛乳配達のお兄ちゃん、郵便配達のおじさんなど物を受け取った時はもちろん“有難う”と言うように躾けられた。

子供心に、少し引っかかるものがあったので、「なぜ、そんなに“有難う”と言わねばならないのか」聞いたことがある。そうすると、次のように言っていた。

「皆、仕事やから当然と考えたり、お金を出せば、物は買えると思っているけど、ちゃんと仕事をしたり、物を分けてもらえるから皆困らへんのや。あんたには、配達しとうないとか、売りとうない、と言われたら、あんたも困るやろ」。

「配達したり、売ってもらうためには、相手に覚えられて気に入られることや。そうしよう思たら、相手に気持ちよく、配達してもらったり、分けてもらうため、せいぜい“有難う”言いや。“有難う”言うのは、あんたのためやで」と。おそらく、戦時中や戦後の物不足を経験して、配達してもらったり、物を分けてもらえるのに苦労したのだろう。

さらに、付け加えて、母は、「“有難う”と言うのは、ただなんや」、とも言っていた。有難うというのに、お金はかからない。でも、そうすることによって、お互いの人間関係がよくなる。相手が気持ちよくなれば、こちらも気持ちよくなる。こんな安いものはない。

現代風に言えば、例のハンバーガーショップが、「笑顔ゼロ円」というのと同じ理屈だ。但し、この場合は、売り手側の発想だ。確かに、買い手も悪い気はしないだろうが、感謝の気持ちを持てば、買う側と売る側が、同じ心だと、世の中は明るい。

そういうことで、他者に何かをしてもらったら、どんな些細なことでも、“有難う”と言わねばならなかった。例えばバスや電車の中で、いろんな人に席を譲られたら、母も礼はするが、流風にも、必ず頭を下げさせ、“有難う”と言わなければならなかった。

道を譲られたら、もちろん“有難う”、と言う。近所の人がいろいろ教えてくれたら、“有難う”。そして病院で診てもらったら、帰りがけ、医師に“有難うございました”と言わねばならなかった。とにかく、何かをやってもらったら、“有難う”と言うように躾けられたものだ。

更に、母は、職人さんに来てもらって、何かの作業をお願いする場合は、お昼のお弁当やお茶はもちろん、休憩時間には、必ずお茶菓子を出していた。現在は、業者の方で、そういうことを断るケースが増えているが、最近でも、そういうことはお構いなしに、以前と同様にしていた。

家の近くの道路工事の時も、工事業者の人にジュースとかコーヒーを届けているのには、工事の人も不思議そうに受け取っていた。少しあきれたが、母にすれば、自分の家と関係があると判断したのだろう。

母から教えられたことは、感謝の気持ちを持つことは、相手にも伝わり、その分、仕事が丁寧になったことだ。物品の場合は、よくおまけがついてきたりしていた。職人さんの場合は、意気に感じて、居残って、いい仕事をやってもらったようだ。

人は、気持ちで動くとは、まさに、このことだろう。“有難う”と言うのをケチってはならない。

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2008年1月 5日 (土)

人材の種類

寝起きの悪い人がいる。そういう流風も、子供時代、今年の冬のように寒い時期には、母から、「もう起きなさい」と言われても、ぐずぐずしていたものだ。そして、痺れを切らした母に布団をめくられて、無理やり起された。それでも、布団にしがみつき、抵抗したことを思い出す。

話は変わるが、企業の人材でも、いろんなのがいる。一番いいのは、主体性があり、上司や先輩から、言われる前に、すでに行動の準備ができている人材である。自己管理できる人とも言える。脳に常に刺激を与えながら、社内外に興味の範囲を広げているのだろう。そういう人材には、ずっといて欲しい。

だが、多くは、いてもいなくてもいい人材だ。中途半端な人材とも言える。ただし、ちょっとしたきっかけで、これらの人々は、よくなる可能性もあり、悪くなる可能性がある。しかしながら、企業の中に、どっぷりと浸かってしまうと、脳が退化する可能性がある。そうなれば、企業にとっては、お荷物だ。

最悪なのは、人から指示がないと動けない人だ。もちろん、最初から主体性をもって動けとは言わない。しかし、何も考えず、流されるままに続けていくと、人間の脳は退化していく。そういう人材には、早く去ってもらいたいものだ。

ということで、自分を活かすためにも、“早寝早起きの人材”を目指したいものである。

*追記

普通の人を対象にした考え方である。上記で記していない最悪な人材は、企業に毒をもたらす人材である。こういった人は、犯罪を犯す悪とは異なる。犯罪は論外。間違った努力で、企業風土を乱す人たちがいる。それは決して悪意から出た行動でないだけに、性質が悪い。

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2008年1月 4日 (金)

今年のお節と体重

今年は、少し張り込んで、豪華お節にしてのだが、確かに見かけはいい。また肉類も少なく、そんなに問題があるようには見えなかったが、体重は、昨年と比して、かなり増えてしまった(苦笑)。お雑煮も、今年は、そんなに食べていない。困ったことだ。

昨年は、自分で作った昔ながらの田舎お節だったのだが、毎日、かなりの量を食べたし、お雑煮も、たくさん頂いた。だが、体重は増えるどころか、減っていた。寝正月だったのに。

体調のこともあるのだろうが、ちょっと今年は問題だ。確かに、昨年は、体重が減り続けたので、反動とも考えられるが、急激な反動は、却って体が辛い。

本日からは、お節を脱して、健康的な?食生活に戻ろう。やっぱり、流風には、田舎お節が良さそうだ。無駄な出費も抑えられるし(笑)。

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2008年1月 3日 (木)

潤滑油としての“礼”

礼については、昨年のブログに記したが、聖徳太子はどのように考えられたのだろう。それが、十七条の憲法の第四である。新年にあたって、改めて確認してみたい。

  四に曰く

  群卿百僚、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるの本は、要 礼にあり。

  上 礼なきときは、下 斉(ととのわず)。下 礼なきときは、以て必ず罪あり。

  是を以て、君臣礼あれば、位次乱れず。百姓礼あれば、国家自ら治まる。

例によって現代的に流風的に解釈すると、次のようになるかもしれない。

まず「群卿百僚、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるの本は、要 礼にあり」は、役人達は、礼を基本にしなさい。本来、国民を治める根本は、基本的に国民に対する礼にある。そのことを忘れて、自己の立場が偉いなどと思ってはいけない。自分の立場は、国民あってのものと思わなければならない。

次に、「上 礼なきときは、下 斉(ととのわず)。下 礼なきときは、以て必ず罪あり」は、役所の上司が礼を失っせば、部下はこれにならい、必ず、組織秩序は乱れるだろう。組織というものは、そういうものだ。広く、役人と国民の関係もそのようである。また同様に、国民の間同士でも、同様に、礼を欠けば、人間関係がぎすぎすして犯罪を犯すものも現れよう。すなわち、あらゆる社会において、礼のもつ意味は大きい。

「 是を以て、君臣礼あれば、位次乱れず。百姓礼あれば、国家自ら治まる」は、よって、あらゆる上司と部下の間に、礼が行われると、人間関係がスムーズに行き、序列も乱れず、組織風土もよくなる。それは一般国民の間でも、同じことで、礼が行われると、究極的に国家が治まるのだ。

戦後、戦前の儒教教育を受けた世代が残っているうちは、そういう雰囲気もあったが、それ以後は、新しい欧米型教育のためか、礼が失われている。それを如実に現しているのが、教育現場であろう。

教師と生徒の間に、そういうものが失われている。それは教師と親の関係もそうだ。教師に対して、生徒や親に尊敬する心がなければ、教育は「知」を教えるだけの機関になってしまう。今は、そんなものは、ネット学習で十分だ。これを糾さない限り、日本の将来は危いことになる。

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