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2008年1月21日 (月)

裁判官の心構え

裁判員制度が何かと話題になるが、本来の裁判官の心構えはどうあるべきなのか。法律をベースとしながらも、人が人を裁くには、念には念を入れてやる必要がある。ただ、その前に、裁判官の心構えが、大切だ。それが、十七条の憲法の第五に示されている。

五に曰く

餮(てつ)を絶ち、欲を棄てて、明らかに訴訟を弁ぜよ。

其れ百姓の訟は、一日に千事あり。一日すら尚爾るを、況や累歳をや。

頃ろ、訟を治むるもの、利を得るを常となし、賄を見て讞(げん)を聴く。

すなわち財ある者の訟は、石を水に投ぐるが如く、乏しき者の訟は、水を石に投ぐるに似たり。

是を以て、貧民はすなわち由るところを知らず、臣道も亦、ここに於いて闕(か)く。

いつものように、流風的に解釈してみよう。

まず、「餮(てつ)を絶ち、欲を棄てて、明らかに訴訟を弁ぜよ」は、餮(てつ)の解釈が難しいが、貪る心を絶ちきり、諸々の欲を棄てて、民からの訴訟は、公平に処理しなさい、ということだろう。

当時は、財のある者の訴訟が優先され、一般民衆の訴訟が、いい加減に放置されたのだろう。現代では、当時ほどのことはないだろう。

しかし、裁判の裁定という意味においては、現代でも、公平というのは、実際は、なかなか難しいことだ。一方から見て公平であっても、見方が違えば、公平とはいえなくなるからだ。それに、時代の雰囲気が加わる。

法治とはいえ、公平というのは、心が情理において安定していなければならない。情に重きが行き過ぎても、理に重きが行き過ぎても、正しい裁判はできない。裁判とは、つくづく難しいものだ。

次に、「其れ百姓の訟は、一日に千事あり。一日すら尚爾るを、況や累歳をや」というのは、百姓をはじめ、一般民衆から、毎日たくさんの訴訟ごとがある。それを一日のうちに処理できればいいが、少し残し、少し残しを繰り返すと、一年には、多くの処理件数が残ってしまう。

裁判は、できるだけ、訴訟のあった当日に処理することが望ましい。ただ、訴訟が増えすぎれば、処理は不可能になる。これらに対処するには、傾向値を確認し、早めに法律を作り、規制し、訴訟にならないような処置が求められる。

しかしながら、法律の整理をせずに作りすぎると、法体系が複雑になりすぎて、裁判も複雑になる。よって、法体系を常に整理しながら、新しい法律を作ることが求められる。それは耶律楚材がすでに指摘している。

「頃(このご)ろ、訟を治むるもの、利を得るを常となし、賄を見て讞(げん)を聴く。すなわち財ある者の訟は、石を水に投ぐるが如く、乏しき者の訟は、水を石に投ぐるに似たり」は、最初に、匂わせたことを具体的に記している。つまり当時の裁判の腐敗を追及している。最近の判官(裁判官)は、私利を優先し、賄賂の多寡によって、裁判に手心を加えていると聞く。すなわち、財が豊かな者の訴訟は、極めて早く手心を加えており、財の無い者に対しては、訴えを放っておく。

現在の日本はどうだろう。そういうことはないと思いたいが、腕利きの弁護士を雇おうと思ったら、お金持ちのほうが有利だ。法律を捻じ曲げて解釈する例も、散見される。それに対応する裁判官は、どのような影響を受けているのだろうか。

「是を以て、貧民はすなわち由るところを知らず、臣道も亦、ここに於いて闕(か)く」は、このようなことをしていると、貧しい者たちは、頼れるところを失い、臣下の守るべき道も成り立たなくなるのだ。貧富の差は関係なく、公平な裁判をするように、求めている。この条文を定めたということは、当時、裁判がかなり歪んだ状態だったのだろう。聖徳太子の苦悩が伺える。

以上、裁判官の心がけだが、一般人でも、裁判まではいかなくても、同様な判断を求められた場合の心がけとして、参考になるかもしれない。

ただ、このように見ていくと、裁判官でさえ、大変なのに、裁判員制度で、一般人が参加するほど、簡単なことでないことがわかる。裁判員教育ができぬままに、この制度を導入することに不安を覚える。海外の仕組みを真似たこの制度は、難しい問題を抱えていると言えるのではないか。

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