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2008年1月27日 (日)

鹿の話

現代で、鹿というと、流風にとっては、奈良の鹿とかが印象に残る。若い頃は、奈良公園に行って、鹿煎餅をやったものだが、自分でもかじってみたが、まずかった(笑)。最近は、餌がなくなって、里に下りてきて、食べ物を食い荒らすイメージだ。

ところが、鹿は古代では、皆、相当関心を持っていたようで、鹿に会えると吉兆とか、神様の使いとしている。それは江戸時代まで続き、鹿の餌代として、相当のものが春日大社等に幕府から下されている。それを題材にした落語『鹿政談』もある。豆腐屋が、犬と間違え、鹿を打って殺したことから大騒ぎというもので、うまく裁いた奉行を描いている。

また、白鹿の話もある。唐の玄宗皇帝の頃、宮庭に白鹿が迷い込んで、その角の生え際に、「宜春苑中之白鹿」と彫られた銅牌が現れたからとしている。宜春苑は1千年前の漢時代のもの。そこでこれは長命ということで縁起がよいとした。ちょっと胡散臭い。臣下の誰かが、仕組んで、玄宗皇帝にゴマを摺ったのだろう。長生きされますようと。しかし、理由はどうであれ、それ以降、白鹿は愛育されたそうだから、臣下の企みは成功したようだ。そういうと、お酒のブランドにも、ありますね。

明治には、あまり評判のよくない、鹿鳴館時代があったが、これは詩経の「小雅」の「鹿鳴」から取って名付けられたという(但し、違うという意見もある)。鹿は集団で、食事をすることから、来客や賓客を大事にし、共に楽しい時間を過ごすということから、この名前をつけたようだ。

鹿に関する神戸の逸話としては、次のようなものがある。一の谷の合戦の時、義経は、鵯越の坂を馬で下りられるかどうか思いあぐねていた。その時、鹿が下りているのを見たことがあるという話を聞いて、鹿が下りられるなら、馬でも下りられると判断したというのは、有名な話だ。但し、当時、この場所に鹿がいたかどうかは確認されていないそうだ。

更に鹿は精力が旺盛で、浮気は当たり前のようである。鹿の角は、民間精力剤としても活用される。その肉も、「もみじ」と呼ばれ、精がつくため、好きな人も多い。そこで、精力のありすぎる鹿の浮気を題材にした話が、『播磨国風土記』に載っている。神戸の夢野に妻のいる牡鹿が住んでおり、内緒で淡路島に愛牝鹿がいた。その牡鹿は、ある夜、「背にススキが生え、雪が積もった」奇妙な夢を見た。

そこで、妻鹿に夢占いをしてもらうと、「不吉」と出た。それなのに、妻が止めるのも聞かず、その牡鹿は、はやるように、淡路島に通おうとして、出て行った。しかし、海を泳ぐ途中で、射殺されたと云う。妻の言うことは、聞くもんだという教訓話。

これは、もちろん人の話であろう。直接、その人の名前を出すのは憚られるので、擬人化して、冷やかしたのだろう。いや妻の立場で、それみたことかと憂さを晴らしたと言うべきか。でもなあ、わかるんだよなあ、牡鹿の気持ち。駄目だと言われれば、余計にやってみたくなる気持ち。流風も、気をつけなければ。でも、今、そういう女性はいないか(笑)。

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