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2008年1月19日 (土)

藁の上から貰う

代理母問題が議論されているようだが、やはり無理がある。日本学術会議が、代理出産を禁止したのは頷ける。人間であっても、生態系を歪めることは、認めるべきではない。

さて、このことで思い出すのは、昔、子供がない夫婦が、妊娠した段階で、親戚の子供をもらう約束をして、その子供を貰い受けて、自分の子供としたことがあった。

それを「藁(わら)の上からもらう」と言っていた。まさか、牛や馬と同じ扱いという感じもするが、昔の農家では、納屋の藁の上で、出産していた名残から、このような言葉が生まれたのであろう。

もちろん、戸籍上は、最初から、貰い受けた夫婦の実子として、扱われていた。子供が将来、悩まないようにとの配慮があったのだろう。両親は、皆、自分の本当の子供のように育てていた。

しかしながら、どこから漏れるのか、その子供が、「貰い児」であるという話が、伝わってきて、本人が悩むということは、多かったようだ。流風の知っている人も、悩み、親はそれ以上に悩んだそうだ。そして、あげた方の親も悩んだそうだ。子供をやり取りしたことは、よくなかったのか。

こういう微妙な問題は、子供は深く傷つく。親の了見で、子供の人権が左右されるのは、辛いことだ。こういうことであれば、最初から、子供を諦めるか、養子を最初から本人にはっきり示して、「あなたは養子よ。これこれの事情で、養子になってもらった」と説明された方が、本人は、まだ納得いくかもしれない。しかし、なぜ、自分だけが養子なのかと悩む可能性もある。

子供ができない人の気持ちはわからぬでもないが、代理母は避けるのが望ましいだろう。子供がなければ、それはそれでいいではないか。また見方を変えれば、天が授けないということは、行いが正しくないからかもしれない。もう一度、自省することが求められる。

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