« 人材の種類 | トップページ | 遅刻した罰 »

2008年1月 6日 (日)

“有難う”の大安売り

母は、よく“有難う”を連発していた。ちょっと何かをやってもらったら、すぐに“有難う”。だから、流風が、子供の頃、少しでも言い忘れたら、厳しく叱られた。行商の豆腐屋や八百屋のおじさん、新聞配達や牛乳配達のお兄ちゃん、郵便配達のおじさんなど物を受け取った時はもちろん“有難う”と言うように躾けられた。

子供心に、少し引っかかるものがあったので、「なぜ、そんなに“有難う”と言わねばならないのか」聞いたことがある。そうすると、次のように言っていた。

「皆、仕事やから当然と考えたり、お金を出せば、物は買えると思っているけど、ちゃんと仕事をしたり、物を分けてもらえるから皆困らへんのや。あんたには、配達しとうないとか、売りとうない、と言われたら、あんたも困るやろ」。

「配達したり、売ってもらうためには、相手に覚えられて気に入られることや。そうしよう思たら、相手に気持ちよく、配達してもらったり、分けてもらうため、せいぜい“有難う”言いや。“有難う”言うのは、あんたのためやで」と。おそらく、戦時中や戦後の物不足を経験して、配達してもらったり、物を分けてもらえるのに苦労したのだろう。

さらに、付け加えて、母は、「“有難う”と言うのは、ただなんや」、とも言っていた。有難うというのに、お金はかからない。でも、そうすることによって、お互いの人間関係がよくなる。相手が気持ちよくなれば、こちらも気持ちよくなる。こんな安いものはない。

現代風に言えば、例のハンバーガーショップが、「笑顔ゼロ円」というのと同じ理屈だ。但し、この場合は、売り手側の発想だ。確かに、買い手も悪い気はしないだろうが、感謝の気持ちを持てば、買う側と売る側が、同じ心だと、世の中は明るい。

そういうことで、他者に何かをしてもらったら、どんな些細なことでも、“有難う”と言わねばならなかった。例えばバスや電車の中で、いろんな人に席を譲られたら、母も礼はするが、流風にも、必ず頭を下げさせ、“有難う”と言わなければならなかった。

道を譲られたら、もちろん“有難う”、と言う。近所の人がいろいろ教えてくれたら、“有難う”。そして病院で診てもらったら、帰りがけ、医師に“有難うございました”と言わねばならなかった。とにかく、何かをやってもらったら、“有難う”と言うように躾けられたものだ。

更に、母は、職人さんに来てもらって、何かの作業をお願いする場合は、お昼のお弁当やお茶はもちろん、休憩時間には、必ずお茶菓子を出していた。現在は、業者の方で、そういうことを断るケースが増えているが、最近でも、そういうことはお構いなしに、以前と同様にしていた。

家の近くの道路工事の時も、工事業者の人にジュースとかコーヒーを届けているのには、工事の人も不思議そうに受け取っていた。少しあきれたが、母にすれば、自分の家と関係があると判断したのだろう。

母から教えられたことは、感謝の気持ちを持つことは、相手にも伝わり、その分、仕事が丁寧になったことだ。物品の場合は、よくおまけがついてきたりしていた。職人さんの場合は、意気に感じて、居残って、いい仕事をやってもらったようだ。

人は、気持ちで動くとは、まさに、このことだろう。“有難う”と言うのをケチってはならない。

|

« 人材の種類 | トップページ | 遅刻した罰 »

考え方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 人材の種類 | トップページ | 遅刻した罰 »