« 根回しできない人々 | トップページ | 寒い冬に思う »

2008年1月25日 (金)

二人の姫

日本の神話『古事記』にしろ、『日本書紀』にしろ、繰り返しが多く、読みにくい古典だ。最近は、わかりやすい解説書が出ているから、全体の流れがわかるが、そういうものがなかった若い時は、蔵書としてはあったものの、どうも読む気がしなかった。

さて、今回は、その中から、二人の姫を備忘的に、取り上げよう(*注1)。まあ、よく取り上げる女性の嫉妬の話だけど。第十九代天皇、允恭(いんぎょう)天皇は、皇子の時に、忍坂大中姫(おしさかのおおなかひめ)と結婚した。忍坂大中姫は、稚淳毛二派皇子の女と云われる。稚淳毛二派皇子がどういう人物かはわかっていない。

允恭天皇は身体が不自由だったと云われている。身体が弱い上に、兄が二人おり、天皇になれる可能性は低かった。しかし、その兄たちが早世し、お鉢が回ってきたが、身体が弱く、とても天皇はできないと辞退する。

それを、「そんなことでは駄目」とけしかけたのが、妻の忍坂大中姫だった。彼女の決死の努力で、皇子も、決心を翻す。おおこわ(笑)。現代でも、いますよね、こういうご婦人方。主人に色々口出しして、世間の顰蹙を買う方。

まあ、忍坂大中姫は、ある意味、女傑なんだろうけれど。世間の顰蹙は買わなかったが、女傑という意味では、あの松下幸之助夫人も、身体の弱かった幸之助を支えて、企業を発展させたところは、似ている。

皇子はついに天皇に即位する。しかし、そのように支えてくれた糟糠の妻も、だんだん厚かましくなり、天皇は、うっとうしく感じるようになる。大体、こういう女性の特性として、夫に尽くしたと思うと、恩着せがましく、何かと夫にうるさくなる。

こういうのを男が最も嫌うことも理解できない。男としては、確かに妻に対する恩義は感じるが、男として立てて欲しい気持ちがある。それを妻が理解できないと、隙間風が吹く。夫の不遇時代を支えた妻が、夫が成功すると、あまり感心はできないが、夫に新しい彼女を作られて、捨てられるのは、こういうことも影響している。

そこで、いろんな理由をつけて、前々から美人だと目をつけていた、彼女の妹を召せ、と忍坂大中姫に言う。彼女は、男の真の気持ちを理解できず、さまざまな抵抗をする。しかし、男というものは、こんなものかと、少し諦めも手伝って、了解し、妹の衣通郎姫(そとおりひめ*注2)を奉ることにする。ここら辺は、秀吉とおねね夫妻と淀の君の関係に近い。男女関係問題においては、歴史は繰り返す。幸之助もね。

この衣通郎姫は、この美人の喩えに、「織姫か、衣通郎姫か、小野小町か、楊貴妃か」と云われてきた一人だ。彼女は、允恭天皇の皇后、忍坂大中姫の妹(おとひめ)であるとされる。だが、姉妹だったとしても、忍坂大中姫が美人という話題に上らないのは、彼女等が異母姉妹だからだろうか。

衣通郎姫は、肌が透き通るほど白く、衣から透けて見えると云われた。かつて、日本の皇族達は、美人の豊かな国から彼女等を召したという話がある。彼女は、その系列の女性の可能性が高い。

衣通郎姫は姉のことを慮って、応じようとしないが、天皇は臣を度々送って、説得にあたらせ、ついに、止む無く応じることになる。天皇は藤原宮を建てて、近江坂田から迎えるが、妻の嫉妬は、激しく、思うままに、会いに行くことはできない。

皇后が、茅淳宮(ちぬのみや、大阪河内)に移り住み、出産の時をいいことに、猟を名目に衣通郎姫のところに出かけて行き、思いを遂げる。しかし、それは、すぐ皇后に女の直感で発覚し、烈火のごとく怒りを買うことになる。その後は、皇后の監視が強く、訪問は思うままにならなかったとされる。姉妹であればこそ、余計に複雑な嫉妬で、荒れ狂った女性の哀しさが見えてくる。

*注1

『古事記』と『日本書紀』では、人物の設定が異なる。このブログでは、『日本書紀』の方の説を採用した。

*注2

『古事記』では、允恭天皇皇女の軽大郎女の別名とされる。その内容は、『古事記』では、男女関係の深刻な問題を取り上げているが、『日本書紀』は女性の嫉妬問題を取り上げている。

また案外、衣通郎姫は、忍坂大中姫の姉か妹の娘かもしれない。伯母と姪の関係かもしれない。そうだとすると、『古事記』の方が、史実に近いかもしれない。

|

« 根回しできない人々 | トップページ | 寒い冬に思う »

古典文学・演芸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 根回しできない人々 | トップページ | 寒い冬に思う »