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2008年1月 8日 (火)

あゆに贈る、老松と葦の話

あの歌手あゆ(浜崎あゆみさん、あゆと呼ぶほどのファンではない)が、突発性内耳障害で、左耳が聞こえなくなった(回復は不可能と診断されたようだ)と自ら公表されたようだ。

今後、音楽の業界では難しいかもしれない。片耳を失うことは、音感を失うことにつながる。アカペラで歌うのなら、ともかく、バックミュージックに合わせて歌うことは難しいだろう。彼女は、心理的に辛い状況だろう。

さて、話は変わるが、禅語に、老松と葦を比べるものがある(*注1)。この話を彼女に贈ろう(但し、彼女がマイナーな、このブログを読む可能性は低いが)。

どっしりとした老松が、断崖絶壁の上にあり、葦は、川っ淵にある。老松は、強風が吹いても、びくともしない。しかし、葦は、少し強い風が吹くと、川の水の中につかってしまう。私達は、常々、青々として、強い老松に惹かれる。それに比べて、葦は、冬には枯れてしまうし、弱々しい。

ところが、どうだろう。台風のような嵐になると、山に行くと、倒れているのは、老松の方だ。葦も、もちろん、強風に煽られて、倒れているが、嵐が過ぎ去ると、立ち直っている。それに比べて、老松は倒れたままだ。

よく言われるのが、頑健と言われている人が、ある日病に倒れ、そのまま逝ってしまわれることがある。スポーツ選手が必ずしも、長生きとは限らない。

それに比べて、子供時代、弱い、弱いと言われて、病気がちだった人が、成人して、人より健康に留意した結果、長生きされる場合もある。

このように、人間、何が幸いするか、わからない。「塞翁が馬」という諺があるように、人間の一生は微妙だ。その時々の現象を指して、幸だ不幸だというのは、一面的過ぎると言うことだろう。

また、松竹梅は、めでたいもので、松は、その一番上だ。そして、人々から、観賞用に誉めそやされる存在だ。それに比べて、水辺に自生する葦は、地味な存在だ。しかし、古来、人々の生活に役立ってきた。そういう意味では、一方だけが尊重されるべきものとは思えない。

浜崎あゆみさんは、今までは、老松だった。しかし、これからは、葦として、歩まれることを期待したい。本来、鮎は葦が相応しい(笑)。片耳の聴覚を失ったことは、どうしようもないのなら、それを前提に、新しい世界を築けばいい。

残った右耳を大切にして、無理に頑張らずに、新しい環境で自己を見つめ直し、多くの人々に受け入れられるものを発見して欲しい。そして、周囲も、それを認めてやって欲しい。そのような新しい“あゆ”に期待したいものだ(*注2)。

*注1

この禅語は、鷲見透玄老師(すでに遷化されている)が例えられた。それに基づき、流風が、翻案した。出典は調べていないので不明だ。

*注2

ちなみに、流風は、浜崎あゆみさんについては詳しくは知らない。派手な茶髪と厚化粧で、創られた偶像とはいえ、あまり好きではない。かつて、拙ブログで、彼女が黒髪になった時、取り上げた程度だということを付記しておく。曲は聞いたことはあるが、全く覚えていない。でも、これから、新しい分野に踏み込むなら、応援の意味で、ファンになろうかな。

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