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2008年2月 7日 (木)

昭和15年頃を描いた映画

昭和15年頃と言えば、流風は、陰も形もない。両親は青少年であったろうが、まだ出会っていない。この時期は、世間が騒がしくなっていたであろう。大戦直前だ。両親も、当時いろいろ大変だったことを時々話していた。

工場は、軍需産業に無理やり転換させられ、生産には、両親の親たちは、慣れない仕事に辛いこともあったようだ。しかし、生きていくには仕方ない。選択できる時代ではなかったのだ。また学校では、軍事教練が行われた。学校の勉強など、まともにできる状況ではなかったという。

学生も、戦争の終わりごろには、男は学徒動員として、軍に徴用され、厳しい軍隊生活を送っている。軍隊は、力のある者と要領のいい者がいい目をする。そういう社会だ。一方、男がいなくなった家は、女ばかりで守ることになるということで、工場の生産にも狩り出される。生活と共にいろんな苦労が絶えない。結局、戦争で、いい目をした者は少ない。

この頃の時代の雰囲気を描いた映画が、今、注目されている『母(かあ)べえ』(山田洋次監督)だ。流風より上の世代のマドンナ吉永小百合さんが主演で、現在、公開されている。原作は、野上照代氏の『父へのレクイエム』。彼女は黒澤明監督のスクリプターだったそうだ。

「母べえ」は家族間の愛称で、母・佳代のことをそう呼び、同じく、文学者の父のことを「父べえ」と呼んでいる。二人の姉妹、初子と照美は、それぞれ「初べえ」「照べえ」と呼び交わしている。文学者という知的な家庭で、親子が、そういう呼び方をするのは、どこか和やかな家庭が想像される。

しかし、時代は暗く、父親は治安維持法で検挙され、投獄される。その不安な日々を送る家族に、色々な人々が絡んで、物語は展開する。母は父を信じ続けている。父とは、子供たちも手紙でやり取りし、家族をつないでいく。そういう家族の絆。監督が描きたかったのは、現在失われている、そういうことかもしれない。

これ以降の説明は、まだ映画を観ていないので省くが、現在、明石市立文化博物館で、「母べえとその時代」ということで、当時の昭和の暮らしを紹介している(~3月23日まで)。戦前から戦後の生活・風俗の変化を展示しているらしい。

らしいというのは、実は、ついでに見に行ったが、平日は、小学生でいっぱい。とても、入れる状況ではなかったので、入場は諦めた。次の機会にしよう。当日は、止む無く、いつものように、明石公園を散歩して、帰ることにした。寒いながらも、木々を見れば、春の芽吹きを感じる。春は、そこまで来ているのだろう。

次回、この博物館に行くのは、休日にしよう。いやいや、時代考証もしっかりしているということだから、なかなかよさそうな映画のようだし、まず、映画を先に観に行くとしよう。

* 平成20年2月18日映画鑑賞追記

当日、映画館は、高齢者が多かった。帰りも、多くの高齢者が並んでおられた。当時のことを、懐かしむ気持ちがあるのかもしれない。

実際、映画を鑑賞したところ、大体予想通りの展開。これは女性の映画だ。流風は、知らないこともあったが、両親から大体聞いていたので、そんなに違和感はなかった。

この映画は、戦争で残された女性の視点で見ており、いつの時代も、女性は争いを好まず平和を望むということを表している。

そして、言論の自由がいかに大切かを示し、それが無くなると、人間は不幸になると断じている。それを“母べえ”家族の持つ自由な雰囲気と対比させているのが印象的だ。

また戦後、周囲の方々は戦争で失くしたものの、長生きされた“母べえ”の亡くなる直前の言葉も印象的だ。ここでは、これからご覧になる方のために、記さないが、これは父が言っていたことと同じ。人は、死に臨んで、同じ様なことを考えるのかもしれない。

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