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2008年2月 6日 (水)

縁は異なもの

大体、独身男が、お茶碗などを揃えるようになると、結婚できないという。そう言われれば、そんな気がする。そういうものがあると、使いたくなるし、料理もしたくなる。そうなると、掃除も洗濯も、ということになる。それなら、嫁さんは要らない。まあ、別のことで欲しくなることもあるだろうが(笑)。

話は変わるが、一般に、禍福は糾える縄の如し、というように、福と禍は交互にやってくる。しかし、時として、福が連続したりするようだ。なぜ、そのようなことが起こるのか。そういうことを扱った人気人情落語として、『茶碗屋敷』というものがある。時々、ラジオなどで演じられているのを聞くと、楽しい気分にさせてくれる落語だ。あらすじは、ほとんどの方がご存知だろうが、若干、流風的解釈を含めて記しておく。

貧乏長屋にいる、千代田卜斎という浪人者がいた。暮らしは厳しく、日々の生活にも困る有様で、米さえ、まともに買えない。仕方なく、先祖代々大事にしていた仏像を、米代にするため、屑屋に売る。屑屋は、こんなものは売れないと思いながら、可哀想に思って、僅かなお金で引き取る。

そういうと、最近は、リヤカーの屑屋さんは、来ないなあ。子供の頃は、新聞、ダンボールだけでなく、いろんな物をなどを回収しに来ていた。流風は、それがお小遣いになっていたものだ。今でも、時々車で回収に来ているが、お金はもらえなくなった。

さて、話を戻すと、世の中は広い。帰り道、その仏像を見かけた、お武家さんが買い求めたいと言う。信心深い人だったのだろう。それとも、何かオーラのようなものを感じたのか。屑屋は、その汚い仏像を別にどうでもいいと思っていたので、買値はこれこれと正直に言い、その値で売り渡した。

その、お武家は、細川家の家臣で、高木佐太夫という人で、独身だった。彼は家に持ち帰って、この仏像をきれいに洗ったところ、台座がはずれて、中から紙包みが出てきた。開けて見ると、小判五十両が出てきたから、これには、びっくり。普通、仏像の中から、仏像が出てきたり、お経が出てくるものだが、昔、卜斎か家族の者が隠していたのだろうか。

正直な彼は、さっそく返そうと、屑屋を待ち受けて、返そうとするが、なかなか現れない。やっとのことで、つかまえて、その金を、元の仏像の持ち主に返してこいと言う。屑屋も、正直者で、千代田卜斎のところに、返しにいくと、「一旦、売り渡したものは、自分のものではない。何といわれようと受け取ることはできない。それは買主に返して来い」と、言い、受け取ろうとしない。お互いの、いい意味でのプライドのぶつかり合い。

屑屋は、止む無く、今度は、高木佐太夫のところに引き返し、これこれこういうことで受け取りになりません、と伝える。ところが、高木佐太夫は、「私は、仏像は買ったが、小判は買っていない。それは持ち主のものだ。早く返して来い」と、たたき出された。屑屋は、折角、労をとったのに、やれやれという気持ちだ。いくら侍さんの願いとはいえ、こう、ただ働きさせられてはかなわない。

しかし、こういうことが、何度もあり、お互いの人柄が周囲にも伝わり、ついに、長屋の家主が仲裁に乗り出すことになる。そうですね。実際、このようになってくると、第三者が仲裁に入るのが一番。問題は、落しどころをどうするかということ。

そういうことで、やっとの事で、卜斎は、お金を受け取った。しかし、つけた条件が、先祖伝来の茶碗を与えるという。ところが、引き取った、この茶碗の噂が、今度は、たまたま、高木佐太夫の仕える細川の殿様の耳に伝わり、すぐに持参いたせとの思し召し。早速、持参すると、この茶碗は、天下の名器であるとこが判明し、二百両で買い上げられた。

それで、また屑屋は、頼まれて、卜斎のところに、恐る恐る返しにいく。そうすると、卜斎の美しい娘が応対し、もう、お二人の橋渡しはこりごりなので、いつでも退散できるような段取りで取次ぎを頼み込む。

ところが、卜斎に二百両を渡すと、難しいことを言わずに、「今度、帰参できることになった。承れば、佐太夫殿はひとり身とのこと。不束な娘だが、その方が間に入って、取り持ってもらえないか」と言って頼む。それにしても、この急な帰参は、落語とはいえ、ちょっと不自然。細川家が手を回したものだろうか。

それはともかく、今度は、茶碗が娘に変わった。屑屋も、そういうことならと喜んで、「結構なお話です。ただ、お嬢様はあまりに美しすぎます」「なぜそのようなことを言うか」「お磨きなさいますと、また、一騒動起こりましょう」とオチとなる。

現実には、こういうことは珍しいと思われがちだが、縁というものは異なもので、正しくあれば、良い縁が導かれるということもある。ひとつひとつの言動や行動を、いつも正しくするのは難しいことだが、信念に基づき、当たり前のことを当たり前にするという意識を持てば、案外、別に男女の縁に関わらず、よい縁が結ばれるのだろう。日々反省。

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