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2008年2月19日 (火)

外見と中身~但し、落語のことです

掛軸というのは、和室には欠かせないもので、それで部屋の雰囲気が違ってくる。洋室の絵画に匹敵するものかもしれないが、掛軸は、もっと深い意味がある。そこに住む人間の精神性の反映と言えるかもしれない。それは茶室の掛軸も同様だ。

その掛軸を題材にした品のよい落語に『一目上がり』というものがある。今回は、好きな落語のあらすじを覚えとして記していく。ご存知の方は、少し長いので、読み飛ばしてください。

例によって、長屋の八さんが、横町の隠居の所に遊びに行く。そこには、床の間に掛け軸に狩野探幽の雪折笹の画がかかって、その上に「しなわるるだけは堪えよ雪の竹」(*注1)とある。八さんには何のことかわからず、誉めようと「これはまた結構な都都逸で」と適当なことを言う。

そうすると、隠居から、「そんな誉めようはありゃしない。これはいい賛(*注2)ですなあ、と言うべきだ」とたしなめられる。賛とは、画賛のことを教えられる。これはいいことを聞いたと、早速、知り合いの家に寄って、試してみようとするが、トンチンカンなことになって、大騒ぎすることになる。それが次ぎの展開だ。

家主の所へ行くと、同じく掛軸を見せてもらう。それを読んでもらい、「近郊の鷺は見難し、遠樹の烏は見易し」(*注3)ということだった。これを、意味も当然わからず、前回、隠居の所で間違ったので、早速教えられたとおり、「結構な賛ですな」と言うと、「いや、これは賛ではない。根岸の蓬斎の詩だ」と言われて、笑われる(*注4)。

八さんは、これに懲りずに、次に医者の先生のところに行く。床の間を見せてもらうと、掛軸が掛かっており、遊女の立ち姿の図に、「仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は経を売る。汝五尺の身体を売って、一切衆生の煩悩を安んず、柳は緑、花は紅のいろいろか、池の面に月は夜な夜な通えども、水も濁さず、影もとどめず」と書いてあるという。これを見て、八さん、「いい詩ですね」というと、「いや、これは一休禅師の悟だ」(*注5)という。

これで、八さん、何が何やらわからなくなった。それでも、気を取り直して、そういうと、音で言うと、三、四、五と続いているから、次は、六ではないかと思って、町内の鳶頭の家に行き、掛軸を見せてくれと頼み込む。「八さん、掛軸などわかるのかい」「いやいや、こう見えても、掛軸の誉めかた日本一だ」。

そこで、掛かっている宝船の絵に「なかきよの遠乗り船のみなめさめ 波乗り船の音のよきかな」(回文になっている)とあるのを見て、「いい六ですな」と言うと、「馬鹿言え、これは七福神だよ」というオチ。

基本的に、この落語は、外見は、褒める技術をからかっているが、それだけでなく落語全体を通して意味する所は大きい。こういう落語によって、人がどうあらねばならないかを庶民に諭している。単に、落語だと、侮ってはいけないと痛切に感じる。

*注1

「しなわるるだけは堪えよ雪の竹」は芭蕉の句。竹に雪が重くのしかかって大変だが、雪が溶ければ、楽になる。それまで耐えよという意。人間、辛抱が大切が本意。

*注2 賛とは

描かれた東洋画に対して、鑑賞者の賛辞として書き入れる。

*注3

「近郊の鷺は見難し、遠樹の烏は見易し」とは、雪にまぎれた近くの白い鷺は見つけることが難しいが、黒い烏は、遠い所にいても、すぐわかるという意。裏には、悪事はすぐ露見するという意味が含まれている。

*注4

根岸の蓬斎は不明。別の儒学者のことを間違えたものとされている。また、ここの部分は、演者により、次の場合もある。

易者の先生の所に行く。そこで掛軸を見せてもらうと、「遠仁者疎道、不苦者干知」とある。読んでもらうと、「仁に遠きものは道に疎し、苦しまざる者は知に干し」という。先生は、更に解説してくれて、ここに書かれていることを棒読みすると、「おにはそとふくはうち」となるとのこと。後は先ほどと同じで、「結構な賛ですな」と言うと、「いや、これは賛ではない。詩だ」と言われて、笑われる。

「遠仁者疎道、不苦者干知」は作者不詳。いずれにしろ、儒学者が作ったものだろう。人への思いやりのない者は、人の行くべき道がわからない。苦労しないものは、学問の真髄を極めることができないという意だろう。

*注5

悟とは、禅悟のことで禅僧の偈のようなもので、禅僧が極めた言葉を表したもの。一休は、当時の腐敗した仏教界を皮肉り、形だけの仏法僧を痛烈に批判している。仏は、民衆一人一人に備わっており、そのことを自覚すべきだとしている。

ただ、この言葉は、多くの書籍は、一休のものだとするが、沢庵和尚のものだとするものもある。賛にしたのは同様で、多少、文が異なる。いずれにせよ、蘇東坡の禅詩を意識したものだろう。沢庵和尚の賛は次のようになっているという(未確認)。

「仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は祖師を売る。汝五尺の身を売って、一切衆生の煩悩を安んず。色即是空、空即是色。柳は緑、花は紅、水の面に、夜な夜な月は、通えども、心もとどめず、影も残さず」

*2016年8月13日追記

コメントで、うめさんに指摘され、*注4に記した「根岸蓬斎」は、「根岸の蓬斎」に改めました。うめさんによると、これは亀田蓬斎のことであろうとのこと。不明な情報による記事に対して、正しい情報が得られ嬉しいです。

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コメント

うめ様

情報ありがとうございます。ご指摘の通りと思います。「根岸の蓬斎」と記すべきでしたね。

投稿: 流風 | 2016年8月 3日 (水) 07時41分

まことに僭越ですが・・・根岸蓬斎ではなくて、根岸に住んでいる亀田鵬斎ではないでしょうか。

投稿: うめ | 2016年8月 2日 (火) 19時43分

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