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2008年2月15日 (金)

一休禅師の恋

一休禅師は、マンガになったりして、国民的に知られていることだろう。後小松天皇の落胤と言われているが、周囲の接し方からして、多分そうなのだろう。マンガのようなことは事実だったかどうかわからないが、頓智が巧みで、考え方が自由自在であったことは、彼の残した書物からも明らかだ。

基本的には、彼は断片的に、いろんなことを言うので、周囲は混乱するかもしれない。そういう人は、現代でもいる。無意識に周囲を煙に巻くが、本人は、背骨のしっかりした考え方を持っており、意識は続いており、その思考には一貫性がある。そして、それは少々のことでは、それが崩れない。周囲は、変人と見る向きもあるが、本人にすれば、それが普通の思考方法なのだろう。

そして、結果的に、周囲には、彼の本質をすぐに悟られない。彼と長く付き合えば、その考えていることは、わかるかもしれないが、短い付き合いでは、多分理解することは難しいだろう。もちろん、一休禅師は、禅道を極められた結果、そうなったとも言えるが、もともと、思考プロセスに、そういう資質を持っておられたと考えた方がわかりやすい。

ところで、そのように周囲になかなか理解してもらえない一休禅師が、晩年、すなわち、77歳になった時、不幸な生い立ちで目の不自由な女性と知り合い、恋をして、そのことを綴っている(『狂雲集』)。一部、引用すると、次のようだ。

盲女森侍者、情愛甚だ厚し。将に食を絶って命を落とさんす。愁苦の余り、偈を作って之を言う。百丈の鋤頭、信施消ず、飯銭、閻老、曾て饒さず。盲女が艶歌、楼子を咲(わら)う、黄泉の涙雨、滴蕭々。

以下、延々と続くので、ここでは省略するが、上の一文だけではわからないが、随分と直接的表現で、何のわだかまりも衒(てら)いもない。恋とは、そういうものとはいえ、悟った禅師の恋としては、少し違和感を覚えるくらいだ。そうかといって、破戒僧とも思われない。

それとも、若い時から、異性には関心があったが、修業のため、それを避けた結果なのだろうか。しかし、子供のような一休の恋は、ある意味、可愛く見える。恋は純粋な方が、第三者には美しく見えるものかもしれない。

いや、一休禅師は恋をすることによって、最終的に真の悟りを会得したのではないのだろうか。そう考えると、恋の力は魔力だ。もちろん、それだけの修業をした純粋な禅師だからこそ恋によって完成し到達したとも言えるのだが。

*追記

一休禅師は、森侍者と知り合う前から、女色にふけっていたという話もあるが、事実かどうかわからないので、ここでは一応無視して話を記している。ただ女性には、老若を問わず人気があったということははっきりしている。女性にとって、魅力的な男性であったのでしょう。まあ、天皇の落胤というブランドに、女性が飛びついているとも言えるが。

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