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2008年2月14日 (木)

プレゼントされた記憶

人間というものは、食欲や性欲についで、人からプレゼントされることは好きなようである。人間には物欲があるということだろう。そして、プレゼントされるということは、相手が自分を認めているということになる。そういう心理を突いて、プレゼントされた方は嬉しくなるのかもしれない。

そういえば、金額的には小さな贈り物でも、受けた人間は、よく覚えているものだ。そういうことを度を超して悪用するのが、贈賄だろう。ただ、人間社会において、贈答は人間関係の潤滑油であることも否定できない。問題は度を超すか超さないかということだろう。

もちろん、モノに限らず、「言葉」の贈答も無視できない。特に女性は、日々、言葉のプレゼントを喜ぶ。そういうことがわかっているのか、西欧人は、常々、パートナーに対して、アイラブユーを言うようだ。日本人の男は、そんな照れくさいことは、なかなか言えないが、努力が足りないのだろうか。

そういうことの逆バージョンが、本日2月14日のバレンタインデーということだろう。流風には、しばらく縁のないことだが、若い時、いろんなチョコレートをもらったことがあるが、誰にもらったかは記憶している。たとえそれが、別に関心のない女性からの物であったり、義理チョコで安物のチョコレートであっても。余計なことだが、生命保険のおばちゃんに頂いたチョコレートさえ、記憶にある。もちろん、それはもらう数が少ないから、覚えているのだと指摘する向きもあろう。そうかもしれない。

しかし、こまめなプレゼントでさえ、相手の記憶に残ることを言いたいのだ。営業に出た時も、お茶菓子は欠かさなかった。お茶菓子だから、せいぜい500円程度のものである。そうすると、話下手の流風のつたない営業でも、話の糸口ができ、営業には、結構役立った。次回、訪問すると、担当者以外の人からも好意的で、不思議なくらいだった。

プレゼントは、人々の記憶に残る。そして食べ物が特に有効だ。口に入れることで、本能的に改めて記憶されるのかもしれない。最近は、チョコの負担が大変だから、バレンタインデーには、プレゼントしないという女性たちもいる。だが、安いチョコレートで、人間関係がよくなるなら、こんな安いことはない。ただ、多くのプレゼントを受け取る男にプレゼントしても、費用対効果は薄いかもしれない。本日、多くの女性は、記憶に残るプレゼントをしてもらいたいものである。

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