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2008年3月13日 (木)

情報処理能力と小学生教育

私達は、過去・現在・未来という時間軸で、いろんな歴史的空間において経験しているが、未来というのはわからないというのが、私達を惑わせるのだろう。いろんな予測はしても、それが必ずしも当たるわけでもない。しかし、未来に対して、有利に時間を過ごしたいのは、誰もが感じることだろう。

子供時代は、将来に対する茫漠とした不安を持っていたことを今でも思い出す。両親は、お前はまだ時間がいっぱいあるから、悩まなくてもいいと慰めてくれたが、それでは解決しない。

そこで、いろいろな情報を集めて、将来のことを探り出したい気持ちが出てくる。しかし、何も知識も無いままで、情報を集めても、脳の中は混沌とするばかりである。だから、情報を捌く知識が必要になってくる。だから勉強するのだ。しかし、学校の教師は、誰も、そのことを教えてくれなかった。流風が、それを認識したのは、社会人になってからのことだ。

以前、ゆとり教育が議論されていたが、それが問題ということで、現在は、元に戻されつつある。これは情報に対する考え方の違いと言える。はっきり言えることは、情報を情理に基づいて捌く力は、早く入手した方が、人生において有利だということだ。

だから小学生の低学年の間に、ある程度の詰め込み教育は止むを得ない。問題は、詰め込むカリキュラムの内容ということになる。そして、高学年になるにつれて、近い将来、何らかのヒントになる考え方が本来小学生に教え込むことが求められる。

そのことは別に新しいことではない。戦前の小学校の読本は、難しいことも、優しく噛み砕いて、分かり易く、歴史的事例を挙げながら、物語にしていた。そうして、知らず知らず、人としてのあり方を学んでいる。それは情報を捌く基礎になっている。

だから、両親を含めて、戦前の教育を受けた人たちは、それ以上の高等教育を受けなくても、ある意味、見識があった。それに基づいて行動していた。それが日本人を美しくしていたとも考えられる。小学生教育の重要性は今も変わらない。教育問題を考える基点にしてもらいたいものだ。

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