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2008年3月14日 (金)

外国語教育改革

流風は、義務教育での英語授業の無駄を度々主張している。そして、その根本は、何のために英語を習うかということにある。現在は、その目的が極めて不明である。戦後教育からの惰性で続いていると言って間違いはないだろう。

現在の日本で、英語で情報をわざわざ入手しなければならないことは、限られる。日本は、ほとんどの情報を入手してしまっている。更に情報がネットで簡単に手に入る時代に、英語の学習に時間をかけるのは無駄であり、その他の教育に時間をかけるべきなのだ。

そういう環境を踏まえると、全ての人に英語教育を施す必要はない。もちろん、英語を必要とする人々がいることは否定しない。つまり、現在の日本は、英語を必要とする人と必要としない人の存在があるということを明確にしておくべきだろう。結論としては、外国語は選択科目にすべきだということになる。

更に言えば、外国語を必要とする人たちも、世界は多極化の方向にあり、多言語が意味を持つことになる。すなわち、英語で、世界をカバーできない。そういう意味では、日本語と外国語の関係を見直す時期に来ているのだ。言い換えれば、多言語の時代には、外国語は選択科目にすべきだろうし、英語は選択科目の一つに過ぎないということだ。

国は、多極化する世界に対応するため、外国語教育を見直し、カリキュラムの内容を見直しすべきだろう。

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