« 「信」ということ | トップページ | 尾生の信 »

2008年3月29日 (土)

思い込みと外見で判断すると・・・

        葛城山に咲く花候よ 

           あれをよと 

              余所に思うた念ばかり

                                   (閑吟集)

新入社員時代、社長付け秘書などは高嶺の花と思ったものだが、後日、会ってみれば、普通の女性だったということはよくある。上に示した、閑吟集の句は、そのことを詠っている。

このように、当方で、相手の立場を勝手に想像して、高嶺の花と思い込むことは誰でもあるかもしれない。この例以外では、有名な人に初めて会う場合は、誰でも緊張するだろう。しかし、会ってみれば、案外、ざっくばらんな人だったりする。立派な人ほど、そのようだ(*注)。

同様な例が、同じく閑吟集にある。上記の男性の句に対する女性の対句かもしれない。

        人の姿は花靭優し

            差して負うたりゃ

                うその皮靭

これは女性が男性の外見で、すばらしいと判断して、実際会ってみたが、嘘つき野郎で大いに幻滅したという意だろう。

そのように考えると、一方的な思い込みや外見にのみの判断が、いかに危険かということを感じる。それで失敗した方が、如何に多いことか。自分で実際に会って、五感で感じないことには、正しい判断はできないのに、ついつい自己で独断判断してしまうとこともある。結局、それが迷いを生む要因なのだろう。人間とは、つくづく因果なものだ。

そう考えれば、男にとっても、女にとっても、本当は、高嶺の花はどこにもないということになる。全ては自分次第だということかもしれない。

*注

ただし、このような先生方に、若い方が、タメ口で話しかけている場合があるが、あれは見苦しい。先生方は、若い人が緊張しないように配慮して、ざっくばらんな話しかけをされているのであって、礼を失しない様にしてもらいたいものである。

|

« 「信」ということ | トップページ | 尾生の信 »

男と女」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「信」ということ | トップページ | 尾生の信 »