« 思い込みと外見で判断すると・・・ | トップページ | 閉鎖的な公共の文化施設 »

2008年3月30日 (日)

尾生の信

人間社会では、約束を守るということは大切なことだ。信用を築くには、約束を守ることが意味を持つ。しかし、それも行き過ぎると、見方によって、おかしなことになる。

魯の国に、尾生(びせい)という正直者がおり、彼は、どんな約束も守った。ある時、彼女と日にちを決めて、デートの約束をした。彼は約束どおりの時間に、指定の場所で待っていた。しかし、彼女は待てど暮らせどやってくる気配がない。

こういう経験は、流風もある。デートをすっぽかされたのだ。逆に、デートの時間を忘れ、彼女から激怒の電話を受けたこともある。こういうことは、相手に対する関心度で決まるものかもしれない。

尾生の場合も、彼女の方は、約束したつもりではなかったのかもしれない。ちょっと遊び心で言ったのに、尾生はまともに受けてしまったのかもしれない。それに当時は、携帯電話などといった文明の機器はもちろんないから、連絡も取れない。

それにしても、最近は、携帯電話があるためか、時間にルーズになったように感じる。すぐに連絡が取れるから、どうにかなるさという態度には、困ったものだ。

連絡のしようはないから、尾生はひたすら待った。しかし、その場所は川縁であったため、時間が経つにつれて、上げ潮で水がどんどん増えてきて、彼の身体を浸し始めた。しかし、それでも、彼は諦めずに待った。

中国の河は、日本の川とは基本的に異なり、日本人の感覚では海に近い。つまり河だ。逆に、中国人にとっては、日本の川は、とても川とは思えないようだ。

しかし、ついに、水かさが頭の所にまできたので、やっと橋脚に抱きついたが、時既に遅しで、溺れてしまったという話である。これを「尾生の信」といって、後世、論議がある。

一つは、命をかけて、約束を守ったという評価。もう一つは、つまらぬ約束に拘って、命を落とすとは、何という馬鹿か、というものである。後者の判断は、確かに、約束を守ることは大事だが、命までかけて待つべきものか、ということだろう。約束を守るのは、いいとしても、それにも限度があるということかもしれない。

しかし、男女関係では、その関係の強弱で、そういうことは起こりうる。命を落とすことまではしないまでも、誰が、尾生を笑うことができようか。

*注記

ただし、この話の裏には、作者の別の意図が隠されているという。ここでは、そのことは無視している。

|

« 思い込みと外見で判断すると・・・ | トップページ | 閉鎖的な公共の文化施設 »

考え方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 思い込みと外見で判断すると・・・ | トップページ | 閉鎖的な公共の文化施設 »