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2008年3月27日 (木)

グルメの味がわかる人

テレビを視ると、グルメ番組が多いのには、辟易とする。レポーターが、取材して、大体、限られた言葉で料理の味を表現するが、これが仮に、巧みな表現でも、視聴者は実際食べてみないと、その味はわからない。このようなつまらない番組が、続いてることに不思議な感覚がある。

またレポーターがどれくらいグルメの味を判断できるかも不明だ。随分といい加減なことを言っているような気もする。訪問先で、まさか、まずいとは言えないだろうし。

ところで、歴史的にも面白い話がある。田舎者の織田信長は、グルメ音痴だったと伝えられる。それは、彼が滅ぼした三好の残党を捕まえたとき、その中に京の料理に通じた者がいた。そこで、彼が作る京料理が美味しければ、助けてやろうということになった。

そこで料理をつくり、信長に食べさすが、彼はまずいと激怒した。それを何とかとりなし、再度料理を作る機会を与えられた彼は、今度は京料理ではなくて、少し味の落ちる田舎料理に近い物を出すと、信長は満足そうに食べ、彼は命を永らえ、信長の料理人として全うしたということである。しかし、その料理人は、信長を腹の中で田舎者め、と思いながら、仕えたらしい。

このように、グルメのわかる人は限られる。もちろん、グルメというのは地域性や嗜好の問題もある。グルメが全ての人に受け入れられることはないだろう。

それに日本人の言うグルメは、あくまで日本人的味覚での解釈の結果だ。多くの海外料理も、日本人の口に合うように、ほとんどが作り直されているではないか。

こう考えると、信長も、グルメ音痴と決め付けるのも、可哀想な気がする。信長をあざ笑った、あの料理人も、京都人にありがちな考え方の持ち主だったと言えなくもない。

また戦後の味の濃い西洋料理に馴らされた世代は、味覚が麻痺していると言われ、料理を味わう感覚が失われているという。

それに比べて、戦前の素朴な家庭料理を食していた人は、味覚が研ぎ澄まされていたから、料理の微妙な味もわかるとされる。粗食というものから程遠い時代に、果たして、どれくらいグルメの味がわかる人がいるのだろう。

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