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2008年4月21日 (月)

お返しをするということ

子供時代、まだ草履はよく売られていたように思う。しかし、最近はあまり見かけない。そういうと下駄をはいている人も少ない。子供の頃は、父に連れられて、夏祭りに行く時に、浴衣を着て下駄を履いて行ったものだが、鼻緒が指の間が食い込んで痛くなるので嫌だったことを覚えている。

子供時代を除けば、草履も下駄も履いたことはない。ところが、ある街でぶらぶら散歩していたら、草履が売られていたので、少し懐かしい気持ちになった。ただ使い方が、上履きだったので、少し驚いた。デザインはハイカラだったから、確かに、そのように使えば使えないこともない。既成概念に捉われると、やはり良くないのかもしれない。

ところで、神戸には、貧しい草履売りの夫婦の民話がある。彼らは仲良く貧しいながらも暮らしていた。年も暮れ、本日は大晦日だ。それなりに慌しくしていた。そこへ、ある見知らぬ僧が訪れ、泊めさせてくれと頼まれる。しかし、「家というほどのものでもないし、人をお泊めするようなところではない」と断ると、その僧は、「いやいや、野宿するのも大変なので、軒先でもお借りしたいのじゃ」と言う。

そうすると、夫婦は、「貧しくて、碌な食べ物も差し上げることができません」と言う。僧は、「そなた達が召し上がるものでよいのだ」と言う。そこまで言われれば仕方ないと、泊めさせて、ぺんぺん草(なずなのこと)入りの割れ米を粥にしたものを差し上げた。

僧は、翌日の正月に、竈に手を合わせ、ぬかみそ桶にお経を読み、彼らに礼を言って立ち去った。しばらくたつと、ぬかみそ桶から、かぐわしい匂いが立ちこめ、蓋を開けると、ぬかみそは味噌になっていた。

夫婦は喜び、食べて見ると非常に美味しく、近所にもお裾分けをし、喜ばれた。しかし、食べても、お裾分けしても、桶はすぐに一杯になり、減ることはなかったという。そういうことで、この味噌を売って長者になったとさ。

まず、話は、ここで終結する。ここでの教訓は、困っている人がいれば、できる範囲で助けろということが一つである。

そして、もう一つは、一宿一飯の恩義は必要だということだろう。一宿一飯と言えば、任侠映画のようだが、何かをもらったら、お礼に何かを返すということは求められる。僧がどういう細工をしたかはわからないが、夫婦は、お陰で結果的に金持ちになった。

さて、この話には、続きがあり、夫婦は以前同様仲良く暮らしていたのだが、亭主がある日、夢を見る。例の僧の夢を見たのだった。亭主は悟り、ああ、お返しのお礼ができていなかったと思い、夫婦で話し合い、お寺の建立を思いつく。早速、船を手配し、材木を購入する。しかし、暴風雨に襲われ、後もう少しのところで、兵庫港で船が沈んでしまう。

意気消沈しているところに、可禅という僧が通りかかり、「これは、あなたの心を海神が試しているのだ。財産を全て投げ出すつもりで、もう一度手配してみなさい」と忠告する。彼は、それに従い、再度船を出し、材木を集める手配をする。夫婦は、もとは貧乏だったあばら家に住んでいたと思い返し、決心すると、行動は早かった。全ての財産で、できるだけのことはした。

そして、再度、和田岬に入港という時、前に沈んだ船が浮き上がり、積んでいた材木も失われていなかった。よく見ると、それは大きな亀(*注)がその船を背負っているのだった。彼はその材木を使って、無事、寺(福厳寺)を創建したという。

よく一代で叩き上げた経営者に話を聞くと、「昔は貧乏だったから、いざとなったら、いつでも戻れる」というようなことを言われる。しかし、話をさらに聞いていくと、「夫婦二人の会社であれば、いつでもそういう気持ちなのだが、従業員を抱えていると、そういうわけにも行かない。彼らを路頭に迷わすこともできない。経営は神仏に祈る気持ちで毎日を過ごしている」と仰っていた。

そう考えると、元草履売りの夫婦のお寺の建立も、同じ心境だったのかもしれない。民話も多くの示唆をしてくれる。

*注

大きな亀とは、鯨のことか。亀とは現実的には考えにくい。

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