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2008年4月12日 (土)

石山寺の美を鑑賞

石山寺の美を鑑賞してきた。と言っても、滋賀県大津市にある石山寺まで参詣したわけではない。現在、明石市立文化博物館で開催されている『石山寺の美~観音・紫式部・源氏物語』を鑑賞してきたのだ。この催しは、「源氏物語千年紀」の一環事業だ。

さて、その展示内容だが、石山寺縁起の絵巻、観音信仰と石山寺の至宝、紫式部と源氏物語という三部構成になっている。見所はたくさんあるが、絵が小さいので、目を凝らさないと詳細はわかりにくいものもある。止む無く、図録(2,000円)を買い求め、補うことにした。

このブログでは、紫式部と源氏物語について、若干、感想を含めて記してみよう。一条天皇の叔母の選子内親王より、もっと珍しい物語がないかと、紫式部に問われて、7日間籠ったのが、この石山寺と云われる。

当時、観音信仰が流行っていて、紫式部も、それに倣ったのだと思う。そして旧8月15日の夜、満月の月を見て、「源氏物語』の着想を得たそうだ。おわかりのように、旧8月15日といえば、秋だ。やはり着想は、この時期が良いのかもしれない。

おおよそ、その着想などというものは、意識を集中して、ある一瞬、ぱっと解き放れた時に浮かぶのではなかろうか。流風も、振り返れば、この人生に2,3回ある。その時の気分は、何とも言えない晴れやかさだ。しかし、放っておけば、すぐに忘れてしまうようなものだ。近くにあるメモ用紙に乱雑な字で走り書きした記憶がある。

同様に、紫式部もそのようにしたようだ。彼女は、実に、罰当たりというか、大般若経の裏に書き付けたようだ。もちろん、彼女はその後、お詫びの意味か、大般若経を書写して、奉納している。だが、彼女の留め書きした気持ちは手に取るようにわかる。

そして源氏物語の「須磨」「明石」から書き起こしたというから、これらに、このひらめきの真の意図が隠されているのかもしれない。その流れが、全体を通じてあるのかもしれない。そう考えると、これらには相当重要な意味があるとみて差し支えなかろう。もう一度、読み直しして再確認しようと思う。

そういうことで、源氏物語の舞台になっている、須磨・明石の絵巻も見てみた。多分、紫式部は、須磨や明石は実際に見ていないだろうし、見聞などによって、想像したに違いない。更に絵巻だけでは、物語ができて、割とすぐに手がけられたようだが、やはり、なかなか彼女の意図は読みきれない。

しかしながら、そういうことは別にすれば、絵巻を描いた絵師も、現地は見ていないだろうが、その想像力には感服する。まあ、日本の海辺は、どこも似たり寄ったりと言えばそうだが。それにわからぬ所は、適当に手抜きして誤魔化している感じもある。後世の評論家は、それを手法と説明するが。

それでも僅かの時間ではあったが、ああだこうだと思いながら、彼女の時代に吸い込まれた感じだ。そう考えれば、千年も一日が如しだ。源氏物語は素晴らしい。そして、紫式部にそういう着想をさせた石山寺も、心眼を開かせる何かを秘めているのだろう。

*追記

関連の展覧会としては、京都文化博物館で、4月26日~6月8日に開催される予定の『源氏物語千年紀展』がある。どうも、こちらと展示内容が重複する感じだ。確かに、あちらの方が、講演会とか、演奏会とか、特別講座とかいろいろ催しがあるようだ。講演会とかは無理だが、時間を見つけて行ってみるとしましょうか。長いこと、京都ともご無沙汰だし。

*追記

しかしながら、当日は高齢のお婆さんが多かったのだが、私語の多いこと、多いこと。声が通るから、うるさいの何の。困った方々だ。博物館など、あまり行かれないのかな。う~ん、参った(苦笑)。

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