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2008年5月 3日 (土)

食べ物の使い回し

子供の頃、流風の食べ残しを、母は、勿体無いと言って、食べていた。基本的に食べ残すということは、父の前では決して許されなかったが、母は私が調子が悪いと、「無理せんでええ」と言って、代わりに残りを食べていた。

父は、食べ残しを嫌い、特に自分で皿に取った分を残すと、烈火のごとく叱られた。「お前は自分の食べる量も計れないのか」と。とてもそんなことがわかるとは思えない年齢の時からだ。

ただ外食で定食のような物の時は、「食べられなかったら、残してもええ」と言われた。中身は自分で決めたものではないからだ。単品物の食べ残しは不可だったので、父と外食する時は、いつも定食を頼んでいた気がする。

さて、あの船場吉兆が、食べ残しを使い回ししていた事実が判明し、大騒ぎしている。しかし、有名な料亭はともかく、かつて外食産業が使い回ししているのは当たり前だった。子供の時も、両親は、「外食は、使い回ししている所がほとんどだから、子供には食べさせられへん」とよく言っていた。当時、それは当たり前のようだった。

最近の外食産業のことは知らないけれど、今回の事を聞いて、ああ今でもやっているんだと思った。吉兆は箸をつけたものは使い回ししていないと言うが、中華料理店では、客が食べ残したものも、もう一度戻して加熱しているという噂があった。

最近は、そういうことがないと願いたいが、かつて深夜、外食店の厨房を見せてもらったら、ゴキブリが大量にうようよしていて、とても外食では物は食べられないと思ったことと重ね合わせて考えると、外食するには勇気がいると今更ながら感じる。

外食で何を食べさせれているかわかったものではないということは消費者も頭に入れておいた方がいいということか。ということは、何も知らないほうが幸せかも(苦笑)。まったく困ったもんだ。

*追記

次々と外食産業の使い回しが発覚している。やはりずっと続いていたようだ。本当に困ったことだ。

また外食産業の提供の仕方も考えなくてはならない。食べきれないほどのものを提供するのは問題がある。一番有名なのが、温泉旅館等の派手な料理だろう。とても食べきれるとは思えないほどの量が出る。高齢者であれば、余計に無理だ。

たくさん提供して、高い料金を取るやり方を見直す必要があるだろう。すなわち、少ない量の料理の組み合わせにすればいいのだ。あるいは中心の基本料理にオプションで顧客に選ばさせたらいい。

残したものを使いまわすのも問題だが、食べ残さざるを得ない料理の内容と量を考えるべきだろう。提供者の力が問われている。

*平成20年5月28日追記

船場吉兆が廃業とのこと。止むを得ない。時代を読み違えたのだろう。あの女将の不遜な態度もいけない。彼女が会社に残ったことで、存続が難しくなったといえる。まったく新しい経営者で再興が望まれる。そして、料亭などは高い料金を取るのだから、もっとプライドを持って仕事をやってもらいたいものだ。市井の料理屋ではないのだから。

*平成25年12月1日追記

某有名とんかつ店で、客に出したキャベツの残りの使い回しが発覚。このとんかつ店は、若い頃、よく利用していただけに、がっくりだ。もう二度と、この店のチェーン店は利用しない。船場吉兆同様、廃業してもらうしかない。

こういった話は、もう、うんざり。使い回しは昔から聞く話だけれど、未だに改まらない。こうしたことが、全ての外食産業に疑いの目が行く。業界として、いい加減に体質改善しないと、消費者から、そっぽを向かれる。

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