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2008年5月30日 (金)

恋への執心

             玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば

             忍ぶることの 弱りもぞする

                     百人一首・第八十九番・式子内親王

別れた異性に未練を残して執着するのは男に多いとのことである。そういうと、女性は付き合っていた男性からもらったものを、別れると、すぐに処分する傾向がある。男は、未練を残して、どこかに取って置いて、後で新しい女性と、ひと悶着起すのは、よくあることのようだ(笑)。

さて、先に挙げた式子内親王の歌は、忍ぶ恋という題材で詠っているということだ。ちなみに、式子内親王は、後白河天皇の第三皇女で、『千載和歌集』、『新古今集』時代の女流歌人だ。平治元年より賀茂の斎院を十一年奉仕した。

残念ながら、案外、内親王については、意外とそれ以外のデータが少なく、はっきりとしたことがわかっていない。たくさん歌を詠んでいるが、本当に彼女のものかどうかも、はっきりしない。ただ、わかっていることは、生涯、結婚もせず、目だった浮名は流していないということだ。

だから、この歌が、彼女の経験に基づくものかどうかはわからない。だが、表面上、恋をしていないという女性ほど、内心、異性に対して、ほとばしるような抑えきれない情熱をもっているかもしれない。非常に激しい歌の内容からすると、彼女の「ある人」に対する思いを詠っていると考えられる。

ところで、藤原定家の恋人が、式子内親王とずっと云われて来た(*注1)。定家については説明は不要だろう。彼の『明月記』に、内親王ののことが、よく記されているため、後年、彼女との関係が取り沙汰された。

しかし、式子内親王の恋人が定家だったと言い換えた方が適切かもしれない。年上の彼女の滲み出るような色気に、定家の方が、気おされたと考えた方がいいような気がするのだ。年上の女性に迫られて、あたふたしている定家が見えてくる(笑)。果たして、年齢差13歳という、この恋はどのようだったのだろうか。

ところが、謡曲『定家』は、彼らのことを題材に謡曲が作られたというのだが、それは立場を逆に描いている。いろいろ配慮した結果かもしれない。つまり、むしろ、定家の執心が、あの世までも残り、内親王の墓に彼が葛(かずら)となってまとわり付いていると描いているのだ(*注2)。

だから、この作品も、他の謡曲の作品同様、可能性として、かなりの創作が入っている可能性が高い。それに墓に葛がまとわりついているというのは、後年わかったところでは、戦争などで、荒れ放題になり、人々の記憶も薄れ、誰も手入れしなかったため、彼女の墓の状態が悪かったので、それをうまく題材に使ったと考えられる。

謡曲では、最終的にも、僧が弔って、読誦すると、一旦は葛がほどけるのだが、少し時間が経つと、元の木阿弥。葛は、さらにまとわりついていたという男の執心の話で終わっている。相手をした内親王も大変だねえ、という風に描いている。現代でも、時々事件になっているから、時代を超えて、確かに、そういう男がいるのだろう。まあ、逆に女性の場合も、そういうタイプはいるかもしれない。

広く世間を見渡せば、男女共に腐るほど異性はいるのにねえ(笑)。縁がなかったと割り切れない、ぐじくじ人間にはなりたくないものだ。恋への執心は、ほどほどにしたい。最終的には、恋は、なるようにしてなるものだから。

*注1

定家の父、藤原俊成に内親王が師事していたことも、定家と彼女を近づけた。しかしながら、実は、恋の相手は、定家ではなくて法然だというのが、真実性が高くなっているという。むしろ、定家は、それを見守っていたのかもしれない。

*注2

但し、般船院陵(千本今出川)にある塚が、彼女の墓と云われている。この墓が、彼女の墓であるかはわからない。そう伝えられているだけだ。

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