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2008年5月22日 (木)

滅私奉公ということ

昔は官においても民にいても、よく滅私奉公と言われた。私欲や私心をなくして、公に尽くすという意味だが、最近は、あまり聞かない。実は、これは難しいことだ。一つは、その実現。もう一つは、その意味においてだ。

前者は、自分を棄てて、公に尽くすというのは、あるべき姿だが、その域に達するには、相当の哲学と修練が求められる。口だけで、そういうのは簡単だが、実行は難しい。例えば、自分一人だけであれば、まだそれは可能かもしれない。

しかし、家族や守るべき者があれば、迷うこともあるだろう。まだ私と公をバランスをとることはできても、「滅私」というのはなかなかなのだ。その実現には、周囲にも十分説明して、納得を得ることが大切だ。

後者の、滅私奉公の意味において、これはトッブが常に正しい判断をしていることを前提にしていなければならない。誤まっているトップに滅私奉公すれば、それは、ある意味、最悪だ。

これは別の捉え方をすれば、トップが誤まっていれば、それを糾すことも求められる。いわゆる諫言だ。それは簡単にできるものではない。一歩間違えば、路頭に迷うことになるからだ。そういうことを家族や関係者に、常日頃から覚悟させておく必要がある。

結局、求められるのは、「正しい公」とは何か、各自考えることだろう。そんなものは、トップが考えることだと思ってはならない。自分なりに、「正しい公」のあり方を考えるのは仕事をする上で決して無駄ではない(*注)。

*注

と同時に、自分自身がどうあらねばならないか、常々考えて、支えてくれる周囲と話しておくことも大切だ。

* 参考 十七条の憲法  第十五 解釈

十七条の憲法  第十五にも、その大切さが指摘されているが、彼は、「私に背きて公に向かう」と説いている。滅私奉公とは少しニュアンスが違うかもしれない。彼は、官職にある者が私利私欲に走ることを戒めている。一応、参考までに解釈を示しておこう。

「私(利や欲)に背を向けて、公のために心を集中して尽くすのが臣下たる者の道である。おおよそ、人間というものは、私利私欲に走れば、必ず、不満や恨みを持つようになる。このような気持ちを持ち続けると、その他の人々と調和することができない。調和することができないと、私心で、公的な仕事を妨げることにつながる。そして、終には、法を破り、制度に反するようになる。この憲法の第一条に、「上下和諧せよ」と示したのは、まさにこのことを指しているのだ」

* 参考 十七条の憲法  第十五 訓読文

  十五に曰く、

  私に背きて公に向かうは、是れ臣の道なり。

  凡そ人、私あれば必ず憾みあり。

  憾みあれば、必ず同じうせず。

  同じうせざれば、則ち私を以て公を妨ぐ。

  憾起これば、則ち制に違い、法を害(そこな)う。

  故に初章に曰く、上下和諧せよと。其れまた是の情なるか。

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