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2008年6月13日 (金)

人間五十年

現在は、寿命が延びて、人生80年と言われる。織田信長は、幸若舞『敦盛』(*参考)が好きで、よく舞っていたようだが、その中に、「人間(ジンカン)五十年」とある。当時の寿命は五十歳程度であったのだろう。信長は、この死生観に基づき、生きているうちが花と思い、思い切りできることはやったに違いない。彼の精神的土壌は、これにあったのだろう。

彼より前の南北朝時代の武将、細川頼之は、次の詩を詠っている。細川頼之は、足利尊氏に従い、軍功があり、室町幕府の管領になるが、後、足利義満が権力を確立するため、追い出された。題は、『海南行』である。

  人生五十功無きを愧ず

  花木春過ぎて夏すでに中(なかば)なり

  満室の蒼蠅(そうよう)掃(はら)えども去り難し

  起(たっ)て禅榻(ぜんとう)を尋ねて清風に臥せん

現代訳すれば、次のようになるのだろうか。

まず「人生五十功無きを愧ず」は、私の人生、五十年は、大した功績も無く、大変恥ずかしいことだ。しかし、尊氏の頃には、功をあげているのだから、これは事実とは異なる。すなわち、彼は、その後のことを詠っている。尊氏に仕えた頃より状況が変化し、お坊ちゃまの足利義満は、私の過去の軍功など評価してくれない、というようなニュアンスが感じられる。

「花木春過ぎて夏すでに中(なかば)なり」は、花咲く春も過ぎ、もう夏の半ばだ。私の人生の最盛期は終わろうとしている、という感じを表現している。

「満室の蒼蠅(そうよう)掃(はら)えども去り難し」は、部屋の中を蠅がうるさく飛んでいて、追い払っても追い払っても、向こうに行かないという意。これの裏の意味は、私を蹴落とそうとする勢力が何かと讒言が続き、うんざりだという感じか。

「起(たっ)て禅榻(ぜんとう)を尋ねて清風に臥せん」は、もう世間の煩わしさが嫌になったので、ここを立ち去り、禅門に入り、清らかな風の中で遊ぼうと思う。実際、彼は後、屋敷を打ち払い、讃岐に移り、出家している。どろどろした世の中が嫌になったのだろう。禅榻とは、禅門の椅子のこと。

人生、自分の思い通りにはならぬもの。うまくいくのも人生、うまくいかないのも人生。人によって、いろんな組み合わせがあるのだろう。そういうと、昔、一緒に働いていたお爺さんが、朝起きて、生きていて、深呼吸して、空気が美味しいだけで、こんなに嬉しいことはない、とよく言っていた。楽しいとか、楽しくないとかは、一時的なこと。生きているだけで、感謝しなければならないのかもしれない。

*参考

信長が愛した、幸若舞『敦盛』の一節は、次のようなものである。流風が初めて接したのは、子供の頃のテレビドラマ『信長』だった。父に意味を聞いても、よくわからなかった。いずれ大人になればわかる、と父に言われたことを思い出す。そして、今、しみじみと思う。そういうことがわかる年齢になったと。

  思えばこの世は常の住み家にあらず

  草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし

  金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる

  南楼の月を弄ぶ輩も、月に先立つて有為の雲にかくれり

  人間五十年、下天(正式には、化天)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

  一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

  これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

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