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2008年6月 3日 (火)

挽歌って?

挽歌なんて言うと、中高年には、原田康子の小説『挽歌』とか、チャールズ・ブロンソンとジル・アイランドが主演の『狼の挽歌(当然ながら、邦題で、原題の意味は異なるが)』、あるいは、石原ミレイが歌った『石狩挽歌』が思い出されるかもしれない。いずれも、クラ~イ内容だった。当時、言葉の意味も深く詮索せずに、これらの作品と接していた。

『挽歌』は障害をもった主人公の独特の複雑な心理と、主人公の女性が、ある男の妻が若い学生と逢引しているのを見たところから始まる、ドロドロとした心理戦を描いており、男が読むには、ちょっと辛い読み物だ。男には描けないね。そういうと、当時、「コキュ」なんて言葉も始めて知った。

『狼の挽歌』は、当時、あのひげ面のブロンソンが、男ぽい風貌で人気があり、次々とシリーズものを出していた中の一つだ。闇の世界と警察、そして悪徳弁護士のドロドロを描いており、そこに女に裏切られた主人公のやり場のなさを描いている。

『石狩挽歌』は、なかにし礼作詞、浜啓介作曲だ。詞の内容は、なかにし礼の経験に基づくと言われる。戦後、小樽に引き上げた、なかにしの兄は、ニシン漁で一儲けしようとするが、深入りして失敗。一家は離散する。それで、兄に対する憾み、辛みを歌ったものだとも言えるし、絶縁した兄に対する鎮魂歌とも言われている。これも暗い内容だけれども、比較的好きな歌だ。

このように挽歌は、暗い内容のものが多い。それもそのはずで、挽歌の「挽」は、死を悼む言葉(詞)だからだ。いわれは次のようなものである。

田横の門人が田横の悲劇(*参考1参照)について二つの喪歌を作った。題名は「薤露(薤とはニラのことで、ニラの上の露は乾き易い。すなわち、人の命のはかなさを意味する)」、「蒿里(蒿とはヨモギのことで、地名)。人が死ぬと、その魂がここに来るとされ、転じて墓地の意味だ)」(*参考2参照)というものだった。

後年、漢の武帝の時代、楽人の李延年が、二つの喪歌に曲をつけて、前者を公卿貴人に、後者を士夫庶人を送葬するのに、柩を引く者に歌わせたことによる。柩とは霊柩車だ。

当時、言葉の意味も知らずに、小説を読んだり(*注)、映画を観たり、演歌を聴いていた私が、少し恥ずかしく思えてくる。日常、言葉の意味を知らないで、使ったり、話したりしていることがある。改めて、言葉の意味の大切さを確認する。

*注

原田康子の小説『挽歌』については、当時、母親から何回もあらすじを聞かされたが、あまり好きな内容でなかったので読まなかった。そして、未だ読んでいない。母に限らず、女性は、こういうドロドロ話が好きだねえ。憧れるのだろうか。当事者になると大変だろうけれど。

*参考1 田横の悲劇

『述懐』でも取り上げた、調略を得意とする酈食其(れいいき)が、ちょうど、和睦使の説客として斉の田横を訪れており、劉邦と和睦が成立した。しかし、そこに韓信が急襲し、怒った田横は酈食其を煮殺してしまう。韓信が急襲したのは、酈食其との功名争いに負けると思ったからだ。いつの時代にも、こういう困った人はいる。

高祖が即位すると、田横は殺されるのを恐れて部下と共に逃亡する。高祖は、後々のことを考えて、彼を許すのであるが、高祖に仕えることを恥じ、首を自ら刎ねて死に、高祖に首を届けた客人も田横の墓の傍で殉死する。さらに逃亡していた部下、約五百人も、田横の節を慕って、悉く殉死したという壮絶な話だ。田横も相当な人物であったことが窺える。

*参考2

    薤露歌     http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r85.htm

         蒿里曲     http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/gushi03.htm

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