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2008年6月15日 (日)

老母を思う歌、『冑山歌』

『冑山歌(ちゅうざんか)』は、頼山陽の詩だ。冑山とは、現在の兵庫県西宮市にある山で、火山で、甲山と表記し、「かぶとやま」と読む。その名の通り、甲をひっくり返した形で、欧米の人たちからも、「ビスマルク山」という俗称をもらっている。彼が被っていた甲に似ているからだ。

さて、その詩の内容は次の通りだ。

   冑山昨我を送り

   冑山今我を迎う

   黙して数うれば山陽十往返

   山翠は依然として我は白鬚(はくしゅ)

      故郷に親在り更に衰老す

   明年又応に此の道を下るべし

頼山陽は、若い時は、親不孝者であったようだ。その彼も、母親が老いてからは、京都から大阪(*注)に帰省して、度々見舞っている。そうは言っても、今と違い、交通事情も悪く、年に一度あるかないかというものだったらしい。年々老いて弱っていく親を見て、詠んだのが、この詩だ。意味は、次のようなものだろうか。

「この前、今、実家に帰ろうとして、甲山に見送られ、都に帰った時は、甲山に迎えられようとしている。目を瞑って、数を数えれば、この山陽道を十往復しただろう。この山は何も変わらないのに、私の顎鬚(あごひげ)には、白いものが混じっている。私がそんなことだから、故郷にいる親は更に老いたことだろう。それでも、来年も、また故郷の土を踏むことになるだろう。そうできるように、親にはもっと長生きして欲しい」と。

この詩に接すると、昔、流風が、体調を崩した父を見舞うために、遠くから新幹線に乗って、度々帰省していたことを思い出す。若い時、親不孝だったのは、山陽と変わらない。孝行したい時には、親はなし、とよく言うけれど、若い時には、なかなか、そのことがわからない。

*注

この詩が、いつ作られたものかは分らない。彼の父、春水が危篤だという報せを受けて、京都から五昼夜して広島に向かったと云う話がある。「山陽十往返」が引っ掛かる。かつて父親を見舞ったことを思い出して、母親を見舞いながら作ったとも捉えられる。ということは、春水が亡くなった後、母親を大阪に住まわせたということだろうか。

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